小山久二郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 16:01 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動略歴
愛媛県松山市生まれ[1]、温泉郡南吉井村(現東温市)出身[2]。法政大学中退。岩波書店を経て、1933年に小山書店を設立する。1941年に下村湖人『次郎物語』がベストセラーとなる。
戦後、三木清『読書と人生』、出隆『哲学以前』などを出版し、1950年に発行した伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつ文書として告発される(チャタレー事件)。1957年、最高裁判決で有罪とされ罰金刑を受ける。のち、赤ちゃんとママ社を設立する。
チャタレー事件
チャタレイ夫人の恋人が摘発、起訴された際には次のコメントを残している。
人物
安倍能成が小山について以下のように語っている。[4]
『(略)ほめて言えば天才的というのかも知れないけれど、まこと変幻きわまりなく、ある時には殿さまのような生活をしているかと思うと、ある時には破産して赤貧洗うが如き状態になっていたり、またカムバックしたりしている。私のような凡人にはまことに附き合いにくい男(略)』
著書
- 『ひとつの時代-小山書店私史』(六興出版、1982)
参考
- kotobank > 小山久二郎とは
- 『現代人名情報事典』(平凡社、1987)
外部リンク
- 1 小山久二郎とは
- 2 小山久二郎の概要
- 小山久二郎のページへのリンク