早野巴人 早野巴人の概要

早野巴人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:44 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

略歴

下野国那須郡烏山(現・栃木県那須烏山市)に生まれる。延宝5年(1677年)の生まれの説もある。

幼くして江戸に出て俳諧の道を志す。元禄2年(1689年)、松尾芭蕉の『奥の細道』の足跡を辿って旅をする。

再び江戸に戻り、宝井其角服部嵐雪の門人となり俳諧を学ぶ。

享保12年(1727年)、京都に移る。元文2年(1737年)、砂岡雁宕の誘いにより江戸へ戻り、夜半亭日本橋本石町に構える。この時に号を宋阿とする。この頃、江戸に出てきた与謝蕪村が門人となる。

寛保2年6月6日(1742年7月7日)、夜半亭にて病没。享年67。辞世の句は「こしらへて有りとは知らず西の奧」である。

作品

  • 一夜松
  • 辛酉歳旦
  • 誹諧桃桜
  • 夜半亭発句帖(没後、雁宕らが編集)

など

参考文献

  • 丸山一彦/監修 蕪村研究会/編 『蕪村の師巴人の全句を読む -「夜半亭発句帖」輪読-』 下野新聞社 1999年



「早野巴人」の続きの解説一覧




早野巴人と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「早野巴人」の関連用語

早野巴人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



早野巴人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの早野巴人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS