比較優位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 23:38 UTC 版)
概念
18世紀、アダム・スミスはトーマス・マンが提唱した重商主義を批判した。重商主義に基づき貨幣などの金融資産の蓄積を目的として、保護貿易や貿易相手からの搾取を行っても、植民地維持の費用増大を招き、自国内で権力者のみが富むだけで、その経済主体全体の生活水準の向上には結びつかないからである。
そして、アダム・スミスは1776年に自由貿易の重要性と社会的分業による労働生産性の向上を説いた。これは絶対優位にもとづいていたが、これでは交換の利益を説明しきれていなかった。なぜならば、絶対優位においては労働量と資本力を重視し他の経済主体よりも得意な分野に特化するので、絶対優位にある経済主体と絶対劣位にあるそれとでは、前者が一方的に利益を得て後者が一方的に損害をこうむる。しかし、これは貿易による現実とは相容れない。
デヴィッド・リカードは1817年に彼の理論を拡張して比較優位の概念を発表した。ここでいう比較とは、労働生産性の各経済主体間の比較ではなく、ある経済主体内での各産業間での比較を意味する[1]。その各産業間での生産性格差[注釈 1]を他の経済主体のそれと比較すること、つまり、経済主体内での相対的有利さを経済主体ごとに比較したときにどちらが優位であるかという二重の相対比較が比較優位である。絶対優位であっても、両方に比較優位はあり得ない。
さらに、労働力なども含めた資源は有限であり、あらゆる産業において絶対劣位にある経済主体でも比較優位な産業は存在する。仮に資源が無限にあれば、絶対優位のある経済主体のみで生産を行うことが最適となるが、現実には資源は有限であるためにある財の生産を行う場合には他の財の生産を諦めるという機会費用が発生する。直接的な費用だけではなく、この機会費用まで含めて考えれば、絶対優位にあるからといってその財を生産することが最適とは限らなくなる。
視点 | 絶対優位 | 比較優位 |
---|---|---|
提唱者 | アダム・スミス | デヴィッド・リカード |
生産要素 | 労働量・資本力 | 労働生産性 |
生産要素を誰と比較するか | 他者 | 他者 |
他の経済主体と何を比較するか | 労働生産性(最大化) | [生産性⇔機会費用] |
何に特化するか | 他の経済主体より得意な分野 | 機会費用の低いもの(生産性の高い方) |
注釈
出典
- ^ 岡田 2009.
- ^ Samuelson, Nordhaus 1989, p. 902.
- ^ クルーグマンほか 2017a, pp. 46–50.
- ^ クルーグマンほか 2017b.
- ^ 池間 1993, p. 883.
- ^ a b Jones 1961.
- ^ Deardorff 2005.
- ^ a b McKenzie 1956.
- ^ Cassey 2011.
- ^ 塩沢 2014.
- ^ Andresen 2003.
- ^ Balassa 1986a.
- ^ Grubel, Lloyd 1975.
- ^ Charles van Marrewijk (2008) Intra-industry trade http://www2.econ.uu.nl/users/marrewijk/pdf/marrewijk/Intra%20Industry%20Trade.pdf
- ^ Krugman 1979.
- ^ クルーグマンほか 2017a, pp. 196–199.
- ^ http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2008/
- ^ Ricardo 1817, pp. Chapter 6, Chapter 7.
- ^ Dornbusch, Fischer, Samuelson 1977.
- ^ McKenzie 1954.
- ^ ウォン 1999.
- ^ Baldwin 2012.
- ^ Jones 2000.
- ^ a b Shiozawa 2007, pp. Section 4.
- ^ Samuelson 1954.
- ^ Krugman 1993, p. 103.
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