日本の右翼団体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 04:28 UTC 版)
分類
戦前(精神派・理論派)
戦前は組織・行動という分類ではなく、「純正日本主義」と「国家社会主義」とに分類され、前者は「精神派」、後者は「理論派」とされている [19]。大学内にも右翼研究団体が多くあり、昭和初期の主たるものとしては、東大の朱光会、七生社、京大の猶与会、東京一高の瑞穂会(いずれも会員50-60名)のほか、満州事変を契機として生まれた私大生を中心とする愛国学生連盟(加盟者約一万)、官私大・各種学校生徒に青年を加えた愛国青年連盟(加盟者数千)などがあった[20]。
戦後(組織右翼・行動右翼)
組織右翼も行動を伴うが、嶋中事件の際に警察庁が「治安上注意を要する団体」として組織右翼と行動右翼という2分類をしている(『右翼関係団体要覧』、1972年。所在地記載のないものは東京所在)。
- 組織右翼は大東塾・不二歌道会、国民総連合、大日本生産党、国民同志会、日本青年連盟、国民社会党、合友会(名古屋)、日本同志会(岡山)。
- 行動右翼は大日本愛国党、護国団、治安確立同志会、防共挺身隊、国粋会、松葉会、義人党(日の丸青年隊)、大日本国民党、大日本独立青年党、師魂革新同盟(名古屋)、建国青年同盟(愛知)、愛国青年同志会(和歌山)、照国会(鹿児島)。
「行動右翼」の語は暴力団が右翼に参加した1960年(昭和35年)前後から一般化した[21]。よって一部は暴力団の傘下団体(右翼標榜暴力団)である。
組織
伝統的な保守右翼、親米右翼、街宣右翼、観念右翼などとは別に、1960年代には学生運動など過激な左翼系運動の多発に対抗する形で、民族系右翼の大規模な組織化が行われた。右派学生らが立ち上げた民族派学生組織のうち、日本学生会議・日本学生同盟(2007年解散)・全国学生自治体連絡協議会などは、民族主義の立場から反米を含めた「YP体制打倒」を掲げ、大きな影響力を持った。しかし対抗勢力であった左翼の学生運動の退潮や組織の分裂により、民族派学生組織の運動も退潮し1990年代以降は目立った活動をほとんどしていない。
現在では、戦前からの系譜を引く任侠右翼や街宣右翼でも構成員数が三桁に達するところは皆無といってよい。ただし、任侠系はある程度組織が大きくなると部下に独立を促し別団体を結成させるため、個々の組織間の連携は密に取れている場合が多い。これら、任侠右翼や街宣右翼の構成員には、僅かながら在日韓国・朝鮮人が存在する組織もある[5][7][8][22][23]。
注釈
- ^ 明治初年は戊辰戦争が決着しておらず、また尊攘派や脱藩浮浪問題は解決しているとはいえず、明治新政府による天皇行幸(東行)すら新政府中枢による政治の壟断として反論が噴出する状態であった。「久留米と肥後大に関係之様子に而、浮浪をこぶし則今攘夷之議を申立、迂活之ものは大に為其惑わされ候ものも不少、随面御発輦之事を疑惑を立、宮堂上等方へ迫り建言いたし、宮堂上方もまた為其に駆使せられ頻に奔走、一時其混乱不用意」(木戸孝允書簡、明治2年3月10日)。尊王派の不穏な動きには一部の公家や脱藩浮浪が結びつく傾向があった。『東京「遷都」の政治過程』佐々木克(京都大学人文學報 1990年)[1] P.60(PDF-P.21)。二卿事件も参照。
- ^ 日本人拉致問題などでの従来の日本政府の外交政策における姿勢や中国・韓国への『謝罪外交』を弱腰、土下座外交として批判している。
- ^ 1982年(昭和57年)9月、歴史教科書問題でベトナム共産党の機関紙「ニャンザン」に日本にとって批判的とされるような記述があった
出典
- ^ 猪野健治『日本の右翼』
- ^ 「右翼―3.第二次世界大戦前の日本における右翼運動とファシズム」 小学館日本大百科全書
- ^ a b c d e f “『板垣精神 : 明治維新百五十年・板垣退助先生薨去百回忌記念』”. 一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 (2019年2月11日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ a b 2006年(平成18年)10月19日東京・外国特派員協会での講演にて。ビデオニュース・ドッドコム
- ^ a b c Paul Baylis, "Korean activist braces for `storm of fascism'"
- ^ 「今こそ日本的変格を目指す右翼民族派が立つ時」『朝まで生テレビ!激論!日本の右翼』全国朝日放送、1990年
- ^ a b 李鳳宇『パッチギ!的 世界は映画で変えられる』岩波書店、2007年(平成19年)、p192
- ^ a b 岡留安則『噂の真相25年戦記』集英社新書、2005年(平成17年)、p58。
- ^ 田中『敗因を衝く―軍閥専横の実相』中公新書。
- ^ a b 『世界大百科事典』 平凡社、2007年(平成19年)、「右翼」の項目
- ^ 『国史大事典』第2巻 吉川弘文館、1980年(昭和55年)、「右翼運動」の項目(執筆者:高橋正衛)
- ^ 「再軍備ナショナリズムの出現と展望」南基正(東北大学大学院法学研究科 渥美財団21世紀東アジア研究フォーラム)[2] (PDF) P.4
- ^ 平凡社『世界大百科事典』1988年(昭和63年)
- ^ 野村秋介、見沢知廉、四宮正貴、鈴木邦男、木村三浩など。
- ^ 安田浩一氏「在特会は崖っぷち状態まで追い詰められている」│NEWSポストセブン
- ^ 国連人権委、ヘイトスピーチ禁止勧告 日本に実行求める:朝日新聞デジタル
- ^ 法務省:ヘイトスピーチに焦点を当てた啓発活動 ヘイトスピーチ,許さない。
- ^ 東京でも「金正恩を許すな」統一日報
- ^ 「右翼思想犯罪事件の綜合的研究」。所収、今井清一・高橋正衛編『現代史資料4国家主義運動』みすず書房、1988年(昭和63年)。
- ^ 右翼学生調査に文部省着手 問題は愛国学生連盟 東京朝日新聞 1932.3.20 (昭和7)、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
- ^ 堀幸雄『戦後の右翼勢力』勁草書房、1983年(昭和58年)。
- ^ 日本を知るには裏社会を知る必要がある(菅沼光弘講演 外国特派員協会、2006年10月19日)ビデオニュース・ドッドコム2006年(平成18年)10月27日
- ^ 「今こそ日本的変格を目指す右翼民族派が立つ時」『朝まで生テレビ!激論!日本の右翼』全国朝日放送、1990年(平成2年)
- ^ 私が参加する集会は大丈夫か―右翼暴力から表現の自由をどう守るか 弁護士毛利正道
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