幸福会ヤマギシ会 沿革

幸福会ヤマギシ会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 10:01 UTC 版)

沿革

創成期

山岸巳代蔵が提唱する理念を実践するための団体(社会活動実践母体)として、1953年(昭和28年)に発足[5]。同年、山岸式養鶏普及会発足[152][153]。山岸巳代蔵は鶏糞による米の増産と、そのころまだ貴重であった鶏卵の増産を目指す篤農家であった。1956年(昭和31年)には「養鶏の秘匿公開」を謳い文句に第1回の特別講習研鑽会が開かれた[154]。巳代蔵は養鶏技術を伝授することに積極的ではなく、むしろ難解な言葉を使って精神論を説くことに熱心であった。そのため離脱者が多く現れる一方、熱心に耳を傾ける者も現れた[155]。巳代蔵から秘匿技術を明かされたという会員の一人によると、巳代蔵が出し惜しみした技術は驚嘆するような内容ではなかったが、密かに伝授された秘密を共有することで信奉者間の連帯感が強まったという[156]。後に秘匿技術を知る者は「理想社会の真髄を知る者」として会の指導者的立場に立つことになる[157]1956年に第一回特別講習研鑽会が開催され、同年および翌年の特別講習研鑽会への参加者はあわせて4500名を超えたという。創成期のメンバーの生活は、「昼食は全員甘藷」「醤油なし、おかずなし」というほどどん底にあえいだこともあったという。その苦悩ぶりを知る証言が、『Z革命集団・山岸会』のなかに記述されている。

成長期

1959年頃の山岸会の活動

1958年(昭和33年)「百万羽科学工業養鶏」構想が発表され28名が参画する。その3ヵ月後には三重県阿山郡伊賀町にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が発足。

1959年(昭和34年)7月、特別講習研鑽会の受講者を監禁したり、ニセ電話で家族を呼び出して強制的に受講させていたとして幹部12名が監禁・脅迫の疑いで逮捕される(山岸会事件[158][159]後述)。この事件はマスコミによって大きく取り上げられ、会のネガティブなイメージが全国に広まった[160]。しかし一方で事件後、左翼系文化人による「思想の科学」の支持を得る[161]。山岸巳代蔵はもともと、アナキズムマルクス主義に影響されたことのある人物であった[162]

1961年(昭和36年)5月、巳代蔵が他界。会の指導者の地位は杉本利治に引き継がれた[163]。同年「ヤマギシズム中央調整機関」、「ヤマギシズム研鑽学校」が発足。その後1968年(昭和43年)頃より始まった全共闘時代にコミューン運動としてヤマギシが捉えられ、従来の農家出身者に代わり、学生運動経験者などの先鋭的な左翼思想を持った若者が多数加入した。特講を受講した哲学者の鶴見俊輔は、ヤマギシ会にベトナム戦争の脱走アメリカ兵を長い間預かってもらったと語っている。

山岸会事件の影響から会は「冬の時代」を迎えたが、1970年代に「自然食品を生産するコミューン」として再び注目を集めるようになり[164]、自然食ブームに乗って生産物の流通体制を整えていった[165]。以降1990年代まで会の経済規模は拡大を続け[166]、その一方で生産に携わる会員は幹部からの指示を全面的に受け入れ、長時間労働することを余儀なくされていった[167]。同じく1970年代には学生運動に挫折した者[168]や「コミューン志向の学生」[169]が会に参画した。ジャーナリストの斎藤貴男によると、1970年前後には革命運動に挫折した全共闘の学生が「最後のユートピア」を求めて大量に流入したという[161]

1980年代には「心あらば、愛児に楽園を」と謳い、子育てや教育への不安や関心を背景に一部の教育者や子供をもつ者からの支持を得、発展を遂げた[170]。1983年から1990年にかけて10の社会実顕地 が新たに建設され[117]、1984年に子供を除き740名であった社会実顕地への参画者は1995年には2270人にまで増加した[117]。その一方、社会実顕地内では1979年9月に食事や入浴の作法など生活の細部にわたる「生活法」が定められ[171]、さらに1980年代に入り「真実の生き方に酒・タバコは必要ない」として禁酒禁煙が言い渡されるなど、規律が強化されていった[117]。「ハイでやります」「よく聞いてその通りやります」というスローガンが掲げられ、規律に従わない参画者は「何故その通りやらないのだ」と昼夜を問わず「研鑽」の対象となった[172]

退潮・内閉

1980年代以降、ヤマギシ会は社会から好意的にみられ[173]1986年以降[要出典]は百貨店における生産物の販売も始まっている。しかし1994年(平成6年)にヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」[† 21]を結成し、幸福会ヤマギシ会が抱える負の側面を告発すると[174]、会に対する批判や疑惑を取り上げるメディアが続出した[175](なお、「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成前の1991年8月、4000人が参加した「子ども楽園村」の開催中に幼児が送迎バスのなかに放置されたまま死亡する事故が起こり、マスコミによって報道されている[要出典])。1995年以降、同会に対し10件を超える訴訟が提起され、原告側は「被告法人」が「理事・幹部による参画者に対する支配管理」、「監視の常態化」、「日々の研鑽という名目の参画者に対するマインドコントロール」によって「参画者の思考停止状態を維持し、物言わぬ労働ロボットを生産している」と訴えた[176]

さらに、「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成と時を同じくしてオウム真理教が起こした事件の捜査が進展し、幸福会ヤマギシ会を同種の危険なカルト集団として批判する風潮が生まれた[177]1994年(平成6年)に500名いた年末年始の特別講習研鑽会(正月特講)への参加者は、1995年(平成7年)に400名、1996年(平成8年)に130名、1998年(平成10年)に20名と減少を続けた[177]。幸福会ヤマギシ会が生産する農産物の売り上げについても、幹部が減少を認めるに至った[178]

加えて1997年(平成9年)には国税局の税務調査を受け、書類上でのみ支給され実際には支払われず組織内の機関にプールされていた社会実顕地参画者に対する給与[† 22]について贈与にあたると指摘され、200億円の申告漏れを理由におよそ60億円の追徴課税が課された[179]

幸福会ヤマギシ会は1998年(平成10年)10月、「村から街へ」をスローガンに、「中高年は20代30代の若者のために、実顕地を出て街で暮らそう」と呼びかけ、40歳以上の参画者を「出精平使」と称し外部社会に送り出す方針を打ち出した[180]。さらに実顕地の中では、「子供が〈学園〉でやれなくなった場合、親は子供と一緒に村を出る」という不文律が布かれ[181]、離村勧告の対象となりうる矯正機関への入所者を増やす[182]など、参画者を増やすよりも減少させる動きを見せるようになった[182]。近藤衛によると、1999年(平成11年)に約2150名だった参画者は、2001年(平成13年)1月には子供を除き1700名にまで減少した[183]。実顕地の閉鎖や統合も進んでいる。こうした動きについて近藤は、集団農場の経営効率化策だと分析[184]するとともに、会が内閉期[† 23]に入ったと指摘している[186]

村岡到『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』によると、外部からの批判を受け幸福会ヤマギシ会は以下のような改善を行ったという[187]

  1. 1998年4月から、学校に通う子どもが朝食を摂れるようになった(それまでは二食)。
  2. 1999年からメンバーに月1万円の小遣いを支給するようになった。
  3. 1999年春からは、「ヤマギシズム学園高等部」に進学した者が通信制高校に入学できるようになり、翌年春からは、全日制高校にも入学できるようになった。
  4. 2000年2月からは「もっと親が子育てに関わった方が良いのではないか」ということになり、夕食は親と一緒にするとか、毎週末には親とともに過ごすようになった。
  5. 飲酒についてもほぼ全面禁酒からほどほどに飲酒する人も増えてきた。
  6. 脱退者への「返金」についても、出資金に応じて生活準備金を用意するようになった。

島田裕巳は、「ヤマギシ会は日本企業の究極形?」と題した文章を書いている[188]

2010年代以降、農業エコ・ヴィレッジの先駆者としての注目を浴びている[要出典]


注釈

  1. ^ 正確には、各地にある「ヤマギシズム社会実顕地」(後述)がそれぞれ農事組合法人として登記されている[3]
  2. ^ ヤマギシズムは「山岸主義」を意味し、山岸巳代蔵が発見したとされる真理・理想を指すが、具体的な内容については不明である[8]
  3. ^ フリーライターの近藤衛は、会員を「特講を受けた後、なんらかの会の活動をする人々」と定義している[13]
  4. ^ 近藤衛によると、生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する。また、実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることはない[16]
  5. ^ 一例として、三重県津市にある「豊里ファーム」での販売がある[17]
  6. ^ 1967年生。山岸巳代蔵に関する文献を読んだのをきっかけに幸福会ヤマギシ会に関心を抱き、1995年に特別講習研鑽会を受講。さらに同会の実態を外部者の立場から調査するべく[21]、1999年の春から12月にかけて目的を隠してヤマギシズム社会実顕地に参画した。
  7. ^ 近藤衛は、特別講習研鑽会の受講経緯の「古典的な類型」のひとつは、幸福会ヤマギシ会の謳う「低コストで卵商売ができる養鶏技術に釣られ」、「金もうけが目的でヤマギシ会に近づき、特講を受けると熱烈なユートピアンに変幻」するパターンであるとも述べている[24]
  8. ^ 具体的には、何らかの「提案」があると「研鑽」が行われ、物事が自然と正しい方向へと「調正」されるということに理論上なっている[31]
  9. ^ 近藤衛によると、受講中は着替えや洗面用具を除き、貴重品や身分証明書を含め所持品は幸福会ヤマギシ会側に預ける(ただし、タバコは許される)[44]
  10. ^ 米本は、受講者は「自ら変化した素晴らしい体験」として特講をとらえていると分析している[72]
  11. ^ 米本は、特別講習研鑽会の目標に「感情……等に執着する心を放ち(一応棚上げして)」という一文があることに着目し、「それ以外にはない」はずの答えが進行役に受け入れられないという矛盾に受講者が苦痛を感じ、矛盾から逃れようとすることで脳の状態に変化が生じ、「特講の目標がするりと脳のどこかに入り込」む可能性を指摘している[78]。そして米本は進行役が同じ質問を執拗に繰り返したことについて、「理屈をわからせるために十数時間も延々と同じ質問を発していたのではないはずだ。実際に特講性の脳に変化が訪れ、感情の神経回路が遮断されることを期待して、執拗に同じ問いを繰り返していたとしか考えられない」と推測している[79]
  12. ^ 米本和広は豊里村実顕地において、参画者が「私の身体だって私のものではない」と発言するのを聞いたとしている[99]
  13. ^ a b 近藤は脱退にあたり「世話係」から「自分勝手に働いていたことにし、脱退後に給料を要求しない」よう求められたという(近藤2003、284頁。)。
  14. ^ 米山はこれについて「ヤマギシが目指す社会は『法に縛られぬ社会』、『権利・義務のない社会』である。しかし、この通達では法律に定められた権利は主張し、分割割合分相当の遺産はきちんと相続しろというのだ」と矛盾を指摘している[106]
  15. ^ 近藤衛によると、ある住人が「世話係」に人間関係の希薄さを訴えたところ、「実顕地は他人や関係面(人間関係のこと)を観る場所ではない」と返答されたという[110]
  16. ^ 米本和広によると、参画者の労働時間は年間4000時間弱で、日本における平均の2倍近い長さである[112]
  17. ^ 近藤衛によると、山岸巳代蔵は外部社会を「百鬼夜行の陰惨な、混濁世界」と表現した[128]。近藤自身も生活実顕地で暮らす中で外部の人間の「獣性」について語る参画者を目撃したという[128]
  18. ^ 米本和広によると、豊里村実顕地の最初期のメンバーは外部社会の人間を「外のバイ菌と」表現した[129]
  19. ^ 米本和広は豊里村実顕地において、参画者が「私の子どもだって私のものではない」と発言するのを聞いたとしている[99]
  20. ^ a b ちなみに創立者の山岸巳代蔵の出身地は滋賀県蒲生郡老蘇村安土町を経て現在は近江八幡市)であるが、それとの関連は不明である。
  21. ^ 1993年、元実顕地参画者の松本繁世が雑誌『自然生活』(野草社)に「私の見たヤマギシズム社会の実態」を発表したことをきっかけに、1994年に松本を代表として発足。「ヤマギシズムという思想・運動の批判的な検討、またそのためのヤマギシ会の歴史の検証」などを目的とする。なお1996年には米本和広や学園生の家族によって「ヤマギシ会の子どもを救う会」が結成されている。
  22. ^ a b 建前上、参画者は農事組合法人の被雇用者である(近藤2003、287頁。)。
  23. ^ 宗教学者の島田裕巳は、幸福会ヤマギシ会が発足以降、外部社会と積極的に関わり勢力を拡大しようとする時期と、外部社会との接触を断ち内に閉じこもろうとする時期を繰り返してきたと分析している[185]
  24. ^ この点についてヤマギシズム学園側は、「学園に入れば、何だってできるような力がつく」としているが、米本和広によると現実には中卒の肩書しかもたない学園出身者にとって職業の選択肢は極めて限られている[196]
  25. ^ ヤマギシズム学園事務局は米本の取材に対し、学園設立の目的は「革命の後継者づくり」にあるとコメントした[207]
  26. ^ ヤマギシズム学園事務局は米本の取材に対し、体罰の行使を認める発言をしている[208]
  27. ^ 米本和広は、転校により広島弁護士会の調査対象をなくすことがヤマギシズム学園側の狙いであったと推測している[212]

引用

  1. ^
    小田「たとえばおれみたいな怠け者で酒のみがいて、毎日、毎日、グータラグータラと酒を飲んで何もしなかったらどうするんや」
    村人「べつに困りまへんで。あんたも入れて、みんなで話し合いしますのや。そうすると、あんたもお酒をそないにのまんようになる」
    小田「すると説得されるわけやな」
    村人「説得やおまへん。人を説得すると、必ずカドがたちます。あんたの心に、畜生、うまいこと言いまかされてしもた、という気持ちが残ります。それが、あんた、この世界の争いのもとですで。『説得』とちごうて、わてらのは『納得』です。話し合っているうちに(もちろん、あんたの意見もちゃんときくんでっせ)あんたもフウーンとうなずくようになる。それでっせ、わてらのヤマギシズムの根本は。」 — 米本和広、米本1997、45頁。米本1999、50頁。

出典

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