法然 逸話

法然

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 23:58 UTC 版)

逸話

菩提寺の大イチョウ

法然が9歳の時に、生家のある久米南町から菩提寺(岡山県勝田郡奈義町)へ向かう道中にふもとにある阿弥陀堂のイチョウの枝を杖にして登り、この枝を「学成れば根付けよ」と境内に挿したものが、現在の菩提寺の大イチョウになったと言われており、この大イチョウは国の天然記念物に指定されている。
平成25年にこれらの樹木のDNA鑑定を行い、同じイチョウであると立証されたが、菩提寺イチョウの方が阿弥陀堂のイチョウより樹齢は古いとされている[22]

脚注

注釈

  1. ^ 絹本著色、14世紀(南北朝時代)の作、知恩院蔵。法然から受けた『往生要集』の講義に感動した後白河法皇が、似絵の名手・藤原隆信に法然の姿を描かせ、蓮華王院の宝物に納めた、と伝記の多くに引用される説話があり、本作品はこの説話を元に描かれた。頭頂部が丸く描かれており、これは平たく描かれるいわゆる「法然頭」より先行した図様を示す。しかしその慎重な運筆から、原本ではなく転写本だと推測される(東京国立博物館ほか編集 『特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」』展図録、2011年、31,289頁)。
  2. ^
  3. ^
    • 「円光大師」…元禄10年(1697年)東山天皇加諡
    • 「東漸大師」…正徳元年(1711年)中御門天皇加諡
    • 「慧成大師」…宝暦11年(1761年)桃園天皇加諡
    • 「弘覚大師」…文化8年(1811年)光格天皇加諡
    • 「慈教大師」…文久元年(1861年)孝明天皇加諡
    • 「明照大師」…明治44年(1911年)明治天皇加諡
    • 「和順大師」…昭和36年(1961年)昭和天皇加諡
    • 「法爾大師」…平成23年(2011年)上皇明仁加諡
  4. ^ 浄土真宗では、法然を「元祖」と称し、親鸞を「宗祖」と称する。浄土真宗における法然と親鸞に対する「聖人/上人」の使い分けには時代による変遷がある。親鸞は法然を常に「聖人」と呼んだ。これを尊重し、初期には法然は常に「源空聖人」と呼ばれ、親鸞と法然を対で扱う際にはその師弟関係を重んじて「源空聖人・親鸞上人」と呼びつつ、親鸞を単独で呼ぶ際には「親鸞聖人」と呼称した。本願寺系では蓮如に至って法然と対で扱う場合でも親鸞を法然と同位に置いて「源空聖人・親鸞聖人」と呼ぶようになった。江戸期以降、他の法然門下である浄土系諸宗と自派を截然と分かち自派の独自性を宣揚しようとする意識から、法然の呼称は「源空上人」とされ、親鸞の下位に位置づけられるようになる。しかしながら、21世紀以降にはこうした宗派意識に対する反省もあり、親鸞自身の用いた呼称である「源空聖人」が、大遠忌などの公式行事においても再び用いられるようになっている。
  5. ^ 異説には久安3年(1147年)
  6. ^ 承元の法難とそれに伴う法然の流罪はあくまでも、遵西・住蓮の事件に対する師匠としての責任を問われただけで、念仏禁止に関する議論はあったものの断には至らなかったとする見解もある。詳細は承元の法難の項目を参照のこと。
  7. ^ 承元の法難の原因となったこの事件からも、法然の教団が女人救済に熱心に努めていたことがうかがえる。松尾(1995)p.31。一方、遵西・住蓮がこの時行った六時礼讃と呼ばれる方法は、法然が世間を誘惑するものであるとして批判し、『七箇条制誡』でも禁止を表明しており、法然本来の教えを無視して独自に動く門弟が現れていたとみる考えもある。森(2013)p.279-281・290-293
  8. ^ 後に出家し、証空に師事している。
  9. ^ 宇都宮頼綱の実弟。
  10. ^ 専修念仏の教えは浄土門のなかに多念義と一念義の論議を生んだ。法然自身は一念義の立場を認めながらも自身は多念であったが、親鸞は一念義の立場に立った。石井(1974)pp.429-430。ただし、一念すればそれで充分であるという意味での一念義に対しては一貫して否定する見解を取り続けた。森(2013)pp.215-238・291-293。
  11. ^ 一念義と多念義の論争に対しては、法然は二項対立に持って行く議論のあり方が間違っているという趣旨のことばを語っており、「常に仰せられたことば」の中に「一度の念仏、十度の念仏でさえ往生するといっても、心に雑念を巣くわせてとなえるならば、一見念仏行に精励しているごとく見えても、念仏の質には問題があろう。またたえず念仏しているといっても、一念でも救われるという本願を疑いつつとなえているならば、その念仏行自体に問題がある。であれば、一度の念仏によっても往生するのだと堅く信じて、この信心のうちに生涯念仏行に打ちこまねばならない。」と語られている。石丸(1991)pp.229-230
  12. ^ 石丸晶子編訳 『法然の手紙 愛といたわりの言葉』には法然が武家の妻女や公家の妻女からの問いに答えた返書が5通と、手紙ではないが、室の津の遊女に教え諭したことばとして伝承された短い一文が収録されている。
  13. ^ 法然は他宗の信徒に対して聖道門の修行を排除・否定することはなかったし、自分に師事する信徒にも「他宗の信徒に対して聖堂門の修行を否定したり、念仏を勧めたりしてはならない、また、言い争ってもならない」と諭している。しかし、自分の信徒に対しては、「自分の往生のために念仏以外の修行を行うことはよろしくない」、とはっきり否定している。ただし、「人々がひとつに団結してたがいに縁を結ぶために、お堂をたて、仏像をつくり、写経し、僧侶を供養することは念仏行を遠ざける悪因にはならないのでなさってください」と教えている。石丸(1991)pp.25-28

出典

  1. ^ 法然』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 法然の大師号・諡号・呼称:浄土宗”. 浄土宗. 2017年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月24日閲覧。
  3. ^ 松尾(1995)pp.29-30
  4. ^ 美作の歴史を訪ねて | 岡山県北の生活情報 アットタウンWEBマガジン”. 2019年3月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e 松尾(1995)p.30
  6. ^ 森(2013)p.149-150
  7. ^ 松尾(1995)pp.30-31
  8. ^ a b 石井(1979)pp.425-431
  9. ^ 石丸(1991)pp.20-44
  10. ^ 石丸(1991)pp.46-75
  11. ^ 松尾(1995)p.31
  12. ^ 家永(1982)p.128
  13. ^ 阿満(2007)pp.274-275
  14. ^ 阿満(2007)pp.274-276
  15. ^ 「浄土宗の教えと四十八願」(大阪新四十八願所・阿弥陀巡礼公式ホームページ)
  16. ^ 森(2013)p.171-176・180-182・192-193
  17. ^ 森(2013)p.204-207
  18. ^ 石上(2013)pp.93-94
  19. ^ 石丸(1991)pp.61
  20. ^ 石丸(1991)pp.62
  21. ^ 石丸(1991)pp.65
  22. ^ 菩提寺・阿弥陀堂・天明の公孫樹2019年2月27日 閲覧

参考文献








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