山崎幸子とは? わかりやすく解説

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山崎幸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 15:09 UTC 版)

山崎幸子
選手情報
フルネーム 山崎幸子
国籍 日本
泳法 自由形
生年月日 (1962-06-03) 1962年6月3日(62歳)
生誕地 東京都
身長 165cm
体重 54kg
獲得メダル
競泳女子
日本
アジア競技大会
1978 100m自由形
1978 400mフリーリレー
1978 400mメドレーリレー
1978 200m自由形
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山崎 幸子(やまざき さちこ、1962年6月3日 - )は、日本の元競泳選手東京都出身。日本人女子で初めて100m自由形で1分の壁を破った。1976年モントリオールオリンピック1980年モスクワオリンピック日本代表。50m・100m・200m自由形の元日本記録保持者。結婚後の姓は金田。競泳選手で2012年ロンドンオリンピック日本代表金田和也は息子。

経歴

昭和女子大学附属昭和中学校2年のときに、1976年モントリオールオリンピックに出場した。100m自由形では1分00秒43の日本新記録を樹立したが、予選落ちに終わった[1]。400mメドレーリレーでは予選から4分25秒81という日本新記録を出して、決勝進出を果たした。決勝では予選の記録をさらに更新する4分23秒47で7位に入った。

1977年7月26日、東京都中学水泳大会の100m自由形で59秒90の日本新記録を樹立[1]。日本人女子初めてとなる1分切りを果たした。

1978年アジア競技大会に出場。100m自由形・400mフリーリレー・400mメドレーリレーで3冠を達成し、200m自由形でも銅メダルを獲得した。

1980年モスクワオリンピック日本代表に2大会連続で選出されたが、ボイコットにより出場することは出来なかった。

主な実績

  • 1976年モントリオールオリンピック 100m自由形予選落ち・日本新記録[1] 400mメドレーリレー7位・日本新記録
  • 1976年全国中学校体育大会 100m自由形優勝[2]
  • 1977年全国中学校体育大会 100m自由形優勝 200m自由形優勝[3]
  • 1977年日本選手権 100m自由形優勝[4] 200m自由形優勝[5]
  • 1978年世界水泳選手権 100m自由形予選落ち・日本新記録[1] 200m自由形予選落ち
  • 1978年アジア競技大会 100m自由形優勝 200m自由形3位 400mフリーリレー優勝 400mメドレーリレー優勝

関連項目

脚注

外部リンク




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