本多忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/03 06:23 UTC 版)
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国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
泳法 | 背泳ぎ | |||||||||||||||||
生年月日 | 1951年9月19日(71歳) | |||||||||||||||||
身長 | 173cm | |||||||||||||||||
体重 | 68kg | |||||||||||||||||
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経歴
尾道高等学校時代、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で優勝している[2]。高校卒業後は広島商科大学(現広島修道大学)に進学、日本学生選手権水泳競技大会の100m、200m背泳ぎで2年連続優勝している[3]。大学卒業後はフジタに入社し競技を続けた[4]。
1972年のミュンヘンオリンピックでは100m背泳ぎで8位、200m背泳ぎは予選敗退、田口信教・駒崎康弘・佐々木二郎との400mメドレーリレーで6位となった[5]。
1976年のモントリオールオリンピックでは100m背泳ぎで予選落ち、田口信教・原秀章・柳館毅とのメドレーリレーで8位となった。
アジア競技大会では1970年、1974年の100m背泳ぎ、200m背泳ぎでそれぞれ金メダルを獲得している。
日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1969年、1972年、1974年に優勝[4]、200m背泳ぎで1972年に優勝している[6]。
現役引退後はNASスイミングクラブで指導を行っている[7]。
1996年のアトランタオリンピックでは日本代表のコーチを務めた[8]。
現在は、シンガポールに住んでビッグウェーブスイミングスクールという子供用の水泳部のコーチとして働いていた。
尚、2021年3月以降、コロナウイルスの影響によって、ビッグウェーブスイミングスクールは営業を停止している。
脚注
関連項目
外部リンク
- 本多忠 - Olympedia (英語)
- 本多忠 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- ^ “広島県出身の歴代オリンピック代表選手”. 広島県立総合体育館スポーツ情報センター. 2012年7月28日閲覧。
- ^ “フジタドルフィンクラブナタリー”. 体力健康新社. 2013年1月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月28日閲覧。
- ^ 妹尾章孝 (2005年9月18日). “水泳部創立40年を迎えて”. 広島修道大学同窓会. 2012年7月28日閲覧。
- ^ a b “歴代日本選手権獲得者 男子 100m 背泳ぎ”. 日本水泳連盟 (2011年). 2012年7月28日閲覧。
- ^ “ミュンヘンオリンピック日本代表選手入賞者一覧”. 日本オリンピック委員会. 2012年7月28日閲覧。
- ^ “歴代日本選手権獲得者 男子 200m 背泳ぎ”. 日本水泳連盟 (2011年). 2012年7月28日閲覧。
- ^ 山田剛. “アルファ波は、疲労を低下させる”. 通信『スタイル21』4号. 2012年7月28日閲覧。
- ^ “アトランタ大会出場日本選手・競泳”. 日本オリンピック委員会. 2012年7月28日閲覧。
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