ジョージ (ケント公) ジョージ (ケント公)の概要

ジョージ (ケント公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 14:46 UTC 版)

ジョージ
Prince George
ケント公
1934年
在位 1934年10月12日 - 1942年8月25日
続柄 ジョージ5世第4王子

全名 George Edward Alexander Edmund
ジョージ・エドワード・アレグザンダー・エドマンド
称号 ケント公爵
セント・アンドルーズ伯爵
ダウンパトリック男爵
身位 Prince(王子)
敬称 His Royal Highness(殿下)
出生 1902年12月20日
イギリス
イングランドノーフォーク、サンドリンガム
死去 (1942-08-25) 1942年8月25日(39歳没)
イギリス
スコットランドケイスネス
埋葬 1942年8月29日
イギリス
イングランドウィンザー城聖ジョージ礼拝堂
後にフロッグモア王室墓地
配偶者 マリナ・オブ・グリース・アンド・デンマーク
子女 エドワード
アレクサンドラ
マイケル
父親 ジョージ5世
母親 メアリー・オブ・テック
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生涯

当時プリンス・オブ・ウェールズだったジョージ王子(後のジョージ5世)とメアリー妃の四男として、ノーフォークのサンドリンガムで誕生。

1903年1月26日に、ウィンザー城のプライベートチャペルで、オックスフォード司教であるフランシス・パゲットによって洗礼を施され、エドワード7世アレクサンドラ王妃、デンマーク王子ヴァルデマールイス・アレグザンダー・マウントバッテンマリア・フョードロヴナへレナ王女代父母となった。

三兄グロスター公ヘンリーと共に家庭教師から学び、先に長兄エドワード(後のエドワード8世)と次兄アルバート(後のジョージ6世)も海軍に入っていたのにならい、13歳から海軍兵学校に入り、海軍士官となった。戦艦アイアン・デューク」や戦艦「ネルソン」で勤務したが、1929年に体調不良が原因で現役を退いた。その後は外務省や内務省で働き、初めて文官として公務を経験した王族となった。軍人としてはその後空軍に籍を移し、在籍中にはカナダまでの飛行に成功、初めて大西洋を横断したイギリス王族となった。1940年には、空軍准将に昇進した。

1932年には、父王が務めていたリンカーン法曹院の評議員に任じられた。

1936年に、長兄のエドワード8世がウォリス・シンプソンとの結婚のために退位した際は、明るく社交的な性格で、エドワードに似た華やかな雰囲気を纏っていた事に加え、エドワードの弟としては唯一男児をもうけていたことから、内気な性格である次男アルバートや三男ヘンリーではなく、四男のジョージを次の国王として即位させるべきとの提案をする廷臣もいた。

独身の頃は長兄のエドワード8世同様、華やかな噂が絶えなかった。キャバレー歌手フローレンス・ミルズ、女優ジェシー・マシューズ、銀行家の令嬢ポピー・バリング、作家セシル・ロバーツらと浮き名を流し、俳優で劇作家サー・ノエル・カワード保守党下院議員のヘンリー・シャノン英語版とも交流があった。結婚後も、後にアーガイル公爵夫人となるマーガレット・キャンベル英語版と不倫関係を結んでいたと伝えられている。また、麻薬中毒の噂も立ち、親密な関係にあった男娼からその件に関して度々恐喝されていたとも伝えられている。駐英アルゼンチン大使の息子と共に、一時はジョージと三人婚の関係にあり、彼の子供も生んだとされている、アメリカ社交界の花形キキ・プレストンは、後にニューヨークのホテルで投身自殺を遂げた。

1928年4月12日に「海軍ロッジNo2612」でフリーメイソンに加入した[1]1939年には、イングランド・連合グランドロッジグランドマスター英語版となり、死去までその地位にあった。1939年7月19日には、同じくフリーメイソンリーである兄ジョージ6世とともに世界からメイソン1万4000人を集めての集会「イギリス・グランドロッジ連合」の開催を実現した[1]

第二次世界大戦が始まると空軍に復帰したが、1942年8月25日、アメリカ軍が駐留するアイスランドへ向かう途中、自ら操縦する飛行艇ショート サンダーランド」が、スコットランド北部のケイスネスで墜落、薨去。この時の任務の内容や死因については、未だに謎が多い。

エポニム

現在は、カナダブリティッシュコロンビア州フレイザー・フォートジョージ地域の行政府であるプリンス・ジョージ市にその名を残している。


  1. ^ a b 湯浅慎一 1990, p. 112.


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