タトラKT4 (ポツダム市電) タトラKT4 (ポツダム市電)の概要

タトラKT4 (ポツダム市電)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 00:36 UTC 版)

タトラKT4 > タトラKT4 (ポツダム市電)
タトラKT4D(ポツダム市電)
タトラKT4DM(ポツダム市電)
タトラKT4DC(ポツダム市電)
ノイエナー門英語版を潜る試作車
(001、2007年撮影)
基本情報
製造所 ČKDタトラ
製造年 試作車 1972年
量産車 1978年 - 1983年
製造数 試作車 2両
量産車 43両
運用開始 試作車 1975年
量産車 1978年
運用終了 試作車 1989年
量産車 2020年代(予定)
投入先 ポツダム市電
主要諸元
編成 2車体連接車、片運転台
軸配置 Bo'Bo'
軌間 1,435 mm
車両定員 着席定員
38人→32人(試作車、001)
26人→25人(試作車、002)
荷重 21.1 t(試作車)
車体長 18,100 mm(試作車)
車体幅 2,180 mm(試作車)
車体高 3,110 mm(試作車)
主電動機出力 40 kw(試作車)
出力 160 kw(試作車)
備考 主要数値は[1][2][3][4][5]に基づく。
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試作車

タトラKT4は、車両限界や曲線半径が狭い東ドイツを始めとした各都市へ向けてČKDタトラが開発した小型の2車体連接車である。開発は1960年代後半から行われ、既存の車両を改造した試験用車両を用いた実験などを経て1973年に2両の試作車が完成した[1][6][8]

PCCカーの技術を用いた台車や制御装置[注釈 1]などは量産車に引き続き採用された一方、インダストリアルデザイナーフランティシェク・カルダウスチェコ語版が手掛けた側面にコルゲート加工が施された車体デザイン、運転台の設計など、量産車で変更された要素も複数存在した。製造当初これらの試作車は「8001」「8002」の車両番号が付けられていたが、ポツダム市電での導入にあたり「001」「002」への改番が実施された[1][6]

プラハ市電プラハ)を始めとしたチェコスロバキアでの試運転を終えた後、2両の試作車はベルリン市電ベルリン)での試運転が予定されていたが実現せず、代わりにポツダム市電の路線を用いる事となり、1974年にポツダムへ輸送された後、翌1975年1月から試運転が開始された。歯車比の変更や集電装置の交換、2両編成による連結運転に加え、実際に乗客を乗せた状態での走行試験も行われ、それらが完了した10月からはポツダム市電の定期列車での使用が開始された。ただし当初は単独での運用であり、連結運転が始まったのは1982年からとなった[1][6][3][7]

だが、試作車という事もあり予備部品の調達に難が生じ、1983年には前照灯を量産車と同一の丸形へ交換する改造が実施されたものの、ベルリン市電から量産車の譲渡が実施された結果、1989年をもって営業運転を終了した。その後002は部品取り用として車庫に留置され1991年に解体された一方、001はそれ以降も長期に渡り放置状態に置かれたが、1998年以降ベルリン歴史交通保存協会ドイツ語版による大規模な修復工事が実施され、2001年のポツダム市電の新規車庫の完成披露式典に合わせて公開が実施された。以降はポツダム市電の動態保存車両の1つとしてイベントや団体輸送などに使用されている[1][9]

量産車

試作車の試験実績を経て開発された量産車のうち、ポツダム市電向けの車両は1978年から運行を開始し、1983年までに43両が導入された。更に1989年から1990年にかけてはベルリン市電で余剰となった80両の大量譲受が実施され、ポツダム市電に残存していたゴータ車両製造製の車両(ゴータカー)を置き換えた[10][4][5]

ドイツ再統一以降も引き続きタトラKT4Dはポツダム市電の主力車両として在籍し、1990年以降は2021年現在まで続く緑色白色を基調とした塗装への変更が実施された他、1992年から1995年にかけては乗降扉や座席の交換、集電装置の変更を始めとした近代化工事が実施された(KT4DM)。しかし、1998年以降は超低床電車コンビーノドイツ語版バリオバーンドイツ語版)への置き換えが進み、後述の通り海外への譲渡も実施された。2021年現在在籍するのは12両で[注釈 2]、利用客の増加を受け2016年から2017年にかけて延命を兼ねた再度の更新工事を受けた車両(KT4DC)である。ただしこれらの車両についても2020年代中に超低床電車への代替により廃車される事になっている[2][3][4][12]


注釈

  1. ^ 開発当初に想定されていた電機子チョッパ制御装置はこの時点では採用されず、1982年以降製造されたKT4Dtから導入された。
  2. ^ 全車ともベルリン市電からの譲渡車両である[11]

出典

  1. ^ a b c d e f Der Prototyp KT4D 001”. Denkmalpflege-Verein Nahverkehr Berlin e.V.. 2018年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月5日閲覧。
  2. ^ a b c d MOBILE ZUKUNFT (PDF) (Report). Verkehrsbetrieb Postdam GmbH. 2016年4月. pp. 8–9. 2021年5月5日閲覧
  3. ^ a b c d e Potsdam Tram-Testgebiet für die DDR”. Potsdamer (2015年2月4日). 2021年5月5日閲覧。
  4. ^ a b c „Lieber schlecht fahren, als gut laufen!“”. Märkische Allgemeine (2018年7月29日). 2021年5月5日閲覧。
  5. ^ a b c 菊池悦朗 2006, p. 36.
  6. ^ a b c d DP PRAHA DOKONČIL OPRAVU PROTOTYPU TRAMVAJE KT4D”. Československý Dopravák (2018年5月21日). 2021年5月5日閲覧。
  7. ^ a b Neil Pulling 2012, p. 21.
  8. ^ Ryszard Piech (2008年3月18日). “Tramwaje Tatry na przestrzeni dziejów (2) od KT8 do T6” (ポーランド語). InfoTram. 2016年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月5日閲覧。
  9. ^ Adventsfahrten mit dem ViP-Glühwein-Express”. Stadtwerke Potsdom (2011年11月22日). 2021年5月5日閲覧。
  10. ^ Denkmalpflege-Verein Nahverkehr Berlin e.V. & Arbeitsgruppe Potsdam 2014, p. 22.
  11. ^ Neil Pulling 2012, p. 22.
  12. ^ Grundinstandsetzung Tatra-Straßenbahnen”. Stadtwerke Potsdom. 2021年5月5日閲覧。
  13. ^ Romania's tramway revival – part 1”. LRTA (2016年4月11日). 2021年5月5日閲覧。
  14. ^ Romania's tramway revival – part 2”. LRTA (2016年4月11日). 2021年5月5日閲覧。


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