東武クハ101形電車 晩年

東武クハ101形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/10/26 23:30 UTC 版)

晩年

32系および54系の制御車として広く運用された鋼体化車両各形式であったが、新型車の増備に伴って順次野田線および館林地区のローカル線区へ転属し運用された。

その後、32系各形式の3000系への更新が開始されると、踏切事故で被災大破し休車状態であったクハ550形558が、32系更新第一号として更新対象となった。以降、編成相手となる電動車各形式と同時に更新が進められ、54系の3050系への更新進捗によって、クハ240形は1971年(昭和46年)に、クハ540形は1972年(昭和47年)に、クハ500形・550形は1972年(昭和48年)にそれぞれ更新が完了した。更に53系に編入された各形式も1975年(昭和50年)までに全車5000系(初代・後の3070系)へ更新され、一連の鋼体化車両各形式は全て形式消滅した。

車歴

第一次鋼体化形

形式 車番 種車 竣功年月 製造メーカー 大改番 先頭車化 更新 更新年月 備考
クハ101形
サハ101形
クハ101(2代) サハ35 1941年5月 日車東京 クハ240 サハ3216 1969年3月 更新当初の車番はサハ3661
クハ102(2代) サハ36 1941年5月 日車東京 クハ241 サハ3225 1969年8月 更新当初の車番はサハ3662
クハ103(2代) サハ37 1941年5月 日車東京 クハ242 サハ3224 1969年4月 更新当初の車番はサハ3663
クハ104 サハ40 1941年5月 日車東京 クハ243 クハ3424 1968年4月 更新当初の車番はクハ3664
クハ105 サハ43 1941年5月 日車東京 クハ244 サハ3217 1969年3月 更新当初の車番はサハ3665
クハ106 サハ44 1941年5月 日車東京 クハ245 サハ3221 1969年3月 更新当初の車番はサハ3666
クハ107 サハ45 1941年5月 日車東京 クハ246 クハ3427 1969年2月 更新当初の車番はクハ3667
クハ108 トク500 1943年 日車東京 クハ247 クハ3457 1971年7月
クハ109 サハ20 1943年 日車東京 クハ248 サハ3201 1969年2月 更新当初の車番はサハ3669
サハ101 サハ38 1941年5月 日車東京 サハ70 クハ541 サハ3230 1969年8月 更新当初の車番はサハ3668
サハ102 サハ39 1941年5月 日車東京 サハ71 クハ542 サハ3230 1969年8月 更新当初の車番はサハ3633
サハ103 サハ41(初代) 1943年 日車東京 サハ72 クハ543 サハ3211 1970年10月 更新当初の車番はサハ3647
サハ104 サハ42(初代) 1943年 日車東京 サハ73 クハ544 クハ3657 1972年7月

第二次鋼体化形

形式 車番 種車 竣功年月 製造メーカー 先頭車化 53系編入 更新 更新年月 備考
サハ80形 サハ80 サハ21 1949年10月 日車東京 クハ550(2代) クハ3654 1972年4月
サハ81 サハ22 1949年10月 日車東京 クハ551(2代) クハ3656 1972年6月
サハ82 サハ23 1949年10月 日車東京 クハ552(2代) サハ3259 1973年6月
サハ83 サハ24 1949年10月 汽車製造 クハ553(2代) クハ3658 1972年8月
サハ84 サハ25 1949年10月 汽車製造 クハ554(2代) サハ3257 1973年4月
サハ85 サハ26 1949年10月 汽車製造 クハ555(2代) サハ3255 1973年2月
サハ86 サハ28 1949年10月 汽車製造 クハ563 クハ3455 1971年6月
サハ87 サハ30 1949年10月 汽車製造 クハ564 サハ3219 1970年1月 更新当初の車番はサハ3635
サハ88 サハ31 1950年 日車東京 クハ565 サハ3204 1970年6月 更新当初の車番はサハ3672
サハ89 サハ32 1950年 日車東京 クハ556 サハ3253 1972年11月
サハ90 サハ33 1950年 日車東京 クハ569 サハ3206 1970年2月 更新当初の車番はサハ3638
サハ91 サハ34 1950年 日車東京 クハ568 サハ3203 1970年3月 更新当初の車番はサハ3637
サハ92 サハ41(2代) 1950年 日車東京 クハ567 サハ3228 1969年11月 更新当初の車番はサハ3636
サハ93 サハ42(2代) 1950年 日車東京 クハ566 サハ3215 1970年6月 更新当初の車番はサハ3681
サハ94 サハ51 1950年 日車東京 クハ562 クハ3660 1973年9月
サハ95 サハ52 1950年 汽車製造 クハ561 サハ3260 1973年8月
サハ96 サハ61 1950年 汽車製造 クハ560 クハ3460 1971年12月
サハ97 サハ63 1950年 汽車製造 クハ559 サハ3218 1969年11月 更新当初の車番はサハ3634
サハ98 サハ206 1950年 汽車製造 クハ558 クハ3401 1965年1月 更新当初の車番はクハ3670
サハ99 サハ1301 1950年 汽車製造 クハ557 サハ3202 1970年12月 更新当初の車番はサハ3648
クハ500形 クハ500 サハ1 1950年6月 汽車製造 クハ3655 1972年5月
クハ501 サハ2 1950年6月 汽車製造 サハ3256 1973年3月
クハ502 サハ3 1950年6月 汽車製造 サハ3254 1973年1月
クハ503 サハ4 1950年6月 汽車製造 クハ3659 1972年9月
クハ504 サハ5 1950年6月 汽車製造 サハ3252 1972年11月
クハ505 サハ6 1950年5月 汽車製造 クハ348 サハ5202 1974年11月
クハ506 サハ7 1950年5月 汽車製造 クハ346 クハ5401 1974年6月
クハ507 サハ8 1950年7月 宇都宮 クハ347 クハ5604 1974年4月
クハ508 サハ9 1950年7月 宇都宮 クハ355 サハ5203 1974年9月
クハ509 サハ11 1950年7月 宇都宮 クハ356 クハ5403 1974年8月
クハ510 サハ12 1950年5月 日車東京 モハ5317 モハ5301 1974年10月
クハ511 サハ13 1950年5月 日車東京 モハ5318 モハ5302 1974年11月
クハ512 サハ14 1950年5月 日車東京 モハ5319 モハ5103 1974年8月
クハ513 サハ15 1950年5月 日車東京 クハ349 サハ5201 1974年10月
クハ514 サハ16 1950年5月 日車東京 モハ5324(2代) モハ5303 1974年9月
クハ515 サハ17 1950年5月 日車東京 クハ3651 1972年1月
クハ516 サハ18 1950年5月 日車東京 クハ3653 1972年3月
クハ517 サハ19 1950年5月 日車東京 クハ3652 1972年2月
クハ518 ナロハ21729 1950年7月 日車東京 クハ344 サハ5206 1975年3月
クハ519 ナハ22011 1950年7月 日車東京 クハ345 クハ5406 1975年2月
クハ520 ナハ12523 1950年7月 日車東京 クハ342 クハ5603 1974年3月
クハ521 ナハ12635 1950年7月 日車東京 クハ343 クハ5402 1974年7月
クハ522 (新製名義) 1951年3月 汽車製造 クハ340 クハ5602 1974年2月
クハ523 (新製名義) 1951年3月 汽車製造 クハ341 クハ5601 1974年1月

更新後5000番台(5000系・初代)を称した車両は、1979年(昭和54年)4月1日付で3070番台(3070系)へ一斉改番。

参考文献




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  1. ^ 東武に在籍した最古の客車は1910年明治43年)製であったが、これら通称「明治43年形」の客車については、関東大震災で被災焼失し、車体新製によって復旧された2両以外は電車化改造の対象外となっていた。
  2. ^ ただし、これら48両はその後戦災や事故によって廃車となったものも存在するため、客車改造サハが全車鋼体化の対象となったわけではない。
  3. ^ a b クハ108はトク500形を種車とするが、当然のことながらこれは名義上のものに過ぎない。また、クハ101, 102, 109はいずれも1920年(大正9年)以降に新製された「大正後期形」を種車とするため、同3両のみUF12台枠を使用した。なお「大正後期形」は、最大幅は地方鉄道建設規定に従って鉄道院基本形客車相当の8フィート10 1/2インチ(≒2,705mm)として設計されていたが、台枠については同時期製造の鉄道省大形2AB車に準じて基本形客車標準のUF11ではなく、より新しいUF12を採用していた。
  4. ^ デハ10系各形式においても、一形式あたりの最大両数は8両であったためである。
  5. ^ クハ(サハ)101形およびサハ80形は800mm.
  6. ^ 日本車輌製造W-2-18D、住友金属工業FS7、汽車製造KS-103の三種類が存在する。いずれも軸距や軸箱支持機構の方式は同一であったが、その設計は全く異なり、形鋼を溶接して組み立てた直線的かつ明快な外観のW-2-18D、独自設計のシンプルな一体鋳鋼製台車枠を備えるFS7、そして国鉄TR47そのものと言ってよいKS-103、とそれぞれ特徴的な外観を備える。なお、これらはいずれも枕ばねとして複列の重ね板ばねを搭載しているが、その枚数や列数はそれぞれ異なっていた。
  7. ^ 主幹制御器の相違から、先頭車としての運用は不可能であったためである。
  8. ^ クハ550形(初代)はクハ500形を設計の基本として全長を1,600mm延長したものであり、側窓の枚数が異なること以外は外観上全く同一であった。
  9. ^ 端子電圧750V時定格出力112.5kW、定格回転数1,188rpm(全界磁)
  10. ^ クハ500形のウィングばね式台車が構造上吊り掛け式の主電動機を搭載することが不可能であったためである。なお、モハ3264は3000系への更新に際して予備品の台車と振り替え、捻出した台車をクハ512へ転用する形で台車交換が実施されている。


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