初期フランドル派 寓意と象徴

初期フランドル派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:42 UTC 版)

寓意と象徴

ドレスデンの祭壇画』(1437年)、ヤン・ファン・エイク。
15世紀の北ヨーロッパでは聖母マリアが広く信仰されていた。建物に比べて非常に大きく描かれているマリアは、俗世と懸絶している存在であることを意味している。

最初期の初期フランドル派の絵画作品は、こめられたキリスト教的寓意や象徴、聖書からの引用技法がその特徴であると言われることが多い[85]。このような技法を最初に取り入れたのはヤン・ファン・エイクであり、この革新的技法を受け継いで発展させたのがファン・デル・ウェイデン、メムリンク、クリストゥスらだった。これらの画家たちは、当時の信仰や宗教的理想を高いレベルで絵画に取り入れるために、複雑な寓意や象徴を作品に多数描きいれた[86]。このような概念のもとに制作された作品は静穏な印象を与え、自制と禁欲への敬意が表現されている。俗世間の事象よりも信仰心などの精神世界が強調されているのである。当時の北ヨーロッパでは聖母マリア信仰が最盛期を迎えており、絵画作品に描かれた寓意や象徴物もマリアの事績に関連するものが極めて多い[87]

美術史家クレイグ・ハービソンは、初期フランドル派の絵画作品にみられる写実主義と象徴主義の混交が、おそらく「初期フランドル芸術のもっとも重要な特質」だとしている[86]。第一世代の初期フランドル派の画家たちは、宗教的象徴を作品にいかに自然に描き入れるかに注力していた[86]。ヤン・ファン・エイクは多種多様な寓意や象徴を導入した画家で、精神世界と物質世界の共存を絵画に描き出そうとしたとも言われている。ただし、その寓意や象徴を表す事物は背景の細部に小さく控えめに表現されていることが多い[85]。第一世代の画家たちの作品にさりげなく配された寓意や象徴物は画面に溶け込み、「天界からの言葉を告げようと細心の注意を払って描かれている[88]」。なかでもヤン・ファン・エイクの宗教画には「現世の事物に姿を変えた天界の住人が常に描かれている」と言われている[89]。ハービソンは、ヤン・ファン・エイクが絵画作品と寓意の調和を日々追及していた画家であり「現実世界の事象ではなく宗教的世界の真実を描こうとした」としている[89]。その作品にみられる俗界と天界の混交は、ヤン・ファン・エイクが信仰するキリスト教義をもとにした「世俗と聖性の融合、実在と象徴の結合」を絵画世界に表現しようとしたことを意味している[90]。ヤン・ファン・エイクは『受胎告知』や『ドレスデンの祭壇画』などの作品で、聖母マリアを不自然なまでに大きな姿形で描いた。これは天界と俗界の乖離を表したものである。教会、居間、裁判所など俗世の場所に姿を見せた天界の住人たるマリアが隔絶した存在であることを意味している[90]

ヤン・ファン・エイクが描いた俗世の教会は、天界の寓意と象徴で美々しく飾り立てられている。マリアが坐する天界の玉座は、例えば『ルッカの聖母』では明らかに俗世の座椅子に姿を変えて描かれている。また『宰相ロランの聖母』のように、描かれてる情景が俗世なのか天界なのか判別し難い作品もある[91]。ヤン・ファン・エイクが作品に込めた寓意と象徴は膨大かつ複雑を極めたものであり、分かりやすい寓意を意味していると思われるモチーフが、全く別の意味合いをも内包していることも珍しくないとされる。このようなモチーフが絵画作品全体に繊細に織り込まれているために、その意味合いを理解するには何度も慎重に作品を精査する必要がある[85]。美術史家ジョン・ウォードは、ヤン・ファン・エイクが用いた寓意と象徴の多くが「原罪からの救済と死からの救済、そして再生」を表現したものだとしている[92]

ヤン・ファン・エイクの絵画作品は、同時代のみならず後世の画家たちにもきわめて大きな影響を与えたが、それらの画家が作品に採用した寓意や象徴はヤン・ファン・エイクに比べると平凡なものが多い。ロベルト・カンピンは天界と俗界を明確に描き分けた画家で、ヤン・ファン・エイクとは異なり寓意や象徴を隠匿して描くことはなかった。カンピンが表現した寓意や象徴は俗世の事物に仮託されてはおらず、キリスト教的な意味合いが一目で分かるものだった[93]。ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが描いた寓意や象徴はカンピンに比べると精緻なものだったが、ヤン・ファン・エイクには及ばない。ハービソンは、ファン・デル・ウェイデンが慎重かつ精妙に表現した寓意や象徴について「(天界と現世の)神秘的な融合も迫真性もその作品には見られない。(ファン・デル・エイデンが描いた寓意や象徴は)理論的に検証、説明、再構成が可能なものだ」と指摘している[94]。ファン・デル・ウェイデンの描いた建築物、例えば壁龕は理解できないような空間、色彩で表現されており、「そこに描かれた唐突かつ不自然に描かれている事物や人物が、キリスト教的意味合いをもつものだということが分かる[94]

カンブレーの聖母』(1340年頃)、作者未詳
カンブレー大聖堂(カンブレー)
ビザンチン様式で描かれた聖母子像。オリジナルは画家の守護聖人である聖ルカが描いたと信じられており、数多く模写された複製画の一枚[95][96]
『悲しみの人』(1485年 - 1495年頃)、ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス
聖カタリナ女子修道院博物館(ユトレヒト)
イザヤ書』53章に記された人類の原罪を背負って処刑されたキリストは「悲しみの人 (en:Man of Sorrows)」と呼ばれ、宗教画の伝統的主題として数多く描かれている。なかでも本作はその複雑な構成が「肉体的な苦痛を見せながらも昂然としている」と高く評価されている[97]

絵画作品などの優れた美術品は当時の信仰における暮らしの一助になっていた。祈祷や瞑想は救済につながるとされ、富める者は教会の建設や増改築に対する寄進、宗教美術品の制作依頼、あるいは死後の救済を意図する宗教的な品々に金銭を費やした[98]。この時期に描かれた宗教画では、聖母マリアと幼児キリストを描いた「聖母子像」が非常に多かった。人気のある作品は幾度となく複製されて諸国へと輸出されている。これら聖母子像の源流となっているのは、12世紀から13世紀に描かれたビザンチン美術の聖母子像で、なかでも『カンブレーの聖母』がもっとも有名な作品と言える[99]。これら数世紀以前からの伝統的な聖母子像をすべて吸収し、華麗かつ複雑な様式に昇華して新たな伝統を創りあげたのが初期フランドル派の画家たちだった[98]

聖母マリア信仰は13世紀ごろから盛んとなり、とくに「無原罪の御宿り」と「聖母の被昇天」の教義が信仰の中心となっていた。聖人にちなむ聖遺物が俗世と天界を結びつけるものとして崇敬の対象となっていたが、マリアに関する聖遺物は残されていない。このことが逆説的にマリアに神と人の橋渡しという特異な地位を与えることとなった[100]。1400年代初頭までにマリアはキリスト教義の中でも重要な存在となり、神と人の仲裁者という役割を持つ存在だと広く信じられていた。死後に行きつく辺獄で過ごさねばならない期間は、生前に信仰心を発揮した期間に比例するとも思われていた[101]。聖母マリア信仰が最盛期を迎えたのは15世紀初めで、マリアを表現した作品が熱狂的に支持された時代だった。一方で15世紀半ば以降のキリストを描いた絵画では、『イザヤ書』53章に記された、人類の原罪を背負って処刑された「悲しみの人 (en:Man of Sorrows)」として描かれることが多くなっていった[98]

制作依頼主が聖人と共に描かれたドナー・ポートレイトと呼ばれる作品分野 (en:donor portrait) が存在する。依頼主の肖像は三連祭壇画の一翼に描かれることが多かったが、時代が下ると手頃なディプティクに描かれることが主流となっていった。北ヨーロッパで伝統的に描き続けられていた、半身の聖母マリア像を諸外国まで広めたのはファン・デル・ウェイデンである。ビザンチン様式を昇華したこのマリア像はイタリアでも受け入れられた。ファン・デル・ウェイデンが革新したマリア像は北ヨーロッパ中で普遍的なものとなり、マリアを主題としたディプティクの発展に大きな役割を果たしている[102]




注釈

  1. ^ 本稿における「北ヨーロッパ」という用語は「北欧」ではなく、アルプス以北の地域ないし文化圏を意味する。
  2. ^ 単に「フランドル絵画」、「ネーデルラント絵画」ないし「オランダ絵画」といった場合には、17世紀初頭の作品群(オランダ黄金時代の絵画)を指すことのほうが多い[3]
  3. ^ ヤン・ファン・エイクは自身の署名にギリシア語のアルファベットを使用しており、そのほかのヘントで活動していた画家は工房で弟子たちに読み書きを教えていた。
  4. ^ 現在の研究では、当時キャンバスに描かれていたのは作品全体のおよそ三分の一程度とも考えられているが、それらの作品のうち現在まで残っているものは極めて少なく、現存している初期フランドル派の絵画はほとんどが板絵となっている。 Ridderbos (2005), 297
  5. ^ 『ラファエロのカルトン』から制作されたタペストリーはヴァチカンが所蔵しており、現在でも特別な儀典のときのみシスティーナ礼拝堂に飾られる[124]
  6. ^ フィリップ3世はイアソンの物語に由来する金羊毛騎士団を1430年に設立している。
  7. ^ 当時「三連祭壇画」という言葉は存在しておらず、この形式の作品は「扉付の絵画」と呼ばれていた。Jacobs (2011), 8
  8. ^ 16点のうち完全な状態で現存しているのが8点、裁断された状態で残っているのが5点で、3点は失われてしまっている。Jacobs (2000), 1010
  9. ^ ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが描いた祭壇画で、裁断された状態で現存している『読書するマグダラのマリア』の項を参照。
  10. ^ デューラーの父は金細工師で、息子のデューラーの話では、ネーデルラントで働いていたときに「偉大な芸術家」に出会ったとしている。デューラー自身も1520年から1521年にネーデルラントに滞在しており、ブルッヘ、ヘント、ブリュッセルなどの都市を訪れている。Borchert (2011), 83
  11. ^ ドイツ人画家コンラート・ヴィッツが1444年に描いた『奇跡の漁り ( en:The Miraculous Draft of Fishes (Witz))』は、西洋美術史上で初めて地理学的に正確な風景が描かれた作品だといわれている。Borchert (2011), 58
  12. ^ パノフスキーは「三箇所のアーチから見ることが出来る屋内風景」と表現している。 Panofsky (1969), 142
  13. ^ このボワスレーのコレクションは1827年にドイツ人画家ヨハン・ゲオルグ・フォン・ディリスの勧めで1827年に売却され、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークの中核コレクションの一つとなっている。Ridderbos (2005), 86

出典

  1. ^ Ward (1994), 19
  2. ^ Elkins (1991), 53–62
  3. ^ a b c Spronk (1996), 7
  4. ^ Pächt (1999), 30
  5. ^ a b Janson, H.W. (2006), 493–501
  6. ^ a b c Campbell (1998), 7
  7. ^ Deam (1998), 12–13
  8. ^ Panofsky (1969), 165
  9. ^ a b c Pächt (1999), 11
  10. ^ Pächt (1999), 12
  11. ^ Borchert (2011), 248
  12. ^ a b Deam (1998), 15
  13. ^ Ridderbos et al. (2005), 271
  14. ^ Kren (2010), 11–12
  15. ^ a b c Nash (2008), 3
  16. ^ Pächt (1999), 12–13
  17. ^ Chapuis (1998), 19
  18. ^ Huizinga (2009 ed.), 223–224
  19. ^ Ainsworth (1998b), 321
  20. ^ Harbison (1995), 60–61
  21. ^ Ainsworth (1998b), 319–322
  22. ^ a b Harbison (1995), 60
  23. ^ Harbison (1995), 26–7
  24. ^ Harbison (1995), 25
  25. ^ a b c d Harbison (1995), 29
  26. ^ Pächt (1999), 179
  27. ^ a b Toman (2011), 322
  28. ^ a b Kemperdick (2006), 55
  29. ^ a b Pächt (1999), 16
  30. ^ Vlieghe (1998), 187–200.
  31. ^ a b c d Borchert (2011), 35–36
  32. ^ Smith (2004), 89–90
  33. ^ Borchert (2011), 117
  34. ^ a b c d Campbell (1998), 20
  35. ^ a b Ainsworth (1998a), 24–25
  36. ^ Nash (2008), 121
  37. ^ Châtelet (1980), 27–28
  38. ^ Van Der Elst (1944), 76
  39. ^ Borchert (2011), 247
  40. ^ Ainsworth (1998b), 319
  41. ^ Van Der Elst (1944), 96
  42. ^ Borchert (2011), 101
  43. ^ a b Toman (2011), 335
  44. ^ Oliver Hand et al. 15
  45. ^ a b Ainsworth (1998b), 326–327
  46. ^ Orenstein (1998), 381–84
  47. ^ Campbell (1998), 39–41
  48. ^ Ridderbos et al. (2005), 378
  49. ^ Panofsky (1969), 163
  50. ^ Smith (2004), 58–60
  51. ^ Jones (2011), 9
  52. ^ Jones, 9
  53. ^ Smith (2004), 61
  54. ^ a b Campbell (1998), 31
  55. ^ Jones (2011), 10–11
  56. ^ Borchert (2011), 22
  57. ^ Borchert (2011), 24
  58. ^ a b c Campbell (1998), 29
  59. ^ Ridderbos (2005), 296–297
  60. ^ Spronk (1996), 8
  61. ^ "『聖母子と聖バルバラ、聖カテリナ』 Archived 2012年5月11日, at the Wayback Machine."。 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)、2011年11月7日閲覧。
  62. ^ "『キリストの埋葬』"。 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)、2011年11月7日閲覧。
  63. ^ Borchert (2008), 86
  64. ^ Campbell (1976), 190–192
  65. ^ a b c Ainsworth (1998a), 34
  66. ^ Harbison (1995), 64
  67. ^ Campbell (2004), 9–14
  68. ^ a b c Jones (2011), 28
  69. ^ Ainsworth (1998a), 32
  70. ^ Borchert (2011), 86
  71. ^ Jones (2011), 29
  72. ^ a b c Chapuis (1998), 13
  73. ^ Harbison (1991), 169–187
  74. ^ Smith (2004), 26–27
  75. ^ a b c Jones (2011), 25
  76. ^ Ainsworth (1998a), 37
  77. ^ a b c d Campbell (1976) 188–189
  78. ^ Ainsworth (1998a), 31
  79. ^ a b Chapuis, Julien. "Patronage at the Early Valois Court". メトロポリタン美術館. 2013年11月28日閲覧。
  80. ^ Ainsworth (1998a), 24, 28
  81. ^ Ainsworth (1998a), 30
  82. ^ Ainsworth (1998a), 30, 34
  83. ^ Ainsworth (1998a), 25–26
  84. ^ Ainsworth (1998a), 25–26
  85. ^ a b c Ward (1994), 11
  86. ^ a b c Harbison (1984), 601
  87. ^ Powell (2006), 708
  88. ^ Ward (1994), 9
  89. ^ a b Harbison (1984), 589
  90. ^ a b Harbison (1984), 590
  91. ^ Harbison (1984), 590–592
  92. ^ Ward (1994), 26
  93. ^ Harbison (1984), 591–593
  94. ^ a b Harbison (1984), 596
  95. ^ Ainsworth (2009), 104
  96. ^ Evans (2004), 582
  97. ^ a b Ridderbos et al (2005), 248
  98. ^ a b c Jones (2011), 14
  99. ^ Harbison (1991), 159–160
  100. ^ MacCulloch (2005), 18
  101. ^ MacCulloch (2005), 11–13
  102. ^ Borchert (2011), 206
  103. ^ a b c Nash (2008), 87
  104. ^ a b Ainsworth (1998a), 24
  105. ^ Cavallo (1993), 164
  106. ^ Cleland (2002), i–ix
  107. ^ a b Jones (2011), 30
  108. ^ Harbison (1995), 47
  109. ^ Harbison (1995), 27
  110. ^ a b c d Wieck (1996), 233
  111. ^ "『若い男性の肖像』". ナショナル・ギャラリー公式サイト。2004年1月4日閲覧。
  112. ^ Kren (2010), 83
  113. ^ Hand et al. (2006), 63
  114. ^ Jones, Susan. "Manuscript Illumination in Northern Europe". メトロポリタン美術館.2012年3月11日閲覧。
  115. ^ a b Kren (2010), 8
  116. ^ Kren (2010), 20–24
  117. ^ Nash (2008), 93
  118. ^ Nash (1995), 428
  119. ^ a b c d Nash (2008), 22
  120. ^ Nash (2008), 92–93
  121. ^ Nash (2008), 94
  122. ^ Wieck (1996), 234–237
  123. ^ Nash (2008), 88
  124. ^ Roger Jones and Nicholas Penny, Raphael, Yale, 1983, p.132 ISBN 0-300-03061-4
  125. ^ a b Freeman (1973), 1
  126. ^ Phillip (1947), 123
  127. ^ Nash (2008), 264
  128. ^ Nash (2008), 266
  129. ^ a b c Cavallo (1973), 21
  130. ^ a b Nash (2008), 209
  131. ^ Cavallo (1973), 12
  132. ^ Harbison (1995), 80
  133. ^ Campbell (2004), 89
  134. ^ a b Jacobs (2000), 1009
  135. ^ a b Toman (2011), 319
  136. ^ Jacobs (2011), 26–28
  137. ^ Blum (1972), 116
  138. ^ Acres (2000), 88–89
  139. ^ a b Borchert (2011), 35
  140. ^ a b Borchert (2011), 52
  141. ^ a b c Campbell (1998), 405
  142. ^ Pearson (2000), 100
  143. ^ a b c d Pearson (2000), 99
  144. ^ Smith (2004), 144
  145. ^ Borchert (2006), 175
  146. ^ a b Smith (2004), 134
  147. ^ Smith (2004), 178
  148. ^ a b c Hand et al. (2006), 3
  149. ^ Hulin de Loo (1923), 53
  150. ^ Ainsworth (1998c), 79
  151. ^ Hand et al. (2006), 16
  152. ^ Borchert (2006), 182–185
  153. ^ Huizinga (2009 ed.), 225
  154. ^ Bauman (1986), 4
  155. ^ Kemperdick (2006), 19
  156. ^ Dhanens (1980), 198
  157. ^ Dhanens (1980), 269–270
  158. ^ Kemperdick (2006), 21–23
  159. ^ Van der Elst (1944), 69
  160. ^ Smith (2004), 104–107
  161. ^ Kemperdick (2006), 23
  162. ^ Kemperdick (2006), 26
  163. ^ a b Kemperdick (2006), 28
  164. ^ Kemperdick (2006), 24
  165. ^ Kemperdick (2006), 25
  166. ^ Borchert (2011), 277–283
  167. ^ a b Smith (2004), 96
  168. ^ Kemperdick (2006), 21, 92
  169. ^ Awch behelt daz gemell dy gestalt der menschen nach jrem sterben See Rupprich, Hans (ed). "Dürer". Schriftlicher Nachlass, Volume 3. Berlin, 1966. 9
  170. ^ Smith (2004), 95
  171. ^ a b Harbison (1995), 134
  172. ^ Pächt (1999), 29
  173. ^ Pächt (1999), 187
  174. ^ Ainsworth (1998b), 392
  175. ^ Harbison (1995), 61
  176. ^ Wood (1993), 42–47
  177. ^ Wood (1993), 47
  178. ^ Silver (1986), 27
  179. ^ Silver (1986), 26–36; Wood, 274–275
  180. ^ a b c d Toman (2011), 317
  181. ^ Christiansen (1998), 40
  182. ^ Toman (2011), 198
  183. ^ Deam (1998), 28–29
  184. ^ Christiansen (1998), 53
  185. ^ Nash (2008), 35
  186. ^ Panofsky (1969), 142–3
  187. ^ Christiansen (1998), 49
  188. ^ Christiansen (1998), 58
  189. ^ Christiansen (1998), 53–59
  190. ^ analysed in Arnade, 146 (quoted); see also Art through time
  191. ^ Nash (2008), 15
  192. ^ Van Vaernewijck (1905–6), 132
  193. ^ Arnade, 133–148
  194. ^ Freedberg, 133
  195. ^ a b Nash (2008), 14
  196. ^ Campbell (1998), 21
  197. ^ Nash (2008), 16–17
  198. ^ a b Nash (2008), 21
  199. ^ Ainsworth (1998a), 36
  200. ^ Nash (2008), 123
  201. ^ Nash (2008), 44
  202. ^ Nash (2008), 39
  203. ^ Chapuis (1998), 8
  204. ^ a b Campbell (1998), 114
  205. ^ Nash (2008), 22–23
  206. ^ Nash (2008), 24
  207. ^ Smith (2004), 411–12
  208. ^ a b Chapuis (1998), 4–7
  209. ^ Ridderbos et al. (2005), viii
  210. ^ Ridderbos et al. (2005), 219–224
  211. ^ Smith, 413 - 416
  212. ^ Smith (2004), 413–416
  213. ^ Campbell (1998), 392–405
  214. ^ Steegman, John (1950). Consort of Taste, excerpted in Frank Herrmann, The English as Collectors, 240; ヴィクトリア女王はアルバートの死後、このときに購入した絵画のなかでも最も優れた作品をナショナル・ギャラリーに寄付した。
  215. ^ "Prince Albert and the Gallery". National Gallery, London. 2014年1月12日閲覧。
  216. ^ Ridderbos et al. (2005), 203
  217. ^ Campbell (1998), 13–14, 394
  218. ^ Ridderbos et al. (2005), 5
  219. ^ Chapuis (1998), 3–4
  220. ^ Ridderbos et al. (2005), 284
  221. ^ Silver (1986), 518
  222. ^ Holly (1985), 9
  223. ^ a b Kren (2010), 177
  224. ^ Campbell (2004), 74
  225. ^ a b "Craig Harbison Archived 2013年6月5日, at the Wayback Machine.". マサチューセッツ大学. 2012年12月15日閲覧。
  226. ^ Buchholz, Sarah R. "A Picture Worth Many Thousand Words". Chronicle, University of Massachusetts, 14 April 2000. 2012年12月15日閲覧。
  227. ^ Chapuis (1998), 12





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「初期フランドル派」の関連用語

初期フランドル派のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



初期フランドル派のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの初期フランドル派 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2021 GRAS Group, Inc.RSS