宮城県立光明支援学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 08:42 UTC 版)
概要
知的障害児を主な教育対象とする。学区が定められており、仙台市青葉区全域および宮城野区・若林区・泉区の各区のうち、国道4号仙台バイパスより西側に居住している[1]児童・生徒等を対象としている。
このため、仙台市周辺部では、本校をはじめとして、知的障害を教育領域とする特別支援学校1校当たりの児童生徒数が過密状態となっている。
児童生徒の逼迫対応として、2013年度より、小学部3・4年生の一部を分割して長命ヶ丘分教室を開設(翌年に、新設の宮城県立小松島支援学校へ併合)、2014年度には、小学部そのものを別棟対応とした。
児童生徒の障害に応じた課程
- A課程 - 主に、重症心身障害を含む重複障害を有する児童・生徒が対象。すなわち、特別支援学校教諭教育職員免許状で定められる5教育領域中、2つ以上の障害を有するケースが相当(狭義の重複障害)。
- B課程 - 主に、障害自体が知的障害単独(ただし、自閉症・ダウン症などを併せ有するケースを含む)である児童・生徒が対象。すなわち、広義の重複障害の児童・生徒も対象。
学部
- 小学部…2014年度より、別立地(宮城県仙台市泉区南中山五丁目3番1号、旧・宮城県特別支援教育センター跡地に所在)。
- 中学部
- 高等部
沿革
- 1961年 - 精神薄弱児入所施設「小松島学園」発足。同日、宮城県が仙台市立五城中学校・仙台市立小松島小学校の両校に教員を派遣する形で、前身となる分教室を両校に設置。
- 1962年 - 小松島学園の建物を仮校舎とする形で、宮城県立光明養護学校開校。
- 1971年 - 高等部設置。
- 1974年 - ほたる学園分校開設(後の宮城県立金成支援学校)。
- 1976年 - 重度重複学級(訪問学級)設置
- 1977年 - 石巻分教室を石巻市立湊小学校内に開設(後の宮城県立石巻支援学校)。
- 1978年
- - 宮城県立金成養護学校の開校に伴い、ほたる学園分校閉校。
- - 角田分校を社会福祉法人はぐくみ学園内に開設。(後の宮城県立角田支援学校)
- - 石巻分教室を石巻分校に改組の上、石巻市立山下小学校内に移転。
- - 名取分教室を名取市立増田小学校内に開設(後の宮城県立名取支援学校)。
- - 亀亭園分教室を県中央児童館内に開設。
- 1979年
- - 亀亭園分教室を向山分校に昇格。
- - 泉分教室を泉市立将監小学校内に、塩竈分教室を塩竈市立第三小学校内にそれぞれ設置(後の宮城県立利府支援学校の母体)。
- 1981年
- - 名取分教室を名取市高舘に移転。
- - 校歌制定。
- 1982年
- - 宮城県立角田養護学校の開校に伴い、角田分校閉校。
- - 石巻分校を石巻市立湊小学校内に移転。
- 1983年 - 宮城県立石巻養護学校の開校に伴い、石巻分校閉校。
- 1985年 - 名取分教室を名取分校に昇格。
- 1987年 - 宮城県立名取養護学校の開校に伴い、名取分校閉校。
- 1989年 - 宮城県立利府養護学校の開校に伴い、泉分教室および塩竈分教室閉校。
- 1993年 - 向山分校閉校。
- 1994年
- 1999年 - 高等部重複学級・訪問教育認可。
- 2009年 - 宮城県の条例改正により、校名を「宮城県立光明支援学校」に変更。
- 2013年 - 仙台市立長命ヶ丘小学校内に長命ヶ丘分教室を開設。同分教室内に、宮城県立小松島支援学校(当時、仮称)開校準備室を設置。
- 2014年 - 宮城県立小松島支援学校開校に伴い、長命ヶ丘分教室を同支援学校に併合。当校側は、小学部を近隣の建物(旧・宮城県特別支援教育センター跡地を改修)に移転し、別立地となった。併せて、名取・利府(富谷校を含む)・古川の3支援学校(プラス利府支援富谷校)を含めた5校による通学区再編を実施。
教育理念
- 「この子らに光明を」・「この子らを光明に」
- ^ 仙台市太白区全域と若林区のうち、国道4号仙台バイパスより東側に居住している児童・生徒は宮城県立名取支援学校、仙台市宮城野区・泉区の各区のうち、国道4号仙台バイパスより東側に居住している児童・生徒は宮城県立利府支援学校(ただし、利府支援学校の学区にあたる泉区の小学部の児童の一部は、富谷校)がそれぞれの学区校となる。
固有名詞の分類
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