木母寺 歴史

木母寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 13:18 UTC 版)

歴史

この寺の寺伝によれば、976年貞元元年)忠円というが、この地で没した梅若丸を弔って(梅若塚:現在の墨田区堤通2-6)をつくり、その傍らに建てられた墨田院梅若寺に始まると伝えられる。梅若丸は「吉田少将惟房」という名の貴族の子であったが、梅若丸5歳の時に父を亡くし、7歳の時に出家して比叡山延暦寺に入ったが、兵乱に遭い逃げる途中、人買いに騙されて、この地まで連れてこられたのであった。この梅若丸の哀話は、後に浄瑠璃等の伝統芸能の題材となり、隅田川物と呼ばれるジャンルを形成することになった[2]

1590年天正18年)に、徳川家康より梅若丸と塚の脇に植えられたにちなんだ「梅柳山」の山号が与えられ、江戸時代に入った1607年慶長12年)、近衛信尹によって、梅の字のを分けた現在の寺号に改められたと伝えられており、江戸幕府からは朱印状が与えられた。江戸に下向する勅使たちが度々訪れている[2]

明治に入ると、神仏分離に伴う廃仏毀釈により「梅若神社」となったが、1888年(明治21年)に寺として再興された。その後白鬚防災団地が建設されるにあたり、現在の場所に移転した[2]

交通アクセス

石碑

三遊亭円朝が、1889年(明治22年)3月21日、初代三遊亭圓生の追善のために建立した三遊塚がある。揮毫は山岡鉄舟(高橋泥舟)。碑の裏側に「泥舟逸人書」とある。

脚注


  1. ^ a b c 江戸名所図会 1927, p. 215.
  2. ^ a b c 小島惟孝 著『墨田区史跡散歩 (東京史跡ガイド7)』学生社、1993年、139-147p


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