偽ドミトリー2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 14:31 UTC 版)
生涯
偽ドミトリー1世が1606年5月に殺された後、殺されたはずの偽ドミトリー1世が『奇跡的に助かった』とされる噂が流布する中でロシアとポーランドの国境に現れ、モスクワへ進軍した。モスクワの占領には失敗するものの1608年夏から1610年春までの間モスクワ近郊のトゥシノに本営を構え勢力を保った。しかし、彼を支援していたポーランド国王に見限られ、根拠地トゥシノから逃亡し、逃亡の途上に仲間によって殺された。
偽ドミトリー2世は本物のドミトリー・イヴァノヴィチの生母であるマリヤ・ナガヤより「本物」と認められ、偽ドミトリー1世の正妻だったマリナ・ムニシュフヴナと結婚して子供をもうけた。子供は「小悪党」と呼ばれてコサックに擁立されたが、1614年にミハイル・ロマノフによって処刑された。
参考文献
関連項目
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