国分氏 (陸奥国) 国分盛重の入嗣と国分氏滅亡

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国分氏 (陸奥国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 04:10 UTC 版)

国分盛重の入嗣と国分氏滅亡

天正5年(1577年)に、国分氏は伊達晴宗の子、輝宗の弟にあたる伊達政重を「代官」に迎えた[41]国分盛氏に子がなかったため[43]とも、子の盛顕がいる時に乗り込んだとも[44]されるが、詳しい事情は不明である。後に政重は国分盛重と名乗り、国分氏家臣団を率いる伊達氏の武将となった。盛重を迎えたのは家臣の堀江掃部允であったが、天正15年(1587年)に堀江伊勢守(同一人物説もある)が2度にわたって反乱を起こした。最初は留守政景(留守氏に入嗣した盛重の実兄)の援助で鎮めたが、再度の反抗で伊達政宗は堀江の肩を持ち、盛重を討とうとした。盛重は謝罪して許されたが、政宗の居城である米沢に留められ、国分領に政宗の支配が直接及ぶようになった[45]

天正18年(1590年)までに、留守政景も国分盛重も実質的に伊達政宗の武将になっており、その年に政宗が豊臣秀吉に降伏すると同時に主君を通じて間接的に秀吉に服属したはずであった。しかし秀吉は奥州仕置で留守氏だけを独立した大名とみなし、不服従を理由に取り潰した[46]。国分氏は伊達氏の家臣とみなされたため存続したとはいえるものの、慶長元年(1596年)に盛重が出奔して佐竹氏に身を寄せたため、大名としての国分氏は滅んだ。

国分の家臣は伊達氏直属になり、慶長5年(1600年)には国分衆として一部隊をなし、最上氏への援軍に加えられた[47]。彼らの一部は江戸時代にも国分氏に仕えていた頃の伝統を引き継ぎ、白山神社の祭礼に奉仕した[48]。旧臣の中には、百姓になって土着したもの[49]、町人になって新しく作られた仙台の城下町に移り住んだものもあった。

盛重の実の男子は3人あり[注釈 7]、うち2人は僧になってそれぞれ実永、覚順房宥実[注釈 8]と名乗った[50][注釈 9]。1人は伊達氏の家臣古内氏(元国分氏重臣。盛重の娘の嫁ぎ先)の養子に入り、古内重広[注釈 10]として近世初期の仙台藩政を支えた。


注釈

  1. ^ 棟札そのものを調査した文は、(仙台市史編さん委員会 1995)では資料番号256(372頁)、284(381頁)、327(402頁)にある。神社がある芋沢村が『安永風土記書出』の一部として安永3年(1774年)7月に記した報告の控えは、『宮城町誌』史料編(改定版)202-203頁にある。これらを長沼氏・郷六氏・国分氏をつなげる根拠とするのは、(平 1989, pp. 16–17)、(仙台市史編さん委員会 2000, pp. 218–221)である。
  2. ^ 仙台市若林区南小泉。江戸時代初期の若林城の前身か、付近にあったと推測される。
  3. ^ 仙台市太白区大年寺山にあった城。
  4. ^ 佐々木慶市(「中世の仙台地方」・『宮城県史』・「国分氏について」)と紫桃正隆(『みやぎの戦国時代』[15])が国分氏の宮城郡拝領を認める。(仙台市史編さん委員会 2000, p. [要ページ番号])は不明とする。
  5. ^ 佐々木慶市、2000年刊『仙台市史』等が長沼氏と推定するが、紫桃正隆は結城氏系の可能性を指摘する。平重道「藩政時代以前の宮城町」は両方から入った可能性を見る。
  6. ^ この白石氏は地名でいうと今の泉区根白石で、今の白石市にいた白石氏とは異なる。
  7. ^ このほか御落胤事件あり。 享保6年(1721年)、国分荘七北田の国分盛春(川村玄硯)という医者が、盛重と国分盛廉の娘の男児、盛廉の娘に仕えた女性が政宗の妾となって生まれた落胤双方の血を引く(つまり政宗の孫で盛重の曽孫)と名乗り出て証拠となる物を提示し、仙台藩に相応の扶持を求めた。 藩は十数年の詮議の末、これを偽者と結論づけ、磔刑、親族らも遠島に処した。(『伊達治家記録』)
  8. ^ 1655年平塩熊野神社妙法堂を平塩寺と改めた際住職として迎えられたという。
  9. ^ なお、「秋田武鑑」では実永は奥州覚性院開基で盛重の弟ともある。
  10. ^ 通称は主膳。特に伊達忠宗に重用された。
  11. ^ 九曜は国分氏の家紋。 仙台藩祖政宗によって伊達氏でも裏紋のひとつに加えられたが、 古くから国分氏、相馬氏などを含め千葉氏の流れを汲むと伝わる家などの代表的な紋として知られていた。 なお、政宗はのちにこの紋を片倉景綱(小十郎)に与えている。

出典

  1. ^ a b 太田 1934, p. 2279.
  2. ^ 丹羽 1970, p. 143.
  3. ^ 佐々木 1950, p. 232, §.「中世の仙台地方」.
  4. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 368.
  5. ^ 『伊達正統世次考』4応永9年条[4]
  6. ^ 田辺 1975a, p. 7, §.巻之一府城「仙台城」.
  7. ^ 平 1989, pp. 15–16, §.「藩政時代以前の宮城町」.
  8. ^ 佐々木 1950, pp. 230–232, §.「中世の仙台地方」.
  9. ^ a b 仙台市史編纂委員会 1953, p. 77.
  10. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 235.
  11. ^ 太田 1934, p. 2280.
  12. ^ 仙台市史編纂委員会 1953, p. 87.
  13. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 248.
  14. ^ 紫桃 1993, pp. 258–260.
  15. ^ 紫桃 1993, p. [要ページ番号].
  16. ^ 『白川文書』。(宮城県 1987a, p. 203)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 49)に「沙彌某等施行状」として、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 356)に「奥州管領府奉行人連書奉書」として収録。
  17. ^ 『白川文書』。(宮城県 1987a, p. 350)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 50)に「大崎家兼安堵状」、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 357)に「斯波家兼預状」として収録。
  18. ^ a b 仙台市史編纂委員会 1953, p. 75.
  19. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 233.
  20. ^ 『奥州余目記録』[18][19]
  21. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 232.
  22. ^ 『奥州余目記録』[18][21]
  23. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 239.
  24. ^ 『奥州余目記録』。[9][23]
  25. ^ 『相馬文書』。(宮城県 1987a, p. 203)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 53)に「大崎直持宛行状」として、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 359)に「斯波直持宛行状」として収録。
  26. ^ 宮城県 1987a, p. 390.
  27. ^ 以上各氏は『国分文書』の「佐藤純粋書状」[26]平重道「藩政時代以前の宮城町」23頁。
  28. ^ 仙台市史編纂委員会 1953, p. 80.
  29. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, pp. 239–240.
  30. ^ 仙台市史編さん委員会 2000, pp. 321–322.
  31. ^ 『奥州余目文書』[28][29][30]
  32. ^ 宮城県 1987a, p. 389.
  33. ^ 『留守文書』。(宮城県 1987a, p. 388)、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 375)に「留守景宗宛行状写」としてある。
  34. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 380.
  35. ^ 『伊達正統世次考』8下[34]
  36. ^ 宮城県 1987a, p. [要ページ番号].
  37. ^ 仙台市史編さん委員会 2000, p. 363.
  38. ^ 『伊達正統世次考』[37]
  39. ^ 宮城県 1987a, p. 394.
  40. ^ a b 仙台市史編さん委員会 1995, p. 419.
  41. ^ 『国分文書』[39][40]
  42. ^ a b 宮城県 1987a, p. 393.
  43. ^ 『性山公治家記録』3天正5年[42][40]
  44. ^ 佐久間「平姓国分系図」[42]
  45. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)402-403頁[要文献特定詳細情報]
  46. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)410頁[要文献特定詳細情報]
  47. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)412頁[要文献特定詳細情報]、同通史編3(近世1)56-57頁。
  48. ^ 佐久間義和『奥羽観蹟聞老志』巻之六、『仙台叢書奥羽観蹟聞老志』上巻202頁。
  49. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)418-419頁[要文献特定詳細情報]
  50. ^ 「秋田県公文書館蔵『国分文書』」所収「覚性院納所浄光房口上書」、「覚性院澄祐覚書」。


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