国分氏 (陸奥国) 秋田伊達家

国分氏 (陸奥国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 04:10 UTC 版)

秋田伊達家

盛重とその養子からなる子孫は伊達氏を名乗って代々佐竹氏に仕え、秋田伊達家となった。なお、秋田武鑑では石高1,000石で後に527石、家格引渡二番坐。佐竹東家出身の養子宣宗以降は実質的に佐竹一族色が濃い。

出羽秋田藩(久保田藩)家老や相手番を勤めたことや、菩提寺は白馬寺、家紋は九曜紋[注釈 11]処宗の次男と敦重の次三男が国分氏を称したのが確認できる。また、「三百藩家臣人名事典」では国分姓を嫡子以外の男子に伝えたとある。

元和8年(1622年)の大眼宗の指導者厳中の捕縛に失敗して宣宗の代で一旦断絶となるが、息子の隆宗が家名再興を許されて再興。

秋田武鑑で確認できる歴代当主は以下の通り。尚、宣宗以降の歴代当主は佐竹氏宗家当主より偏諱の授与を受けており、< より右側、太斜字 の人物が1字を与えた人物である。原則的に通字は「」(むね)。

  1. 伊達盛重(三河守)
  2. 伊達(左門。実は佐竹義久(中務大輔)三子) < 佐竹義宣
  3. 伊達(外記) < 佐竹義隆
  4. 伊達時(時)(一十郎) < 佐竹義處(義処)
  5. 伊達宗(宗)(備前。実は佐竹義秀(中務)四子で秋田新田藩主佐竹義道叔父。相手番を勤める) < 佐竹義處
  6. 伊達(備前。佐竹義敦の家老) < 佐竹義峯
  7. 伊達(外記。相手番を勤める) < 佐竹義敦
  8. 伊達(外記。敦宗弟。相手番を勤める) < 佐竹義敦
  9. 伊達宗(彦九郎。敦重の子。) < 佐竹義和

系譜

同時代的史・資料に現れる国分氏の人物

佐久間義和「平姓国分系図」に見える系統

兄弟、注記まで含めた詳しいものは、胤通から盛重の曾孫までに限り、(佐々木 1950, §.「中世の仙台地方」)に収録されている。

  1. 国分胤通
  2. 国分胤茂
  3. 国分胤重
  4. 国分胤光
  5. 国分重胤
  6. 国分盛胤
  7. 国分胤輔
  8. 国分胤経
  9. 国分盛経
  10. 国分盛忠
  11. 国分盛行
  12. 国分盛綱
  13. 国分胤実
  14. 国分宗政
  15. 国分盛氏
  16. 国分盛顕
  17. 国分盛重

古内氏所蔵の「平姓国分系図」に見える系譜

  1. 国分胤通
  2. 国分胤継
  3. 国分常通
  4. 国分常治
  5. 国分忠治
  6. 国分忠清
  7. 国分重清
  8. 国分重氏
  9. 国分重隆
  10. 国分常隆
  11. 国分重頼
  12. 国分忠頼
  13. 国分常信
  14. 国分常政
  15. 国分宗政
  16. 国分盛氏
  17. 国分盛重

系図

脚注


注釈

  1. ^ 棟札そのものを調査した文は、(仙台市史編さん委員会 1995)では資料番号256(372頁)、284(381頁)、327(402頁)にある。神社がある芋沢村が『安永風土記書出』の一部として安永3年(1774年)7月に記した報告の控えは、『宮城町誌』史料編(改定版)202-203頁にある。これらを長沼氏・郷六氏・国分氏をつなげる根拠とするのは、(平 1989, pp. 16–17)、(仙台市史編さん委員会 2000, pp. 218–221)である。
  2. ^ 仙台市若林区南小泉。江戸時代初期の若林城の前身か、付近にあったと推測される。
  3. ^ 仙台市太白区大年寺山にあった城。
  4. ^ 佐々木慶市(「中世の仙台地方」・『宮城県史』・「国分氏について」)と紫桃正隆(『みやぎの戦国時代』[15])が国分氏の宮城郡拝領を認める。(仙台市史編さん委員会 2000, p. [要ページ番号])は不明とする。
  5. ^ 佐々木慶市、2000年刊『仙台市史』等が長沼氏と推定するが、紫桃正隆は結城氏系の可能性を指摘する。平重道「藩政時代以前の宮城町」は両方から入った可能性を見る。
  6. ^ この白石氏は地名でいうと今の泉区根白石で、今の白石市にいた白石氏とは異なる。
  7. ^ このほか御落胤事件あり。 享保6年(1721年)、国分荘七北田の国分盛春(川村玄硯)という医者が、盛重と国分盛廉の娘の男児、盛廉の娘に仕えた女性が政宗の妾となって生まれた落胤双方の血を引く(つまり政宗の孫で盛重の曽孫)と名乗り出て証拠となる物を提示し、仙台藩に相応の扶持を求めた。 藩は十数年の詮議の末、これを偽者と結論づけ、磔刑、親族らも遠島に処した。(『伊達治家記録』)
  8. ^ 1655年平塩熊野神社妙法堂を平塩寺と改めた際住職として迎えられたという。
  9. ^ なお、「秋田武鑑」では実永は奥州覚性院開基で盛重の弟ともある。
  10. ^ 通称は主膳。特に伊達忠宗に重用された。
  11. ^ 九曜は国分氏の家紋。 仙台藩祖政宗によって伊達氏でも裏紋のひとつに加えられたが、 古くから国分氏、相馬氏などを含め千葉氏の流れを汲むと伝わる家などの代表的な紋として知られていた。 なお、政宗はのちにこの紋を片倉景綱(小十郎)に与えている。

出典

  1. ^ a b 太田 1934, p. 2279.
  2. ^ 丹羽 1970, p. 143.
  3. ^ 佐々木 1950, p. 232, §.「中世の仙台地方」.
  4. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 368.
  5. ^ 『伊達正統世次考』4応永9年条[4]
  6. ^ 田辺 1975a, p. 7, §.巻之一府城「仙台城」.
  7. ^ 平 1989, pp. 15–16, §.「藩政時代以前の宮城町」.
  8. ^ 佐々木 1950, pp. 230–232, §.「中世の仙台地方」.
  9. ^ a b 仙台市史編纂委員会 1953, p. 77.
  10. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 235.
  11. ^ 太田 1934, p. 2280.
  12. ^ 仙台市史編纂委員会 1953, p. 87.
  13. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 248.
  14. ^ 紫桃 1993, pp. 258–260.
  15. ^ 紫桃 1993, p. [要ページ番号].
  16. ^ 『白川文書』。(宮城県 1987a, p. 203)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 49)に「沙彌某等施行状」として、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 356)に「奥州管領府奉行人連書奉書」として収録。
  17. ^ 『白川文書』。(宮城県 1987a, p. 350)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 50)に「大崎家兼安堵状」、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 357)に「斯波家兼預状」として収録。
  18. ^ a b 仙台市史編纂委員会 1953, p. 75.
  19. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 233.
  20. ^ 『奥州余目記録』[18][19]
  21. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 232.
  22. ^ 『奥州余目記録』[18][21]
  23. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 239.
  24. ^ 『奥州余目記録』。[9][23]
  25. ^ 『相馬文書』。(宮城県 1987a, p. 203)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 53)に「大崎直持宛行状」として、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 359)に「斯波直持宛行状」として収録。
  26. ^ 宮城県 1987a, p. 390.
  27. ^ 以上各氏は『国分文書』の「佐藤純粋書状」[26]平重道「藩政時代以前の宮城町」23頁。
  28. ^ 仙台市史編纂委員会 1953, p. 80.
  29. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, pp. 239–240.
  30. ^ 仙台市史編さん委員会 2000, pp. 321–322.
  31. ^ 『奥州余目文書』[28][29][30]
  32. ^ 宮城県 1987a, p. 389.
  33. ^ 『留守文書』。(宮城県 1987a, p. 388)、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 375)に「留守景宗宛行状写」としてある。
  34. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 380.
  35. ^ 『伊達正統世次考』8下[34]
  36. ^ 宮城県 1987a, p. [要ページ番号].
  37. ^ 仙台市史編さん委員会 2000, p. 363.
  38. ^ 『伊達正統世次考』[37]
  39. ^ 宮城県 1987a, p. 394.
  40. ^ a b 仙台市史編さん委員会 1995, p. 419.
  41. ^ 『国分文書』[39][40]
  42. ^ a b 宮城県 1987a, p. 393.
  43. ^ 『性山公治家記録』3天正5年[42][40]
  44. ^ 佐久間「平姓国分系図」[42]
  45. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)402-403頁[要文献特定詳細情報]
  46. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)410頁[要文献特定詳細情報]
  47. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)412頁[要文献特定詳細情報]、同通史編3(近世1)56-57頁。
  48. ^ 佐久間義和『奥羽観蹟聞老志』巻之六、『仙台叢書奥羽観蹟聞老志』上巻202頁。
  49. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)418-419頁[要文献特定詳細情報]
  50. ^ 「秋田県公文書館蔵『国分文書』」所収「覚性院納所浄光房口上書」、「覚性院澄祐覚書」。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国分氏 (陸奥国)」の関連用語

国分氏 (陸奥国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国分氏 (陸奥国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの国分氏 (陸奥国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS