日本の金貨
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新貨条例による旧金貨
一圓金貨幣
- 品位:金900 銅100 量目1.6667g、周囲にギザあり
- 図柄:〈裏面〉菊花紋章、桐紋、日章、菊枝と桐枝、錦の御旗(日月旗)、八稜鏡
- 大型:直径13.515mm 明治4年(1871年)銘。明治5年(1872年)発行(製造期間:明治4年〜6年)
- 製造枚数:1,913,190枚
- 供試貨幣:371枚
- 発行枚数:1,912,819枚
- 小型:直径12.121mm 明治7年(1874年)〜13年(1880年)銘(製造期間:明治7年7月〜13年2月)
- 製造枚数:123,865枚
- 供試貨幣:28枚
- 発行枚数:123,837枚
- 廃止:昭和63年(1988年)3月31日
- 一円金貨は、最初の試作段階の明治3年銘は表が龍図であったが、極印が不明瞭であったため、試作のみに終わり(その試作品が現存するかどうかは不明。おそらく現存せず)、「一圓」の額面標記のみの図案に改められ明治4年(1871年)銘として鋳造され明治5年(1872年)に発行された。
- 明治25年銘が存在する。
- 明治30年(1897年)3月の貨幣法により2円に通用する。
二圓金貨幣
- 品位:金900 銅100 量目3.3333g、周囲にギザあり
- 図柄:〈表面〉龍 〈裏面〉菊花紋章、桐紋、日章、菊枝と桐枝、錦の御旗(日月旗)、八稜鏡
- 大型:直径17.484mm 明治3年(1870年)銘。明治4年(1871年)以降発行(製造期間:明治4年8月〜6年)
- 製造枚数:883,442枚
- 供試貨幣:188枚
- 発行枚数:883,254枚
- 小型:直径16.969mm 明治9年(1876年)〜13年(1880年)銘
- (製造期間:明治8年12月〜13年2月)
- 製造枚数:307枚
- 供試貨幣:3枚
- 発行枚数:304枚
- 廃止:昭和63年(1988年)3月31日
- 明治25年銘が存在する。
- 明治30年(1897年)3月の貨幣法により4円に通用する。
五圓金貨幣
- 品位:金900 銅100 量目8.3333g、周囲にギザあり
- 図柄:〈表面〉龍 〈裏面〉菊花紋章、桐紋、日章、菊枝と桐枝、錦の御旗(日月旗)、八稜鏡
- 大型:直径23.848mm 明治3年(1870年)、4年(1871年)銘。発行は明治4年(1871年)以降(製造期間:明治4年8月〜5年)
- 製造枚数:1,332,464枚
- 供試貨幣:1,300枚
- 発行枚数:1,331,164枚
- 小型:直径21.819mm 明治5年(1872年)〜30年(1897年)銘(製造期間:明治6年〜30年9月)
- 製造枚数:8,109,158枚
- 供試貨幣:8,378枚
- 試験貨幣:4,332枚
- 発行枚数:8,096,448枚
- 廃止:昭和63年(1988年)3月31日
- 明治30年(1897年)3月の貨幣法により10円に通用する。
十圓金貨幣
- 品位:金900 銅100 量目16.6667g、周囲にギザあり
- 図柄:〈表面〉龍 〈裏面〉菊花紋章、桐紋、日章、菊枝と桐枝、錦の御旗(日月旗)、八稜鏡
- 初版:直径29.424mm 明治4年(1871年)銘(製造期間:明治4年〜6年)
- 製造枚数:1,868,860枚
- 供試貨幣:1,828枚
- 発行枚数:1,867,032枚
- 改版:直径29.394mm 明治9年(1876年)〜13年(1880年)銘(製造期間:明治8年12月〜13年2月)
- 製造枚数:2,153枚
- 供試貨幣:7枚
- 発行枚数:2,146枚
- 廃止:昭和63年(1988年)3月31日
- 明治25年銘が存在する。
- 明治30年(1897年)3月の貨幣法により20円に通用する。
二十圓金貨幣
- 品位:金900 銅100 量目33.3333g 直径35.0606mm、周囲にギザあり
- 図柄:〈表面〉龍 〈裏面〉菊花紋章、桐紋、日章、菊枝と桐枝、錦の御旗(日月旗)、八稜鏡
- 初版:明治3年(1870年)銘。明治4年(1871年)以降発行(製造期間:明治4年8月〜5年)
- 製造枚数:46,096枚
- 供試貨幣:39枚
- 発行枚数:46,057枚
- 改版:明治9年(1876年)〜13年(1880年)銘(製造期間:明治8年12月〜13年2月)
- 製造枚数:1,174枚
- 供試貨幣:6枚
- 発行枚数:1,168枚
- 廃止:昭和63年(1988年)3月31日
- 明治25年銘が存在する。
- 明治30年(1897年)3月の貨幣法により40円に通用する。
注釈
- ^ 1ドル金貨と1円金貨は等価とされたが、実際の1ドル金貨の量目は1.67181グラムであり、純金1.50463グラムを含み、ごくわずかながら1円金貨より実質価値が高かった。
- ^ 造幣局では刻印(こくいん)のことを極印(ごくいん)という呼び方をしているので、本項目では「極印」の標記に統一した。刻印も極印も意味は同じで硬貨を製造(打製)するための「はんこ」のような物である。英語では「die」という。また、「極印」には「きわめ印」としての意味もあり、金座および銀座で小判および丁銀の品位、および小判にあっては量目を改めた上で極印を打ったことに由来する。造幣局においても同様で、品位および量目の保証書としての役割を持つ。
- ^ この法律が布告され、官報で本位金貨の流通停止が告知されたのは昭和62年(1987年)6月1日である。
- ^ 金貨5種、および50銭銀貨、2、1、半銭、1厘銅貨の合計10種類が展示された。このうち、プルーフ硬貨として製造されたのは金貨のみで、それぞれ特別の極印が用いられた。5円金貨は流通用にも明治25年銘は発行されたが、プルーフ貨の極印はこれとは異なるもので製造された。
- ^ a b c d e 明治3年銘。
- ^ a b c d e f 明治4年銘。
- ^ a b c d 明治9年銘。
- ^ 明治45年銘[31]。
- ^ a b c d 金解禁後ほとんど海外流出。
出典
- ^ 造幣局(1971), p12-13.
- ^ 石原(2003), p189-190, 192.
- ^ 青山(1982), p187.
- ^ 久光(1976), p180.
- ^ 造幣局(1971), p8-16.
- ^ 久光(1976), p166-175.
- ^ 大蔵省(1875).
- ^ 石原(2003), p189-190.
- ^ 久光(1976), p176-178.
- ^ 久光(1976), p186-189.
- ^ 久光(1976), p191-194.
- ^ 堀江(1927), p575-578.
- ^ 青山(1982), p182-183.
- ^ 大蔵省(1895).
- ^ 久光(1976), p1994-198.
- ^ a b 青山(1982), p185-187.
- ^ 堀江(1927), p589-578.
- ^ 久光(1976), p203-204.
- ^ 青山(1982), p186-189.
- ^ 明治大正財政史(1939), p91-96.
- ^ 青山(1982), p192.
- ^ 久光(1976), p218-220.
- ^ 造幣局125年史編集委員会編 『造幣局125年史』 造幣局、1997年
- ^ a b c 造幣局(1940), p148-150.
- ^ “幻の金貨など3万余枚競売 財務省、今秋から”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年4月15日) 2012年11月25日閲覧。
- ^ 『大蔵省年報(第八〜五十一巻)』 大蔵省、1894〜1938年
- ^ 大蔵省監査局編著 『銀行営業報告』 第13次〜29次、大藏省理財局、1890〜1904年
- ^ 造幣局(1931), p319-320.
- ^ a b 塚本(1920), p21-32.
- ^ 『造幣局長第五十二年報書(大正十四年度)』 (1926), p4-9.
- ^ 『貨幣の生ひ立ち』
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