兵庫師範学校 校地の変遷と継承

兵庫師範学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 01:28 UTC 版)

校地の変遷と継承

男子部校舎跡地(赤塚山)
兵庫師範学校男子部

前身の兵庫県師範学校から引き継いだ武庫郡住吉村赤塚山(現・神戸市東灘区住吉山手)の校地を使用した。赤塚山校地は後身の新制神戸大学教育学部に引き継がれ、1968年12月に現在の六甲台に移転するまで使用された。跡地は1998年まで神戸市立赤塚山高等学校(神戸市立六甲アイランド高等学校を参照)に使用された。現在、旧赤塚山校地には赤塚山合同宿舎が建てられている。附属校(神戸大学附属中等教育学校)は現在も赤塚山に立地している。

男子部予科は、武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影中町3丁目)の旧兵庫県御影師範学校校舎で発足した。校舎は神戸商業大学予科と同居であった。1945年6月の空襲で予科校舎は焼失し、篠山の旧陸軍兵舎に移転した(神戸医科大学兵庫農科大学も参照)。旧御影校地は新制神戸大学に引き継がれ、御影分校となったのち、神戸市立御影工業高等学校に使用された(神戸商業大学 (旧制)#予科の校地を参照)。

兵庫師範学校女子部

前身の兵庫県明石女子師範学校から引き継いだ明石市山下町の校地を使用した。明石校地は後身の新制神戸大学教育学部に引き継がれて明石分校となり、1957年の分校廃止まで使用された。附属校(神戸大学附属幼稚園同附属小学校)は現在も明石に立地している。

著名な出身者

神戸大学の人物一覧を参照。

関連書籍

  • 神戸大学教育学部五十年史編集委員会(編) 『神戸大学教育学部五十年史』 神戸大学紫陽会、2000年11月。
  • 神戸大学教育学部沿革史編集委員会(編) 『神戸大学教育学部沿革史』 神戸大学教育学部、1971年3月。
  • 神戸大学百年史編纂委員会 『神戸大学百年史』 通史Ⅰ 前身校史、2002年。



  1. ^ 『官報』第2606号、大正10年4月12日。
  2. ^ 『官報』第2602号、大正10年4月7日。
  3. ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。


「兵庫師範学校」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「兵庫師範学校」の関連用語

兵庫師範学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



兵庫師範学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの兵庫師範学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS