大多和音吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/08 14:42 UTC 版)
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大多和 音吉(おおたわ おときち[1]、1887年(明治20年) - 1957年(昭和32年)5月)は、日本の教育者。松江ミシン裁縫女学院(現・開星中学校・高等学校)創設者[2][3]。広島県出身[4]。
経歴
千葉県の道徳科学研究所専攻科卒[5]。海軍入隊の後、妻のタカとともに1924年、島根県松江市中原町に「松江ミシン裁縫女学院」を設立。道徳教育を根本として、経済的に自立できる女性の育成を目指す[6]。校主、理事長として経営にあたり、同校は「松江洋裁女学校」「松江家政高等学校」「松江第一高等学校」などの校名変更を経て1994年より、開星中学校・高等学校となっている[3][7]。
脚注
参考文献・ウェブサイト
- 大高利夫 『学校創立者人名事典』 日外アソシエーツ、2007年7月。ISBN 978-4-8169-2058-5。
- 学校法人 大多和学園|開星中学校・高等学校 - 学校概要:略史
外部リンク
- 大多和音吉のページへのリンク