佐藤喜子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐藤喜子の意味・解説 

佐藤喜子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/28 14:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
佐藤 喜子
選手情報
フルネーム さとう よしこ
国籍 日本
泳法 自由形
生年月日 (1938-03-30) 1938年3月30日(84歳)
生誕地 奈良県五條市[1]
身長 1.59 m (5 ft 3 in)
体重 55 kg (121 lb)
獲得メダル
日本
アジア競技大会
1954年マニラ 400m自由形
1958年東京 100m自由形
1958年東京 200 m自由形
1958年東京 4×100mフリーリレー
1962年ジャカルタ 100 m自由形
1962年ジャカルタ 200 m自由形
1962年ジャカルタ 4×100mフリーリレー
1962年ジャカルタ 4×100mメドレーリレー
テンプレートを表示

佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき よしこ)、1938年3月30日[1][2] - )は、日本の元競泳選手(種目は自由形)。アジア競技大会では1958年と1962年に合計7つの金メダルを獲得した。1956年メルボルンオリンピックおよび1960年ローマオリンピックでは短距離で合計5種目に出場し、最上位の成績は4×100mメドレーリレーの第7位であった[3]

経歴

奈良県五條市出身[1]。中学校では当初陸上競技部に所属していたが、3年生の時に県大会にリレー選手として出場し、以後競泳選手となる[4]

奈良県立五條高等学校から天理大学に進む[5][6]

国内では日本選手権水泳競技大会の100mで1958年から1961年まで4年連続、200mで1955年から1961年まで7年連続で優勝した[5][6]。1954年から1962年まで、50mから1500mまでの自由形種目において、空前ともいえる97回の日本記録を更新した[1]

1963年に佐藤は現役を引退し、翌年ローマオリンピックに出場した男子競泳選手の大崎剛彦と結婚、大崎喜子となった。1984年、マスターズ水泳で現役に復帰。1985年以降、世界選手権で20回、パンパシフィック選手権で17回の優勝を飾り、自由形・バタフライおよびメドレーリレーで93回の世界記録を樹立した。日本国内では104のマスターズ記録と日本選手権で123のタイトルを獲得した。2005年にマスターズ水泳選手のカテゴリで国際水泳殿堂に表彰された[1]。夫の剛彦もマスターズ選手となり、日本マスターズ水泳協会会長も務めた。夫との間に幻のモスクワオリンピック日本代表選手であった大崎芳栄[7]を始め1男2女をもうけた[8]

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐藤喜子」の関連用語

佐藤喜子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐藤喜子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐藤喜子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS