皇子山古墳群 皇子山古墳群の概要

皇子山古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 21:47 UTC 版)

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皇子山
古墳群
皇子山古墳群の位置

概要

滋賀県南部、琵琶湖西岸の「皇子山」と称される独立丘陵(標高164メートル)に築造された古墳群である[1]前方後方墳1基(1号墳)・円墳1基(2号墳)の計2基から構成されるが、これら前期古墳とは別に、一帯では後期古墳の営造もあったと推測される[2]。これまで19641970年昭和39・45年)に発掘調査が実施されたほか、現在は公園として整備・公開されている[2]

2基の古墳域は、1974年(昭和49年)に「皇子山古墳」の名称で国の史跡に指定された[3]。なお古墳群の東南では、後世に近江大津宮(錦織遺跡)が営まれている。

来歴

一覧

1号墳

皇子山1号墳

墳丘
(右に後方部、左に前方部。葺石は復元)
所在地 滋賀県大津市錦織1丁目
位置 北緯35度1分42.78秒
東経135度51分2.43秒
形状 前方後方墳
規模 墳丘長60m
埋葬施設 後方部:不明4基
前方部:粘土槨(推定)1基
築造時期 4世紀後半
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皇子山1号墳は、丘陵の最高所に位置する皇子山古墳群の主墳。形状は前方後方墳

墳丘主軸を南北方向とし、前方部を南方に向ける。墳丘表面では葺石が認められる(現在見る葺石は復元)[4]。墳形は東側(琵琶湖側)が極端に開き、葺石も東側面の方が西側面より丁寧に葺かれることから、湖からの仰望を意識した造りとされる[4]。主体部の埋葬施設は、後方部に4基、前方部に1基(粘土槨か)が認められるが、未調査のため詳らかでない[2][4]

この皇子山1号墳は、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される[2][4][5]。滋賀県域の古墳としては、類例の少ない前方後方墳である点[2]、早い時期の築造の点で注目される古墳になる[5]。被葬者は明らかでないが、和邇氏との関連を指摘する説がある[2]

1号墳の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:約60メートル
  • 後方部幅:約35メートル
  • 前方部幅:約28メートル

2号墳

皇子山2号墳は、1号墳から北東の丘陵斜面に位置する。形状は円墳で、直径約20メートルを測る[1]

発掘調査では、墳丘裾で溝が、墳丘上で土壙3基(主体部か)が検出されている[2]。築造年代は古墳時代前期の3世紀末頃と推定される[5]

文化財

国の史跡

  • 皇子山古墳 - 1974年(昭和49年)12月16日指定。

  1. ^ a b c 皇子山古墳(国指定史跡).
  2. ^ a b c d e f g h i j 皇子山古墳群(平凡社) 1991.
  3. ^ a b 皇子山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ a b c d 皇子山1号墳 史跡説明板。
  5. ^ a b c 皇子山古墳群(大津市歴史博物館)。


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