初期フランドル派 パトロン

初期フランドル派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:42 UTC 版)

パトロン

受胎告知』(1434年 - 1436年)、ヤン・ファン・エイク。
ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)所蔵。
この作品は、もともとは三連祭壇画の左翼パネルだったと考えられている。背後に描かれている建物の建築にはロマネスクゴシック両方の様式が見られる。建物と比べて聖母マリアが非常に大きく描かれ、マリアの天界での地位を象徴している[73]

1400年代のブルゴーニュ公国周辺の北ヨーロッパでは商人や銀行家が力を持っていた。15世紀初頭から半ばにかけて国際貿易が盛んになったことによって国内の経済も大きく潤うこととなり、贅沢な美術品に対する需要も高まっていった。当時の北ヨーロッパで活動する芸術家たちの諸外国のパトロンとなったのは、バルト海沿岸のドイツやポーランド、イベリア半島諸国、イタリア、そしてイングランドとスコットランドの有力な一族たちだった[74]。15世紀初頭の芸術家たちは公開市場に出向いて自身の作品を売却するとともに、作品制作に必要な額、パネル、顔料などを購入していた[68]。その後、15世紀半ばごろから美術品の売買を専門とする画商が台頭し、美術品市場を大きく左右する力を持つようになっていった[75]。 小規模な絵画作品が注文によって制作されることはあまりなかった。そのような作品は画家が独自に描き、既成の作品として定期的に開催される公開即売会で売却されるか[76]、画商が画家の工房を訪れて既成の絵画の中から気に入った作品を買い付けて、需要がありそうな大都市で売却された。何千点も制作された既成作品の主たる顧客は、公務員、聖職者、ギルド会員、医師、商人などの中流階級層だった[77]。中流階級の室内装飾にはグルーサイズで制作された比較的安価な絵画が使用されることが多かったが、板に描かれた高価な宗教画を室内に飾ることは強い憧憬の対象でもあった[77]。商人階級層は自身の信仰に応じた祈祷用の小さな板絵を注文することが多かった。既存の作品に対して様々な修正依頼がかけられ、注文主の肖像画が描きいれられることもあった。もっとも多くみられるのは、既存の作品に注文主の紋章を描き足しただけのものである。ファン・デル・ウェイデンの『聖母を描く聖ルカ』は、描かれた紋章が異なる数点のバージョンが現存している[78]

『フィリップ善良王に「エノー年代記」を献呈するジャン・ウォークラン』(1447年 - 1448年)、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン。
ベルギー王立図書館所蔵。
『エノー年代記』の挿絵として描かれたミニアチュール。

歴代のブルゴーニュ公は自身の趣味趣向のためには金を惜しまなかった[75]フィリップ3世も、大叔父にあたるベリー公ジャン1世らと同じく、芸術を強く庇護して多くの美術品を制作させた[79]。当時のブルゴーニュ宮廷は芸術の発信地として諸国に大きな影響力を持っており、高価な装飾写本、金で縁取りされたタペストリー、真珠やルビーで装飾されたグラスなどの豪華な贅沢品が好まれていた。このようなブルゴーニュ公宮の贅沢な美術品への嗜好は一般市民の間にも広まっていくこととなった。1440年代から1450年代にかけてのブルッヘやヘントでは、一般市民からの依頼で多くの美術品が制作されている。ネーデルラントの画家たちが描いた板絵は、制作過程で希少な素材や高価な貴金属が使用されていないにも関わらず非常な高額で取引されていた。これは絵画作品それ自体が西洋美術における最高峰だと高く評価されていたためである。1425年の記録に「高い技術で優れた作品を制作する」画家を雇い入れたというフィリップ3世の言葉が残されている[75]。ヤン・ファン・エイクはフィリップ3世に仕えていた時期に『受胎告知』を描き、ファン・デル・ウェイデンは1440年代にフィリップ3世の肖像画家に選ばれた[79]

ブルゴーニュ宮廷には多くの宮廷人、役人が仕えており、その中には自らの富や権力を誇示する目的で画家に作品制作を依頼する者もいた[80]。諸都市の議会などの公的団体も同様の目的で著名な画家たちに作品制作を依頼している。政体からの依頼で描かれた作品として、ボウツの『皇帝オットー3世の裁き』やファン・デル・ウェイデンの『トラヤヌス帝の裁き (en:The Justice of Trajan and Herkinbald)』、ダフィトの『カンビュセス王の裁き』などがある[81]。公的団体からの絵画制作依頼はさほど多くなく、収入面でも画家にとって実入りの多いものではなかったが、市庁舎などに人目に触れる場所に飾られたために、描いた画家の名声を高めることに貢献した。たとえば、メムリンクがブルッヘの聖ヨハネ病院の依頼で描いた『聖ヨハネの祭壇画 (en:St John Altarpiece (Memling))』は、メムリンクに多くの絵画制作依頼をもたらしている[82]

諸国のパトロンの存在と国際貿易の発展が、ネーデルラントの画家たちに工房を経営し、徒弟や助手を雇い入れることが可能な金銭的余裕を与えた[68]。第一級の画家だったペトルス・クリストゥスやハンス・メムリンクのパトロンは工房を経営していた都市の有力者だけだったが、その名声はブルッヘ在住の諸外国人のなかでも鳴り響いていた[65]。さらに、華麗で豪奢なブルゴーニュ公宮に対抗しようと、その作品だけでなくブルッヘで活動している画家自身を王宮に迎え入れようとする諸外国の王侯貴族も少なくなかった[83]。たとえばウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは1473年ごろにヨース・ファン・ワッセンホフを、300点にのぼる絵画コレクションを所蔵していたカスティーリャ女王イサベル1世ミケル・シトウフアン・デ・フランデスをそれぞれ自らの宮廷に迎え入れている[84]




注釈

  1. ^ 本稿における「北ヨーロッパ」という用語は「北欧」ではなく、アルプス以北の地域ないし文化圏を意味する。
  2. ^ 単に「フランドル絵画」、「ネーデルラント絵画」ないし「オランダ絵画」といった場合には、17世紀初頭の作品群(オランダ黄金時代の絵画)を指すことのほうが多い[3]
  3. ^ ヤン・ファン・エイクは自身の署名にギリシア語のアルファベットを使用しており、そのほかのヘントで活動していた画家は工房で弟子たちに読み書きを教えていた。
  4. ^ 現在の研究では、当時キャンバスに描かれていたのは作品全体のおよそ三分の一程度とも考えられているが、それらの作品のうち現在まで残っているものは極めて少なく、現存している初期フランドル派の絵画はほとんどが板絵となっている。 Ridderbos (2005), 297
  5. ^ 『ラファエロのカルトン』から制作されたタペストリーはヴァチカンが所蔵しており、現在でも特別な儀典のときのみシスティーナ礼拝堂に飾られる[124]
  6. ^ フィリップ3世はイアソンの物語に由来する金羊毛騎士団を1430年に設立している。
  7. ^ 当時「三連祭壇画」という言葉は存在しておらず、この形式の作品は「扉付の絵画」と呼ばれていた。Jacobs (2011), 8
  8. ^ 16点のうち完全な状態で現存しているのが8点、裁断された状態で残っているのが5点で、3点は失われてしまっている。Jacobs (2000), 1010
  9. ^ ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが描いた祭壇画で、裁断された状態で現存している『読書するマグダラのマリア』の項を参照。
  10. ^ デューラーの父は金細工師で、息子のデューラーの話では、ネーデルラントで働いていたときに「偉大な芸術家」に出会ったとしている。デューラー自身も1520年から1521年にネーデルラントに滞在しており、ブルッヘ、ヘント、ブリュッセルなどの都市を訪れている。Borchert (2011), 83
  11. ^ ドイツ人画家コンラート・ヴィッツが1444年に描いた『奇跡の漁り ( en:The Miraculous Draft of Fishes (Witz))』は、西洋美術史上で初めて地理学的に正確な風景が描かれた作品だといわれている。Borchert (2011), 58
  12. ^ パノフスキーは「三箇所のアーチから見ることが出来る屋内風景」と表現している。 Panofsky (1969), 142
  13. ^ このボワスレーのコレクションは1827年にドイツ人画家ヨハン・ゲオルグ・フォン・ディリスの勧めで1827年に売却され、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークの中核コレクションの一つとなっている。Ridderbos (2005), 86

出典

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