大多和新輔 大多和新輔の概要

大多和新輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 09:37 UTC 版)

大多和 新輔
生誕 1869年12月6日
周防山口藩
死没 (1933-11-25) 1933年11月25日(63歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1891年 - 1923年
最終階級 陸軍中将
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経歴・人物

長州藩士・大多和篤義の長男として長門国(現・山口県)に生まれ、1913年大正2年)家督を相続する[1][3]1890年(明治23年)陸軍士官学校第1期卒業[4][5]。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[6]

歩兵第1連隊附、陸軍戸山学校教官、陸軍省軍務局課員を経て、1911年(明治44年)8月に陸軍歩兵大佐歩兵第22連隊長に任官[1][3][5]

ついで、1916年(大正5年)8月に陸軍少将・歩兵第26旅団長を経て、1919年(大正8年)11月に浦塩派遣軍兵站監長に補任され、志岐守治中将に代わり、撤兵まで勤務した[2][4][5]

その後は、1920年(大正9年)8月に陸軍中将を経て、1920年(大正9年)9月に第11師団留守司令官に転じ、1922年(大正11年)8月に待命、1923年(大正12年)3月に予備役に編入した[4][5]

栄典

位階
勲章

親族

  • 父:大多和篤義(陸軍軍人、西南戦争に大尉として従軍。のち萩町長)
  • 妻:大多和ウタ(陸軍軍人・守永薫の次女)[3]

脚注

参考文献


注釈

  1. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』によると12月25日。

出典

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『大多和新輔』 - コトバンク
  2. ^ a b 福川 2001, 153頁.
  3. ^ a b c d 人事興信所 1915, オ102頁.
  4. ^ a b c 福川 2001, 154頁.
  5. ^ a b c d 外山 1981, 93頁.
  6. ^ 外山 1981, 91頁.
  7. ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
  8. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  9. ^ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
  10. ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
  11. ^ 『官報』第2434号「叙任及辞令」1920年9月11日。
  12. ^ 『官報』第2046号「叙任及辞令」1919年5月31日。


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