ジョゼップ・グアルディオラ
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指導者経歴
FCバルセロナB
引退後は同世代のルイス・エンリケらと共に指導者の道を選び、2007-08シーズンからFCバルセロナBの監督としてバルセロナに再び戻った。そして就任1年でテルセーラ・ディビシオン(4部)からセグンダ・ディビシオンB(3部)に昇格させた。
FCバルセロナ
2008-09シーズン
2008年5月8日、フランク・ライカールトに代わって2008-09シーズンからFCバルセロナのトップチームの監督に就任することが発表された。前日のエル・クラシコで1-4と屈辱的な敗戦を喫してからすぐの就任発表だった[12]。契約期間は2年で、年俸は欧州のトップクラブの指揮官としてはかなりの低額の150万ユーロと言われている[13]。就任会見でそれまでの中核であったロナウジーニョ、デコ、サミュエル・エトーの構想外を宣言し[14](エトーは後に残留)、遅刻1分につき500ユーロ(約6万5000円)の罰金を徴収するなど[15]、2006-07シーズンから2シーズン連続で無冠と不振のクラブに改革を施した。クラブの下部組織出身の選手を重用し[16]、レアル・マドリードとのエル・クラシコで2連勝するなど、リーグの最多勝ち点記録を上回るペースで勝ち点を積み重ね、36節終了後に優勝を決めた。決勝でアスレティック・ビルバオを倒したコパ・デル・レイ、マンチェスター・ユナイテッドを倒したUEFAチャンピオンズリーグと合わせ、就任1年目にしてスペインサッカー史上初となる3冠達成を果たした。3冠達成後には「このチームがクラブ史上最強だとは思わないが、最高の成績は残せた」と語った[17]。
2009-10シーズン
2009年夏にはインテルとの間でサミュエル・エトーとズラタン・イブラヒモビッチをトレードし、さらに4900万ユーロを支払う大型移籍を取りまとめた。また、インテルからマクスウェルを獲得し、FCシャフタール・ドネツクからドミトロ・チグリンスキーを獲得した。エイドゥル・グジョンセンはASモナコに移籍し、シウヴィーニョとアルベルト・ジョルケラは契約満了により移籍し、アレクサンドル・フレブ(→VfBシュトゥットガルト)、マルティン・カセレス(→ユヴェントス)、アルベルト・ボティア(→スポルティング・ヒホン)、ビクトール・サンチェス(→シェレスCD)などはレンタルでチームを離れた。2009-10シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャでビルバオを破り、UEFAスーパーカップでシャフタール・ドネツクを破る絶好なスタートを切り、9月25日のマラガCF戦ではFCバルセロナの監督として50勝目を積み上げた。12月19日にはクラブ初のFIFAクラブワールドカップ優勝を飾り、シーズン跨ぎとはいえ一年間で6つのタイトル(リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ)を獲得した。
2010年1月に行われたコパ・デル・レイ、ラウンド16でセビージャFCに敗れたが、1月20日にはクラブとの契約を1年間延長し、2010-11シーズン終了まで指揮を執ることが決定した[18]。2月には就任以来の公式戦試合数が100試合に達し、71勝19分10敗(242得点76失点)という好結果を樹立している[19]。4月10日のエル・クラシコで勝利し、FCバルセロナの歴史の中で初めてこの対戦で4連勝を記録した監督となった。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝のインテル戦に2試合合計2-3で敗れ、永遠の宿敵のホームで2連覇を果たす夢はホーム・カンプ・ノウで潰えた。リーグ戦では、ホームでレアル・バリャドリードを4-0で破り、ヨーロッパ新記録となる勝ち点99で20回目のリーグ優勝を達成した。監督就任以来7つ目のタイトルとなり、11個のタイトルを獲得しているヨハン・クライフに次ぐ2位タイ(フェルディナンド・ダウシクと並ぶ)のタイトルホルダーとなった。6月8日には、3月6日のUDアルメリア戦中・戦後の言動によりスペインサッカー連盟に15000ユーロの罰金を言い渡された[20]。
2010-11シーズン
2010年7月14日、クラブとの契約を2011年8月まで延長した[21]。2010年夏には、1年前に加入したばかりの二人の選手がクラブを去った。シャフタール・ドネツクに復帰したチグリンスキーとACミランに移籍したイブラヒモビッチである。さらに、ラファエル・マルケスとティエリ・アンリがニューヨーク・レッドブルズに移籍し、ヤヤ・トゥーレはマンチェスター・シティに移籍した。セビージャからアドリアーノ・コレイア、バレンシアCFからダビド・ビジャ、リヴァプールからハビエル・マスチェラーノを獲得した。
8月21日、スーペルコパ・デ・エスパーニャでセビージャを5-3で破り、2年連続2度目の優勝を果たした。11月29日にはレアル・マドリードとのエル・クラシコで5-0の大勝を飾り、就任から同一カード5連勝となった。2011年2月8日にはクラブが提示した新契約を受け入れ、2012年6月まで契約延長した[22]。5月11日、レバンテUD戦(1-1)に引き分け、3シーズン連続21回目のリーグ優勝を決めた。2008年夏の就任以来、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントのアウェー戦では7戦連続未勝利であったが、準々決勝のシャフタール・ドネツク戦2ndレグに1-0で勝利し、初のアウェー戦勝利を掴んだ。同大会準決勝はレアル・マドリードと対戦することになった。時同じくしてコパ・デル・レイ決勝でも対戦することになった上、リーグ戦でも対戦が予定されていたため、3週間で4度のクラシコが行われることとなり、クアトロ・クラシコ(Cuatro Clasico、4度のクラシコの意)と呼ばれて白熱した。UEFAチャンピオンズリーグも獲得した。
2011-12シーズン
ウディネーゼ・カルチョよりアレクシス・サンチェスを、アーセナルFCより元カンテラーノのセスク・ファブレガスを獲得した。
リーガ開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャでレアル・マドリード相手に1stレグは2-2と引き分けるも、2ndレグで3-2と勝利を収め、2戦合計でスーペルコパ・デ・エスパーニャを獲得。8月26日のUEFAスーパーカップもFCポルトを2-0で破って獲得。また、12月に日本で行われたFIFAクラブワールドカップ2011では、ダビド・ビジャが脛骨骨折の重傷を負うも優勝を果たした。しかし、4月18日のチャンピオンズリーグのチェルシーとの1stレグ(アウェーで0-1で敗れた)の3日後に行われたリーガのクラシコで、就任後初めてレアル・マドリードに敗れ、翌週24日のチェルシーとの2ndレグではブスケッツのゴール後、相手の主将・ジョン・テリーを退場に追い込みイニエスタが逆転弾を決めたものの追加点を奪えず、逆に前半終了間際にマスチェラーノがフランク・ランパードに自陣でボールを失う致命的なミスを犯し、テリーの退場後に右サイドバックに入ったラミレスにループシュートを決められ僅か1分で追いつかれてしまう。後半ファブレガスがディディエ・ドログバに倒されPKを獲得したがメッシがPKを失敗し、試合終了間際にフェルナンド・トーレスにカウンターからゴールを許して2-2で引き分けて、敗退した。結局4月の死の3連戦[23]に一切勝てなかった事で2大タイトル(リーガとチャンピオンズリーグ)を逃した。
2012年4月27日、FCバルセロナの監督を退任することを発表した。その理由として、「バルサの監督は信じられないほどのエネルギーを要求される。」、「CL、リーガの試合が辛く、楽しめなくなっていた」など心身の消耗を主に挙げている。退任前最後の試合となったコパ・デル・レイ決勝ビルバオ戦を制し、3季ぶりの優勝を果たし有終の美を飾った。就任してから最も獲得タイトルが少ないシーズンになったが、「サッカーに関して言えば、今季はベストシーズンだった。我々は新しいコンセプトを取り入れたんだ。来シーズンはもっと良くなるだろう」[24] と述べている。指揮を執った4シーズンの間に獲得の可能性があった19個のタイトルのうち、14個ものトロフィーをクラブにもたらした。これはクライフのドリーム・チームを上回る数字となった。後任には、4年間アシスタントコーチを務めたティト・ビラノバが就き、チームのスタイルを継続する事を目指した。
今後に関しては、「遅かれ早かれ監督に復帰するだろうが、今はその意欲はない。ほかにやりたいこともあるし、人生はサッカーだけじゃない。将来どうすべきかは、おのずと明らかになるだろう」[25] と話し、少なくとも1年は家族との時間に費やす予定であるという。バルサ復帰に関しては、「何も決めていない。バルサに戻るかもしれないし、そうならないかもしれない」[26] と述べている。
シーズン | プリメーラ・ディビシオン | 国王杯 | SC | UEFA | FIFA | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 点 | 順位 | CL | SC | CWC | |||
2008-09 | 38 | 27 | 6 | 5 | 105 | 35 | 87 | 1位 | 優勝 | 優勝 | |||
2009-10 | 38 | 31 | 6 | 1 | 98 | 24 | 99 | 1位 | ベスト16 | 優勝 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 |
2010-11 | 38 | 30 | 6 | 2 | 95 | 21 | 96 | 1位 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | ||
2011-12 | 38 | 28 | 7 | 3 | 114 | 29 | 91 | 2位 | 優勝 | 優勝 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 |
バイエルン・ミュンヘン
2013-14シーズン
2013年6月、ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘンの監督に就任。契約は2016年まで[27]。移籍市場では古巣のバルセロナから教え子のティアゴ・アルカンタラを獲得。バイエルンでの公式戦初采配となったボルシア・ドルトムントとのDFBスーパーカップは落としたものの、チェルシーFCとのUEFAスーパーカップを制し、バイエルンでの初タイトルを獲得。同年12月にはFIFAクラブワールドカップ2013を制した。前シーズン、クラブ初の三冠を達成したチームの勢いを落とすことなく、リーグ戦では開幕から首位を独走し、7試合を残してのブンデスリーガ最速優勝を達成した。UEFAチャンピオンズリーグではベスト4進出を果たすも、準決勝でのレアル・マドリード戦で2戦合計スコア0-5の大差を付けられ敗退した。それでも、ドルトムントとのDFBポカール決勝を制しリーグとの2冠を達成した。
2014-15シーズン
2014-15シーズンはロベルト・レヴァンドフスキ、フアン・ベルナト、シャビ・アロンソを獲得し、4-3-3をベースに3-5-2、3-4-1-2などのオプションを増やした。リーグ戦は開幕戦から独走して第30節のVfLヴォルフスブルク戦で優勝した。連覇を目指したDFBポカールはキャプテンのラーム、レアルからバイエルンに移籍したシャビ・アロンソ、古巣からバイエルンに移籍したゲッツェ、守護神のノイアーがいずれも失敗する珍事で、UEFAチャンピオンズリーグはシャキリらを放出し、後述する怪我人の対応に後手を踏む中ベスト4に進出するが、準決勝では古巣のバルセロナ相手に1stレグは0-3と大敗。2ndレグでは3-2と試合自体には勝利したものの合計スコア3-5で敗退した。ロッベンやリベリー、アラバ、シュバインシュタイガー、マルティネス、バトシュトゥバーら大量の怪我人が続出したシーズンであった。
2015-16シーズン
シーズン | ブンデスリーガ | DFB ポカール |
DFL SC |
UEFA | FIFA | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 点 | 順位 | CL | SC | CWC | |||
2013-14 | 34 | 29 | 3 | 2 | 94 | 23 | 90 | 1位 | 優勝 | 準優勝 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 |
2014-15 | 34 | 25 | 4 | 5 | 80 | 18 | 79 | 1位 | 準決勝敗退 | 準優勝 | 準決勝敗退 | ||
2015-16 | 34 | 28 | 4 | 2 | 80 | 17 | 88 | 1位 | 優勝 | 準優勝 | 準決勝敗退 |
マンチェスター・シティ
2016-17シーズン
2016年2月、2016-17シーズンよりプレミアリーグの強豪チームマンチェスター・シティFCの監督に就任することが決定。ペップが得意とするポゼッションサッカーをベースとしながら、バイエルン監督時代に編み出した両サイドバックが中盤に入ってくる偽サイドバック戦術でプレミアリーグ開幕5連勝を飾るなど華々しいスタートを切るも、徐々に失速。
グアルディオラの指導の下攻撃には磨きがかかったが、守備陣が不安定なプレーに終始し、攻守のバランスが崩壊する場面が目立った。特に自らが足元の技術を買って獲得を希望したクラウディオ・ブラーボは一時期枠内シュート被弾率100%を記録するなど肝心のシュートストップで結果を残せず、放出したジョー・ハートと比較されて批判を浴び、後半戦はウィルフレード・カバジェロにポジションを譲った。CLでもリーグ戦と同様打ち合いの試合が多く、ラウンド16ではASモナコ相手に1stレグを5-3で制したが、2ndレグでは3-1で敗れ、2戦合計は同点ながらアウェイゴールの差で敗退となった[28]。2017年1月、ガブリエル・ジェズスがチームに加入すると[29]、終盤戦ではサネ、スターリング、ジェズスの若い3トップが活躍して[30]、最終的に3位でリーグ戦を終えてチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2017-18シーズン
ASモナコからポルトガル代表MFのベルナルド・シウバ、SLベンフィカからブラジル代表GKエデルソン・モラレスを獲得。エデルソンはGK歴代2位となる4000万ユーロもの移籍金を費やして獲得した。またバカリ・サニャ、ガエル・クリシー、パブロ・サバレタが契約満了で退団し、アレクサンダル・コラロヴがASローマに移籍したことを受けトッテナム・ホットスパーからイングランド代表DFカイル・ウォーカーをDF史上最高額となる5000万ポンドで獲得し[31]、レアル・マドリードからブラジル代表DFダニーロ、ASモナコからフランス代表DFバンジャマン・メンディを獲得した。
昨シーズンはグアルディオラの独特で難解な戦術の浸透に苦労したが、今シーズンは選手達の戦術理解度が増しサネ、スターリング、デルフなどの選手が急成長。プレミアリーグでは第11節のアーセナルFC戦で勝利し、クラブ記録となる9連勝を記録した。また、公式戦においても15戦無敗でこちらもクラブ記録となった[32]。11月26日、ハダースフィールド・タウンFCに1-0で勝利して、アウェーにおける連勝を11勝として連勝記録を更新した。12月13日、第17節のスウォンジー・シティFC戦に4-0で勝利し、プレミアリーグ史上歴代最多となる15連勝を達成した[33]。1月14日の23節のリヴァプールFC戦で3-4で敗れるまで、プレミアリーグでの無敗記録を「22」まで伸ばした。冬の移籍市場ではクラブ史上最高額と言われる5700万ポンドを投じて、アスレティック・ビルバオからDFアイメリク・ラポルテを獲得[34]。カラバオ・カップ決勝ではアーセナルFCを3-0で破り、5回目の優勝を果たした[35]。UEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝まで進出したが、リヴァプールに連敗し敗退した[36][37]。4月15日、2位のマンチェスター・ユナイテッドFCが破れたことによりシティの4季ぶりのプレミアリーグ優勝が決定した[38]。史上初の「勝ち点100」「106得点」のプレミア記録を達成した。
5月17日、マンチェスター・シティは2020-21シーズンまでの契約延長を発表した[39]。
2018-19シーズン
2019年5月12日、アウェイでのブライトン戦に4-1で快勝。リーグ2連覇を達成した。5月18日にはワトフォードとのFAカップ決勝でラヒーム・スターリングのハットトリックなどで6-0と快勝。プレミア史上初となる国内3冠(プレミアリーグ、カラバオカップ、FAカップ)、コミュニティ・シールドを含めてイングランドのクラブでは史上初の4冠を達成した。しかしUEFAチャンピオンズリーグでは準々決勝でトッテナム・ホットスパー相手に2戦合計4-4とアウェイゴールの差で敗退し、2年連続ベスト8止まりに終わった。
2019-20シーズン
コミュニティ・シールドではリヴァプールをPK戦の末破り、連覇を達成した。リーグ戦は優勝最有力と目されていたがリヴァプールに大きく差をつけられ、さらにレスター・シティをも下回って3位で前半戦を折り返す。後半は持ち直したもののリヴァプールとの差は広がり、第31節でチェルシーに敗れてリヴァプールに史上最速優勝を決定させることになった。結果、リーグ戦は宿敵ユナイテッドに10年ぶりのシーズン2敗を喫するなどグアルディオラ体制では最低[40] となる9敗を喫し、26勝3分で勝ち点81の2位に終わった。FAカップは準決勝でアーセナルに敗れたが、カラバオカップは決勝でアストン・ヴィラを2-1で破り3連覇を達成した[41]。FFPによる次季チャンピオンズリーグ出場権剥奪が懸念されるもそれを回避。チャンピオンズリーグではベスト8に駒を進めるも1-3でリヨンに敗れた。
2020-21シーズン
2021-22シーズン
2022-23シーズン
シーズン | プレミアリーグ | FAカップ | EFLカップ | CS | UEFA | FIFA | ||||||||
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試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 点 | 順位 | CL | SC | CWC | ||||
2016-17 | 38 | 23 | 9 | 6 | 80 | 39 | 78 | 3位 | 準決勝敗退 | 4回戦敗退 | ベスト16 | |||
2017-18 | 38 | 32 | 4 | 2 | 106 | 27 | 100 | 1位 | 5回戦敗退 | 優勝 | 準々決勝敗退 | |||
2018-19 | 38 | 32 | 2 | 4 | 95 | 23 | 98 | 1位 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 準々決勝敗退 | ||
2019-20 | 38 | 26 | 3 | 9 | 102 | 35 | 81 | 2位 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 | 準々決勝敗退 | ||
2020-21 | 38 | 27 | 5 | 6 | 83 | 32 | 86 | 1位 | 準決勝敗退 | 優勝 | 準優勝 | |||
2021-22 | 38 | 29 | 6 | 3 | 99 | 26 | 93 | 1位 | 準決勝敗退 | 4回戦敗退 | 準優勝 | 準決勝敗退 | ||
2022-23 | 38 | 28 | 5 | 5 | 94 | 33 | 89 | 1位 | 優勝 | 準々決勝敗退 | 準優勝 | 優勝 | ||
2023-24 | 38 | 位 | 決勝 | 3回戦敗退 | 準優勝 | 準々決勝敗退 | 優勝 | 優勝 |
- ^ カナ表記をするとジョゼッブ・グアルディオーラとなる。なおスペイン語版でのIPA表記は[ʒuˈzɛp ɡwəɾðiˈɔɫə]となっており、カナ表記するとジョゼップ・グアルディオーラとなる。この違いはフォネティカ・シンタクティカによって、語末の内破的位置にある無声子音pが後続語の語頭にある有声子音ɡによる逆行同化によって有声化が起こった結果である。
- ^ “マンC・グアルディオラ監督 過密日程解消へストライキを説く 英紙報道”. 日刊スポーツ (2021年12月24日). 2021年12月24日閲覧。
- ^ 児玉光雄『サッカー名監督 超一流の思考』東邦出版株式会社、2012年、126ページ、ISBN 978-4-8094-1075-8
- ^ “バルセロニスタも嘆いた? クラシコ4日前のシュスター解任劇”. WOWOWオンライン (2008年12月11日). 2009年10月3日閲覧。
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- ^ マンC、ウォーカー獲得発表。移籍金73億円はDF史上最高額 footballchannel (2017年7月15日)
- ^ 日本を襲うジェズス&デブルイネ、絶好調マンCで競弾!クラブ新9連勝 スポニチ(2017年11月7日)
- ^ マンC、プレミア歴代最多の15連勝を達成! アーセナルの記録を15年ぶりに更新 サッカーキング(2017年12月14日)
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- ^ “リヴァプール、シティに3発完勝…アウェーゴール許さず完璧なプラン遂行で第2戦へ/CL準々決勝”. Goal.com. (2018年4月4日) 2018年4月11日閲覧。
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- ^ PEP GUARDIOLA SIGNS CONTRACT EXTENSION Manchester City FC Official Website(2018年5月19日)
- ^ リーグ戦9敗はグアルディオラ自身の監督キャリアの中でもワースト記録となる。
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固有名詞の分類
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