白井義男 白井義男の概要

白井義男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 15:43 UTC 版)

白井 義男
4度目の王座防衛戦時(1954年5月24日)
基本情報
本名 白井 義男
階級 フライ級
国籍 日本
誕生日 1923年11月23日
出身地 東京市(現東京都荒川区
死没日 (2003-12-26) 2003年12月26日(80歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 58
勝ち 48
KO勝ち 20
敗け 8
引き分け 2
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経歴

小学6年生時の夜祭りの余興で行ったカンガルーとのボクシングに負けて以後、ボクシングにのめり込んだという[4]。プロデビューは戦時下の1943年。8戦全勝の成績を残すが招集されて海軍に従軍し、整備士として終戦を迎える[5]復員後、ボクシング界へ復帰したものの海軍時代に特攻機を整備した際の労災により腰痛となり、引退寸前の危機に追い込まれた。しかしそのころジムに出入りしていたGHQ職員の生物学者アルビン・R・カーンに見出され、彼の全面的な支援の元にその素質を開花させていく[4]

カーンの指導の下、栄養豊かな食事を与えられ健康管理を徹底、長い手足と運動神経を活かした防御主体のよりテクニカルなスタイルに矯正したことで白井のボクシングは息を吹き返し、1952年ダド・マリノアメリカ)との世界タイトルマッチに勝利し王座を獲得。以後4度の防衛を果たした。敗戦に打ちひしがれた日本人にとって、白井の王者獲得とその後の防衛での活躍は"希望の光"となった[4]

主な戦績

1952年5月19日、世界フライ級王座獲得(左はカーン)
1954年11月26日 パスカル・ペレス戦

1943年11月26日、プロデビュー[6]。デビュー以来8戦全勝の成績を残す。

1944年海軍に召集。

1945年復員。

1946年8月、現役復帰戦となるノンタイトル6回戦に判定勝ち。

1948年7月30日、石森信之に2回KO勝ち。カーンと組んでから初試合・初勝利を果たした。

1949年1月28日、日本フライ級王座に挑戦。花田陽一郎に5回KO勝ちし王座獲得。以後3度防衛を果たした。

1949年12月15日、日本バンタム級王座に挑戦。堀口宏に10回判定勝ちし王座獲得。フライ級と合わせ2王座を同時保有。以後2度防衛を果たした。

1951年5月21日、ノンタイトル10回戦で現役世界王者ダド・マリノに判定負け。

1951年12月4日、ノンタイトル10回戦でダド・マリノに今度は7回TKO勝ち。

1952年5月19日、世界フライ級王座に挑戦。ここまで1勝1敗の王者マリノに15回判定勝ちし王座獲得。以後4度防衛を果たした(この日はのち2010年日本プロボクシング協会によって「ボクシングの日」に指定されている)。

1952年11月15日、世界王座初防衛戦でマリノとの4度目の対戦となったが15回判定勝ちし決着をつける。

1954年11月26日パスカル・ペレスアルゼンチン)に15回判定負けし王座陥落。(白井義男 対 パスカル・ペレス戦

1955年5月30日、世界王座再挑戦。ペレスとのリターンマッチに5回KOで敗れ、現役引退。なお、この試合の中継は最高視聴率96.1%を記録した。この数字は、2014年4月現在のテレビ放送視聴率の中で最高である。

エピソード

1955年

媒酌人は遠戚の浅沼稲次郎が務めた。

白井とカーンとの関係は、選手とコーチの範囲を超えるまさに「家族」と言えるものであった。引退後においてもそれは変わらず、白井の引退後も日本に永住した恩師・カーンとの交流は最後まで続いた。晩年のカーンは認知症になったが、逝去するまで白井夫妻の厚い介護を受けた。子供のいないカーンは、死後全ての財産を白井に譲ったという。

また、白井はカーンの「ボクシングビジネスに手を出してはいけない」という忠告を守った。1995年具志堅用高とともに白井・具志堅スポーツジムを設立、同ジムの名誉会長に就任したものの、出資のみで経営はパートナーの具志堅に全面的に任せている(但し田中敏朗の要請を受け、暁ジム特別コーチを務めたことはある。)。

2003年12月26日肺炎のため死去。80歳没。

最終戦績は58戦48勝(20KO)8敗2分。世界戦戦績は7戦5勝2敗。
※戦前戦後のデータ不詳により、白井の戦績については、65戦53勝(22KO)8敗4分、58戦46勝(18KO)8敗4分など各説ある。


  1. ^ 日本の歴代世界王者”. 日刊スポーツ. 2023年6月24日閲覧。
  2. ^ 『ボクシング・バイブル』1999年3月29日、著者・ジョー小泉、225頁。
  3. ^ 井上尚弥2冠!歴代最多タイMVP 次戦はドネアとの再戦視野、一翔も「タイミング合えば」”. デイリースポーツ online (2022年1月30日). 2022年2月3日閲覧。
  4. ^ a b c 「文藝春秋」写真資料部 (2010年12月27日). “日本人初のボクシング世界王者、白井義男”. 文藝春秋BOOKS. 文春写真館. 文藝春秋. 2018年5月19日閲覧。
  5. ^ 白井義男、日本人初の世界チャンピオンに”. 昭和毎日. 昭和のニュース. 毎日新聞社 (1952年5月19日). 2018年5月19日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ BoxRecによる戦績
  7. ^ 「秋の叙勲 俳優・大滝秀治さんと元プロボクサー・白井義男さんが喜びを語る」『読売新聞』朝刊、1995年11月3日
  8. ^ 「叙位叙勲・1月23日=神奈川」『読売新聞』朝刊、2004年1月23日


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