フェスティバルゲート 歴史

フェスティバルゲート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 03:33 UTC 版)

歴史

建設の経緯

元々、この地には大阪市交通局市電天王寺車庫(霞町車庫)があった[8]バブル期1989年、「大阪市交通局霞町車庫跡地開発プロジェクト・土地信託事業計画提案競技」に則り、区画をA・Bの二つに分断。この内のAゾーンに建てられたのがフェスティバルゲートで、日本信託銀行・東洋信託銀行・中央信託銀行・三井信託銀行による共同事業とし、Bゾーンと合わせ総工費約500億円の一大プロジェクトとして建設が開始された[4]。1993年3月に着工[8]土地信託方式による事業であり[6]、当初の信託期間は2020年3月までとなっていた。なお、Bゾーンには「スパワールド」が建てられて1997年7月18日に開業[5]

開園と早々の経営危機

営業を終了した施設。

ジェットコースターが大胆に建物を貫く迫力のある外観と、施設自体の入園料が無料であることなどから、開業初年度には半年間で年間目標の500万人、1年間での入場者数は約830万人を記録[9]。大いに賑わいを見せた。1998年9月23日には累計入場者数が1000万人を数える一方[9]、同年のアジア通貨危機による不況の煽りで、早くも営業に陰りが見え始める。2001年にはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の開業や少子化の打撃を受け入場者数が大きく減少。飲食店などの店舗は賃料の高さに比して売り上げが落ち込み、店舗は次々と撤退。開業4年後の年間入場者数は、約300万人にまで落ち込んだ[5]

その後、大阪プロレスの本拠地を誘致して本社機能兼常設試合会場「デルフィンアリーナ」を開設したり、「新世界アーツパーク事業[10]」として芸術系NPO(ダンス系の「ダンスボックス」、映像系の「記録と表現とメディアのための組織」、音響と音楽系の「ビヨンドイノセンス」、文芸系の「こえとことばとこころの部屋」)への集約的な貸し出しを行ったりするなどのテコ入れが行われたが振るわなかった。プロレスや芸術系NPOは営業が不定期であり、観客を毎日既存店舗に誘導することができなかった。また格安な賃料も、既存の店舗から反発を受けた。2004年2月、信託銀行三行は事業からの撤退を表明し、運営元のフェスティバルゲート株式会社は倒産。大阪市は、最終的に200億円の赤字を補填する形となる[5]

失敗の原因としてはいくつかの点が指摘されている。

周辺環境
鉄道駅やバスターミナルと直結する好立地であったが、キタミナミターミナル駅からは離れており、遠距離からの交通の便は良いものではなかった。しかし、隣接のスパワールドは開業当初から黒字経営で好調であり、フェスティバルゲートとは対照的に夏休みなどを中心に繁忙期は入り口付近の広間を埋め尽くすほどの人波が出来ることもあるため、一概に立地が原因とは言い切れない点もある。
アトラクションの陳腐化
USJに代表されるように、遊戯施設は定期的な新規のアトラクションの投入と投資が、運営の鍵といわれている。しかしフェスティバルゲートは、構造上アトラクションの新設や改修が困難だったことや、USJの開業も客足が伸び悩んだ一因と考えられる。
警備費用
倒産が迫るまで、ホームレス日雇い労働者の溜まり場となるのを防ぐため、多くの警備員を館内外に配置していた。このため、人件費や経費が過大だったのではないかとの声もある[誰?]

倒産後

解体工事が進むフェスティバルゲート。
解体工事中のフェスティバルゲート。建物の殆どが解体されている。

倒産後は運営母体がオリックスに移り、同社の支援の元に2005年4月にも「大阪市交通記念館」として全面改装する予定であった。しかし、建物フロアの耐荷重が市電や地下鉄車両の重さに耐えられるほどではなく、レプリカをわざわざ作って展示する構想もあったなどコンセプト自体に無理を含んでいた。そういった中、全面改装にあたっての入居中店舗との立ち退き交渉が決裂。結局オリックスは支援撤退を表明し、改装計画は白紙となった。

2007年1月、大阪市は施設再生の最終検討に入り、大阪市が年2億円以上の維持管理費を負担する条件で施設の一部をアート・福祉・経済活動が一体となった用途に貸し出すとするコンペを行い、新世界アーツパークなど民間団体などの応募を受け付けたが、収益性の面から見て実現困難として5月には全案を却下し再建を断念した。

以後大阪市は土地建物の売却を開始して各テナントには7月までにすべて撤退するよう通知した。この時点での施設評価額は、建設費の30分の1にも満たない約8億円とされ解体撤去される可能性もあった。2008年2月、条件付一般競争入札で「FESTIVAL PLAZA APP」が26億円で落札し、建物は解体せずそのまま使う予定だと発表された。しかし、売買契約締結期限の3月31日までに契約締結には至らなかった。5月14日、大阪市は売買契約を断念。大阪市は保証金2億6,000万円を没収し、違約金など8億2,500万円を請求した。2010年5月20日大阪地裁は大阪市の訴えを認め、同社に対して全額の支払いを命じた[11]

2007年5月5日エキスポランドでジェットコースターの脱線事故が発生して5月6日から「デルピス・ザ・コースター」の運転を中止。点検の結果問題はなかったが、そのまま営業終了が決定して施設の遊具はすべて撤去された。7月31日、一部のテナントを残して「フェスティバルゲート」としての営業を終了。8月26日、大阪プロレスが最後の興行を開催して撤退。また、芸術系のNPO団体3団体[12]も2007年末に、残っていた株式会社フジカワとサンクス(フェスティバルゲート店)[13][14]も2008年に、それぞれ撤退して入居する全テナントの退去が完了。2テナントの退去直前時点で、ビル全体の90%以上が空室となり、動物園前駅への連絡口のある地下から、スパワールドへの連絡通路がある2階までを除く大半の区域が閉鎖、立入禁止とされた。テナントの退去後、順次ビルの解体が進められていた。

テナント退去に前後して、地下にあった市バスの操車場も閉鎖された。これに伴い、ここで折り返し待機をしていた1号系統は運行経路を変更して、あべの橋 - 動物園前 - 地下鉄動物園前 - 市大病院 - あべの橋間の循環運行となった。また、サンクス前にあった停留所も休止となっている。1号系統以外の路線については、地下鉄動物園前 - あべの橋間の運転は取り止めとなり、1号系統も2010年3月28日のダイヤ改正で当地への乗り入れを終了した。

その後の動向

2009年1月30日に行われた3回目の競売にマルハンのみが参加し、予定価格8億3,000万円を上回る14億2,000万円で落札した[1]。総事業費55億円を掛けて2階建ての新たなビルを建設し、ボウリング場を中心にしたスポーツアミューズメント施設「ツーテンゲート(仮称)」として、2013年までのオープンを目指していた[15]。同社はパチンコ店の営業を主体としているが、契約上5年間はパチンコ店の出店は禁じられている[5]。2013年7月には、4階建ての「韓流テーマパーク」(仮称)を2014年秋に開業させると発表した[16]。しかし、日韓関係の悪化を理由に計画が見直され[17]ドン・キホーテを核テナントにした商業施設を建設することになった。2014年12月30日に「マルハン新世界店」が先行オープンした後、2015年2月27日に「MEGAドン・キホーテ新世界店」がマルハン2階にオープンした。


  1. ^ a b c フェスティバルゲートの落札について』(PDF)(プレスリリース)株式会社マルハン、2009年1月30日http://www.maruhan.co.jp/news/090130.pdf2016年10月27日閲覧 
  2. ^ a b フェスティバルゲート”. 実績の紹介. 株式会社大林組. 2016年10月27日閲覧。
  3. ^ フェスティバルゲート”. 建築施工実績. 村本建設株式会社. 2016年10月27日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag グラビア特集 蘇るルナパーク!「新世界」活性化目指し、いよいよフェスティバルゲート始動!! - アミューズメント産業1997年8月号
  5. ^ a b c d e フェスティバルゲート:再入札、娯楽施設会社が落札--14億2,000万円
  6. ^ a b c 人・モノ・おおさか 新世界を21世紀のアミューズメントタウンに 泉陽興業株式会社取締役企画開発部長高殿修さん - Chamber 1993年12月号(大阪商工会議所)
  7. ^ 高殿修「「都市型立体遊園複合施設・フェスティバルゲート」の紹介」 - 建築設備&昇降機 No.10(日本建築設備・昇降機センター 1997年)
  8. ^ a b 関西国際空港と地域開発の主なうごき1993年3月 - 経済月報1993年5月号(紀陽銀行調査部)
  9. ^ a b フェスティバルゲート、開業から14ヶ月で来場者1000万人を突破 - アミューズメント産業1998年11月号
  10. ^ 新世界アーツパーク事業
  11. ^ 大阪・破綻遊園地落札契約解除の韓国系開発会社に8億円支払い命令 産経ニュース 2010.5.20
  12. ^ Art Theater dBcocoroom
  13. ^ サンクスフェスティバルゲート(リンクを右クリックなどでコピーしてブラウザのアロケーションバーに貼り付けてアクセスすること)
  14. ^ フェスティバルゲートの売払い実施要領 概要 (PDF)
  15. ^ “破綻した大阪の都市型遊園地「フェスティバルゲート」をマルハンに売却。”. ナリナリドットコム. (2009年1月30日). https://www.narinari.com/Nd/20090111015.html 2013年2月15日閲覧。 
  16. ^ 「マルハン大阪 韓流PROJECT」始動』(PDF)(プレスリリース)株式会社マルハン、2013年7月10日http://www.maruhan.co.jp/news/130710.pdf2016年10月27日閲覧 
  17. ^ “紆余曲折の末、フェスティバルゲート跡にドン・キホーテ出店へ マルハンと契約し”. 産経WEST. (2014年8月4日). http://www.sankei.com/west/news/140804/wst1408040043-n1.html 2015年1月2日閲覧。 






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