悪魔の詩訳者殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 18:36 UTC 版)
概要
1991年(平成3年)7月12日、筑波大学助教授の五十嵐一が同大学筑波キャンパス人文・社会学系A棟7階のエレベーターホールで刺殺されているのが発見された。司法解剖の結果、11日の午後10時頃から12日の午前2時頃までの間に殺害されたものと断定された[2][3]。遺体の首には、左に2カ所、右に1カ所の傷があり、いずれも頸動脈を切断するほどの深さで、「イスラム式の殺し方」とされる。また、右側の胸や腹など3カ所に及んだ刺し傷は、一部肝臓にまで達していた[3]。また、現場からO型の血痕(五十嵐の血液型とは一致しないため、犯人のものとされた)や犯人が残したとみられるカンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。
犯人はエレベーターの使用を避け、階段で3階まで降りて非常階段から逃走しており、その後の消息は杳として知れなかった[3]。
五十嵐は、1990年(平成2年)にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語訳している。1989年2月にイランの最高指導者、ルーホッラー・ホメイニーは、同書が反イスラーム的であるとして、ラシュディや発行に関わった者などに対する死刑を宣告するファトワーを発令していたため[4]、事件直後からイスラム教との関係が取り沙汰されていた。
15年後の2006年(平成18年)7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し、未解決事件となった。外国人犯罪説が有力な当事件では、実行犯が外国に渡航したと仮定した場合、公訴時効は成立していないことになるが、茨城県警察つくば中央警察署[5]は証拠品として保管していた被害者の遺品を五十嵐の遺族である五十嵐雅子に返還している。
- ^ “「悪魔の詩」を訳し惨殺された大学助教授、自分の死を予言?意外な犯人の噂【未解決事件ファイル】newspaper=エキサイトニュース”. (2019年6月1日) 2020年7月10日閲覧。
- ^ 立花書房編『新 警備用語辞典』立花書房、2009年、14-15頁。
- ^ a b c d “迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント【平成の怪事件簿】”. デイリー新潮 (2019年4月29日). 2019年9月29日閲覧。
- ^ a b c 長島平洋「諷刺の笑いとその応答 : 不敬罪を軸にII」『笑い学研究』第18巻、日本笑い学会、2011年、3-13頁、doi:10.18991/warai.18.0_3。
- ^ 2020年(令和2年)3月2日に、つくば北警察署と統合し、つくば警察署となっている。
- ^ 『ザ・パージァン・パズル』小学館、2006年
- ^ 麻生幾「「悪魔の詩」殺人 国家が封印した暗殺犯」『文藝春秋』2010年10月号
- ^ 悪魔の詩出版記者会見襲撃事件を起こしたパキスタン人の男性は、五十嵐事件の前年に既に強制送還されている。
固有名詞の分類
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