大多和勝直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/18 09:15 UTC 版)
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時代 | 江戸時代初期 |
生誕 | 慶安元年(1648年) |
死没 | 享保8年6月21日(1723年7月22日) |
別名 | 通称:与次→惣兵衛 |
主君 | 毛利綱広→吉就→吉広→吉元 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 大多和氏 |
父母 | 父:大多和就勝 |
大多和 勝直(おおたわ かつなお)は、江戸時代初期の武士。毛利氏の家臣で長州藩士。父は大多和就勝。
生涯
慶安元年(1648年)、長州藩士である大多和就勝の子として生まれ、毛利綱広、吉就、吉広、吉元の4代に仕える。
享保5年(1720年)頃に『閥閲録』が編纂された際に、高祖父の大多和就重から勝直までの大多和氏の家譜と書状類を提出し、巻123に「大多和惣兵衛」として収められた。
参考文献
- 『萩藩閥閲録』巻123「大多和惣兵衛」
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