携帯型ゲーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 23:13 UTC 版)
歴史
1976年にアメリカにおいてマテルが世界初の携帯型電子ゲーム機「Mattel Auto Race」を発売した。同社が翌1977年に発売した『Mattel Football』はヒット商品となり、各社から様々な製品が登場した。その一部は日本にも輸入された他、日本国産のものも各種登場した。1980年に発売された任天堂の「ゲーム&ウオッチ」シリーズは日本国内1,300万台と大ヒット商品となった[3]。
当時は電子ゲームと呼ばれる携帯型ゲームが主流だった。これはゲームソフト自体が本体の内蔵部品に書き込まれており、別のゲームソフトが必要になったときには本体も含めて新しいものを購入しなければならなかった。表示装置も登場人物などの形状の点滅箇所があらかじめ決められている程度の今から見ればごく簡易的なものだった。1979年にカートリッジ交換式であり、メディア交換型の携帯型ゲーム機としては世界初である「Microvision」がMilton Bradley Company社から発売される。日本においては1985年に登場した「ゲームポケコン」が初のカートリッジ交換式ゲーム機である。
1989年に任天堂が発売した「ゲームボーイ」は安価な本体価格と熱中度の高い『テトリス』の効果で売り切れが続出するほど爆発的にヒットした[3]。そこそこの性能で安価・軽量であり、乱暴に扱われがちな携帯機器(児童向け玩具)にあって足元に落下させた程度では簡単には破損しない丈夫さや電池切れを余り気にせず利用できた[4]。1990年代半ばに入ると売上が頭打ちとなり、一時市場から姿を消す寸前までになるが『ポケットモンスター 赤・緑』を発売後、小学生を中心に広がり売上ランキングで1年以上に渡り上位にランクインし続ける大ヒットとなる。それをきっかけに市場は活気を取り戻し『マリオのピクロス』などがスマッシュヒットした。スーパーゲームボーイはスーパーファミコンを利用してゲームボーイのゲーム画面をテレビに表示させる形式を取ることで、当時のカラー液晶画面が抱えていた欠点の改善を図ったものである。また、据え置き型ゲームとのデータ連動を実現させる64GBパック、携帯電話と接続したネットワークサービスを受けられるモバイルアダプタGBなど従来にはなかった遊び方も示されるようになった。
ソフトウェア内蔵型の電子ゲームについては、いわゆる「ミニテトリス」といったキーホルダー大の商品や、1996年にバンダイの『たまごっち』が10代の女性を中心に大ヒットし社会現象にまで発展した。その後もハドソンの『てくてくエンジェル』、任天堂の『ポケットピカチュウ』を初めとする万歩計と一体化した機種などが発売された。
しかし2010年代にはスマートフォンの普及により携帯ゲーム機市場は衰退に向かった。また米国のように、もともと据え置き機やPCゲームが人気の市場もある[5][6]。その一方でSteam Deckのような携帯型ゲーミングPCや「携帯可能な据え置き機」として作られたNintendo Switchなどの新しい動きも出ている。
- ^ a b c 携帯ゲーム機とは
- ^ 「コンピュータ・ゲーム(2012年7月8日時点のアーカイブ)」 Yahoo!百科事典(日本大百科全書)、2010年10月30日閲覧。
- ^ a b 日本貿易振興機構 - 日本のテレビゲーム産業の動向 (PDF) (2011年4月9日時点のアーカイブ)
- ^ “ソーシャルゲームの先駆者” ゲームボーイ発売25周年を迎え、海外メディア改めて絶賛
- ^ 米国ではゲーマーの多くが据え置き型ゲーム機やPCでゲームを楽しんでいる
- ^ ゲーム機の覇権はiOSへ…? 2013年のQ1、iOS単体のゲーム売り上げが専用携帯ゲーム機の合計を上回る
- ^ アプリケーション(2015年11月9日時点のアーカイブ)
- ^ PS4のポータブル版がついに登場!?
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