桂太郎
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家族・親族
桂家
本姓は大江氏。『日本の名家・名門 人物系譜総覧』246頁によれば、
- 「桂家は、三度首相に就いた桂太郎を出した家。同家は毛利元就と同族で、相模国津久井から出た氏で、元就の重臣としては桂元澄がいる。陶晴賢を厳島に誘い出して討つことに成功したのは、この元澄の働きによる。」という。
子女
3回結婚、5男5女、計10人の子女を儲けた(うち1人は愛人との間に儲けた庶子)[47][48]。
- 最初の妻歌子(?–1886) - 旧姓は野田。1874年結婚、1886年没。桂との間に1男2女。
- 2番目の妻貞子(?–1890) - 旧姓・宍道、歌子の兄の未亡人。1886年結婚、1890年没。桂との間に1男1女。
- 愛妾中村ウラ子との間に1女を儲けた。
- 輝子(1891–?) - 天岡直嘉と結婚
- 3番目の妻可那子(1875–1940)[50] - 別称はかな子、加那子。元々村上浜次郎の娘で名古屋の上前津の料亭「旗亭香雪軒」の経営者・木村常次郎の養女となり[51]、桂が第三師団長になった際、再三この店を訪れ、27歳年下の可那子を見染めた。1891年より事実婚、1898年に井上馨の養女として桂と結婚。2人の間に3男1女。[50]
- 愛妾として知られる芸者・お鯉(安藤照)とは日露戦争中に山縣の紹介で知り合った。病弱だった本妻可那子に代わり桂の世話をし、総理官邸に「お鯉の間」が設けられたり、日比谷焼打事件では妾宅が襲撃の対象になったりした。桂は関西をお鯉と訪れる際には岩下清周らが建設した「松風閣」とよばれる財界人の清遊の場にたびたび宿泊している。「松風閣」は現在も大阪府箕面市の箕面観光ホテル内に「桂別邸」として存在する。大広間には桂が揮毫した「松風閣」の額が掲げられている[52]。
注釈
出典
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、16頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、22頁。
- ^ 伊藤之雄『元老―近代日本の真の指導者たち』中央公論新社、2016年。
- ^ a b 三好徹「日露戦争を勝利に導いた影のヒーロー 図太き“ニコポン宰相” 桂 太郎」『実録首相列伝―国を担った男達の本懐と蹉跌』学研〈歴史群像シリーズ(70号)〉、2003年6月、57-58頁、ISBN 4056031517。
- ^ a b 谷口 2011, p. 181.
- ^ a b 「二大政党制を確立した日露戦争時の首相 桂太郎」『[決定版]図説・明治の群像296』学研〈歴史群像シリーズ特別編集〉、2003年、24頁、ISBN 4056032599。
- ^ “桂太郎 かつら たろう (1848〜1913)”. 近代日本の肖像. 国立国会図書館. 2020年7月13日閲覧。
- ^ “桂太郎 1847-1913”. 明治宰相列伝'. 国立公文書館. 2020年7月13日閲覧。
- ^ “安倍首相、在職日数が歴代最長に 106年ぶり更新”. 朝日新聞. (2019年11月19日) 2019年12月3日閲覧。
- ^ a b 秦 2005, p. 46, 第1部 主要陸海軍人の履歴:陸軍:桂太郎
- ^ a b 澤村修治『天皇のリゾート:御用邸をめぐる近代史』図書新聞 2014年 ISBN 9784886114600 pp.157-174.
- ^ 『商業会議所法』(明治34年3月25日法律第31号)、官報。国立国会図書館
- ^ 『官報』第621号「叙任及辞令」1885年7月27日。
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第2086号「叙任及辞令」1890年6月14日。
- ^ 『官報』第3991号「叙任及辞令」1896年10月15日。
- ^ 『官報』第7770号「叙任及辞令」1909年5月22日。
- ^ 『官報』第363号「叙任及辞令」1913年10月13日。
- ^ 『官報』第718号「賞勲叙任」1885年11月20日。
- ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
- ^ 『官報』第2357号「叙任及辞令」1891年5月12日。
- ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
- ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
- ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
- ^ コマ4「◯授爵、敍任及辭令 ◯明治四十四年四月二十二日 …依偉勲特陞授公爵 正二位大勲位功三級侯爵 桂太郎…」
- ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
- ^ コマ5「◯宮廷錄事 ◯勅書 一昨二十二日陸軍大將公爵桂太郎ニ對シ左ノ勅書ヲ賜ハリタリ
朕陸軍大將正二位大勲位功三級公爵桂太郎ヲ待ツニ特ニ大臣ノ禮ヲ以テシ茲ニ元勲優遇ノ意ヲ昭ニス」 - ^ 「勅語類・大正詔勅・乾:桂公爵ニ賜フ勅書」 アジア歴史資料センター Ref.A14110303800
- ^ コマ2
- ^ 「陸軍大臣子爵桂太郎以下四名露国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112507100
- ^ 「陸軍大臣子爵桂太郎以下三名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112509800
- ^ 「陸軍大臣子爵桂太郎以下十一名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112520500
- ^ 『官報』第5365号「叙任及辞令」1901年5月24日。ただし同報では「フランス共和国グランオフィシェードロルドルナショナルドラレジョンドノール勲章」と記載。
- ^ 『官報』第6656号「叙任及辞令」1905年9月5日。
- ^ 「内閣総理大臣伯爵桂太郎外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112606100
- ^ 『官報』第6893号「叙任及辞令」1906年6月22日。ただし同報には「ローマ法王ピーヌーフ第一等勲章」と記載。
- ^ 「陸軍大将伯爵桂太郎外二十一名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112620300
- ^ 「陸軍大将侯爵桂太郎外三十五名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112640300
- ^ 「陸軍大将侯爵桂太郎外三十二名外国勲章記章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112641300
- ^ 『官報』第8123号「叙任及辞令」1910年7月20日。
- ^ 『官報』第8529号「叙任及辞令」1911年11月24日。
- ^ 「陸軍大将公爵桂太郎外一名外国勲章記章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112745400
- ^ 「内大臣兼侍従長陸軍大将公爵桂太郎外国勲章記章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112761000
- ^ 宇野(2006年)、P272 - P275、P284 - P285。
- ^ 竹内正浩『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』(実業之日本社、2017年)P116 - P118
- ^ コマ8「◯彙報 ◯華族卒去 公爵桂太郎長男正五位桂與一ハ一昨十六日卒去セリ」
- ^ a b 「桂太郎(明治の首相)が、軍人として名古屋に来たとき知り合った女性(のちに夫人となる)について知りたい。」 - レファレンス協同データベース
- ^ 『明治美人伝』長谷川時雨
- ^ 箕面に足跡をしるした有名人 箕面動物園と内閣総理大臣桂太郎もみじだより平成21年3月号、箕面市
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