大多和與四郎とは? わかりやすく解説

大多和與四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
大多和與四郎

大多和 與四郎(おおたわ よしろう、1880年明治13年) - 1938年昭和13年))は、伝染性紅斑(通称:リンゴ病)を日本で初めて発見したとして知られる千葉県白子町(旧 関村)の医学者

相模国三浦一族の流れをくむ大多和忠右衛門(旧関村初代村長)の四男。関小学校、旧制千葉中学校旧制第七高等学校九州帝国大学医学部(旧 京都帝国大学福岡医科大学)を卒業し、同大学附属病院で内科医小児科医として勤務した。

1912年(大正元年)に、当時小学校低学年の子供に流行していた頬が赤くなる奇病「りんごほっぺ病(伝染性紅斑)」はウイルス性疾患であることを日本で初めて発見し、医学雑誌(第5病の2例. 児科雑誌, 149: 721-730, 1912)に報告した。

1914年(大正3年)、高等学校時代を過ごした鹿児島市桜島大噴火に身舞われたため、同窓の内田孝蔵、諸岡存、飯島博と共に同地を訪問し救護に当たった。

1915年(大正4年)、関村に大多和医院を開設。

1937年(昭和12年)に、大正3年当時を述懐した「大正三年桜島噴火探検二十五週年追憶記」を出版した。

参考文献

関連人物


大多和 與四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:27 UTC 版)

「大多和與四郎」の記事における「大多和 與四郎」の解説

1938年昭和13年))は、伝染性紅斑通称:リンゴ病)を日本初め発見したとして知られる千葉県白子町(旧 関村)の医学者

※この「大多和 與四郎」の解説は、「大多和與四郎」の解説の一部です。
「大多和 與四郎」を含む「大多和與四郎」の記事については、「大多和與四郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大多和與四郎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大多和與四郎」の関連用語

大多和與四郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大多和與四郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大多和與四郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大多和與四郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS