暁型駆逐艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 14:31 UTC 版)
暁型駆逐艦 | |
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基本情報 | |
種別 | 駆逐艦 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
就役期間 | 1901年 - 1913年 |
前級 | 東雲型駆逐艦 |
次級 | 白雲型駆逐艦 |
要目 (新造時の暁) | |
常備排水量 | 363トン |
垂線間長 | 67.3 m |
最大幅 | 6.3 m |
吃水 | 1.7 m (平均) |
ボイラー | 水管ボイラー×4缶 |
主機 | レシプロ蒸気機関×2基 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
出力 | 6,000馬力 |
速力 | 31ノット |
燃料 | 石炭89トン |
乗員 | 62名 |
兵装 |
・40口径7.6cm砲×1門 ・40口径5.7cm砲×5門 ・45cm単装魚雷発射管×2基 |
設計
基本的に、第一期拡張計画で建造された雷型の小改正型となっており、平甲板型の船型と艦首の亀甲型(タートルバック)形態も同様である[3]。第一期拡張計画での建造艦は、いずれも舵頭が水面上に露出する半釣合舵としていたが、これでは敵弾などで破壊される恐れがあることから、本型では釣合舵に改正された。これに伴い、排水量はわずかに増大し[1]、また石炭搭載量も減少している[2]。
ボイラーはヤーロウ式の石炭専焼式水管ボイラーで、蒸気性状は圧力17.6 kgf/cm2 (250 lbf/in2)、飽和温度であった。主機関は3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関とされた。いずれも雷型と同構成だが、多くの点で改良が施されている[4]。
兵装は、雷型と同様、原型となったイギリス駆逐艦の構成が踏襲されており、艦砲としては40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門と40口径5.7cm砲(保式六斤速射砲)5門が搭載された。ただし本級より装備要領が変更されており、40口径7.6cm砲は司令塔上、40口径5.7cm砲は上甲板後端に1門と両舷に2門ずつが設置された[5]。また後に、東雲型などと同様、司令塔上の5.7cm砲を7.6cm砲に換装するとともに、舷側の5.7cm砲も砲盾なしの山内式に換装された[2]。
魚雷については、従来と同様、上甲板後部の中心線上に2個の旋回台を設け、これに人力旋回式の45cm魚雷発射管を1門ずつ設置した[5]。
同型艦
暁(あかつき)
- 当初の艦名は第十三号駆逐艦[6]。1901年(明治34年)11月13日に進水し「暁」と命名[7]。同年12月14日、イギリス・ヤーロー社で竣工。1902年(明治35年)1月25日、日本へ回航[8]。同年5月7日、横須賀に到着。1904年(明治37年)5月17日、旅順港閉塞作戦中、老鉄山南東沖で触雷沈没。ロシア側に沈没が目撃されていないと推定されたため、その名は捕獲艦「レシーテリヌィ」(後に「山彦」へ改名)の使用欺瞞のために使われた。1905年(明治38年)6月1日、喪失公表[9]。同年10月19日、除籍。
霞(かすみ)
- 当初の艦名は第十四号駆逐艦[6]。1902年(明治35年)1月23日に進水し「霞」と命名[10]。同年2月14日、イギリス・ヤーロー社で竣工。同年3月10日、日本へ回航[11]。同年6月15日、横須賀に到着。1913年(大正2年)4月1日、除籍。同年8月23日、雑役船(掃海船、のち標的船)に編入され、霞丸と改称。1920年(大正9年)7月1日、霞に再改称。1913年(大正2年)4月1日、除籍。
出典
固有名詞の分類
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