木村象雷とは? わかりやすく解説

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木村象雷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 05:29 UTC 版)

木村 象雷(きむら しょうらい、1908年(明治41年)2月7日[1][2][注釈 1] - 1986年(昭和61年)[1][2])は、昭和時代の競泳選手、スポーツジャーナリスト。選手としては1928年アムステルダムオリンピックに出場。ジャーナリストとしては第二次世界大戦をまたいでオリンピック5大会[注釈 2]の取材に当たり[5]、『サンケイスポーツ』の創刊に携わった。


注釈

  1. ^ 「2月9日」とする記事もある[3]
  2. ^ 勝央美術文学館によれば「4大会」とある。賀川浩によれば1936年ベルリン、1952年ヘルシンキ、1956年メルボルン、1960年ローマと4回の特派員経験[4]に加え、フリーランスとして1964年東京大会の取材にもあたっている[2]
  3. ^ 賀川によれば、水泳は「京都時代に疎水を道場とする水練学校で身につけた」とある[2]

出典

  1. ^ a b c Shourai Kimura”. Olympedia. 2021年3月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 賀川浩. “世紀のオリンピックの著者 スポーツ記者の巨星 木村象雷(上)”. 賀川サッカーライブラリー. 2021年3月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 賀川浩. “スポーツ記者になって(1)”. 賀川サッカーライブラリー. 2021年3月25日閲覧。
  4. ^ a b c 賀川浩. “サンケイスポーツ新聞を創刊 『熱戦一番』『山ある記』を生んだ編集長 木村象雷(下)”. 賀川サッカーライブラリー. 2021年3月25日閲覧。
  5. ^ a b c 木村毅とスポーツII”. 勝央美術文学館 (2020年7月1日). 2021年3月25日閲覧。
  6. ^ 沿革”. 京都踏水会. 2021年8月24日閲覧。
  7. ^ 中澤 2010, 41頁.
  8. ^ 束原 2013, 258頁.
  9. ^ a b 賀川浩. “スポーツ記者になって(4)”. 賀川サッカーライブラリー. 2021年3月25日閲覧。
  10. ^ 賀川浩. “後輩の育成に力を注いだ 英語に堪能なオリンピック記者 木村象雷(中)”. 賀川サッカーライブラリー. 2021年3月25日閲覧。


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