ジョゼップ・グアルディオラ 選手経歴

ジョゼップ・グアルディオラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 18:24 UTC 版)

選手経歴

クラブ

FCバルセロナでの活躍

カタルーニャ地方のサンパドーに生まれ、カンプ・ノウからわずか100mほどの学校に通った。「幼い頃は、いつもシュスターのユニフォームを着ていた。彼はバルセロナ史上最高のMFの1人だ」と語り、ベルント・シュスターがアイドルであったと語っている[4]。13歳でFCバルセロナの下部組織であるラ・マシアに入寮し[5]、徐々に上位カテゴリーに昇格していった。1990年、カディスCF戦でトップチームデビューを果たし、ヨハン・クライフ監督はギジェルモ・アモール欠場時にグアルディオラを起用した。1991-92シーズンにはレギュラーポジションを獲得し、わずか20歳にしてリーガ・エスパニョーラUEFAチャンピオンズカップ優勝の立役者となった。1992年、イタリアのサッカー誌グエリン・スポルティーヴォによって、ヨーロッパの最優秀若手サッカー選手に贈られるブラヴォー賞を獲得した。

ドリームチームは1992-93シーズン、1993-94シーズンも王座を守り、リーグ4連覇を果たしたが、グアルディオラはいずれのシーズンも中軸としてプレーしている。1993年にロマーリオを獲得したチームは1993-94シーズンにもUEFAチャンピオンズカップで決勝に進出したが、ファビオ・カペッロ率いるACミランに0-4で大敗した[6]

1994-95シーズン、第6節のアトレチコ・マドリード戦でラリーガ初ゴールを挙げた[7]。1996年にクライフがチームを離れ、1996-97シーズン、ボビー・ロブソン率いるチームはコパ・デル・レイUEFAスーパーカップUEFAカップウィナーズカップのトレブル(3冠)を獲得した。ドリームチームの時代は過ぎ去り、チキ・ベギリスタインフリスト・ストイチコフの役割をルイス・フィーゴロナウドが引き継いだが、グアルディオラの役割は不変だった。1996-97シーズン終了後、クラブはグアルディオラに対するASローマパルマFCからの約3億ペセタ(約3億5千万円)のオファーを拒否した。契約延長に関する長い交渉の末、2001年までの新契約にサインした。

1997-98シーズンのほとんどをふくらはぎの怪我で欠場したが、クラブはルイ・ファン・ハール新監督の下で国内リーグと国内カップの2冠を達成した。1998年6月8日、肉体的な問題を解決するために手術を行い、フランスで開催された1998 FIFAワールドカップを逃した。1998-99シーズンは戦線に復帰し、リバウドやルイス・フィーゴの活躍のおかげもあって再びリーグタイトルを獲得した。1999-2000シーズンは深刻な膝の怪我により、シーズン終盤の3か月に出場できなかった。2000-01シーズンのリーグ戦は4位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグではベシクタシュJKとACミランに完敗してグループリーグで敗退し、チームは無冠に終わった。

2001年4月11日、ユース時代から17年間過ごしたクラブを離れることを決意し、6月24日のセルティックFC戦がFCバルセロナでのラストマッチとなった。FCバルセロナでは12シーズンで479試合に出場して16個のタイトルを獲得した。セルティック戦後の記者会見で「長い旅だった。私はとても幸せで、誇りを持っている。たくさんの友人ができた。私はもう幸福を探し求めない。選ばれた者として長い間過ごした」と述べた。得点数は少なかったが、6度のリーグタイトルと1度のUEFAチャンピオンズカップバルセロナオリンピックでの金メダル、その他さまざまなトロフィーを獲得した。

2008年にUEFA欧州選手権を制したスペイン代表の中盤の選手の多く、特にシャビ・エルナンデスアンドレス・イニエスタセスク・ファブレガスらにとって、グアルディオラは少年時代のアイドルであり、チームを去っても尊敬度は変わらなかった[8]

セリエA挑戦

2001年に31歳でFCバルセロナを離れると、ニューカッスル・ユナイテッドFCマンチェスター・ユナイテッドFCウェストハム・ユナイテッドFCトッテナム・ホットスパーFCリヴァプールFC、ACミラン、インテル・ミラノがグアルディオラ獲得に興味を示した。しかし彼はセリエAブレシア・カルチョとASローマでプレーすることを選んだ。彼はブレシアへの入団会見で「私が移籍を決めたのはロベルト・バッジョがいたからだ。彼とプレーできることはビッグクラブへの移籍よりはるかに魅力的だ」と語っていた。しかしながら彼のイタリアでの挑戦は成功だったとは言えず、2003年までに71試合に出場するのみにとどまった。

ドーピング疑惑と無罪

2001年11月には試合後のドーピング検査において、禁止薬物であるナンドロロンに対する陽性反応が出たために4か月間の出場停止処分を受けた。さらに、2005年には執行猶予がついたものの7か月の有罪判決を受けた。これに対してグアルディオラ側は「イタリアのドーピング検査はいいかげんだ」と一貫して無実を主張し、科学的根拠のある反証を数多く提出した。そして2007年10月にブレシア高等裁判所は1審を破棄し、無罪の判決を下した。こうして6年間に渡る闘いの末、グアルディオラの潔白がようやく証明された。

ところが、無罪判決から2年後の2009年8月、イタリアオリンピック委員会(CONI)がグアルディオラを上訴し、ドーピング問題が再燃した[9]。しかし9月の裁判で裁判所はグアルディオラ側の主張を認める判決を下したため、9月29日にCONIが彼の無罪を発表して問題が決着した[10]

カタールとメキシコでの晩年

ストレスのたまるイタリアでの挑戦の後、34歳にして彼が選んだのはカタール・スターズリーグアル・アハリ・ドーハだった。マンチェスター・ユナイテッドからも誘いがあったが、欧州以外の場所でプレーすることを希望したために中東を選び、レギュラーとしてプレーした。スターズリーグではガブリエル・バティストゥータなどの名選手が何人かプレーしていた。華やかな選手生活に戻る気はなかったため、2005年夏にはマンチェスター・ユナイテッドやマンチェスター・シティFCチェルシーFCなど欧州のトップクラブからのオファーを断った。

2006年、メキシカン・サッカーリーグのドラドス・デ・シナロアの監督をしていたスペイン人のフアン・マヌエル・リージョは、指導者養成学校に通っていたグアルディオラを誘った。中盤での魔法のようなプレーは健在だったが、半年間プレーした後の2006年11月に現役引退を表明した。

代表

スペイン代表

1992年にはU-23スペイン代表のキャプテンとしてバルセロナオリンピックに参加し、金メダルを獲得した。

1992年10月14日、ウィンザーパークで行われた1994 FIFAワールドカップ予選北アイルランド戦でスペインA代表デビューした。1994年には1994 FIFAワールドカップに出場し、グループリーグのボリビア戦でPKを決めて1ゴールを挙げたが[11]、グループリーグに2試合のみの出場となった。チームはベスト8に進出したが、準々決勝でイタリアに1-2で敗れた。ハビエル・クレメンテ監督はしばしばグアルディオラを控え選手として扱い、大会後は長らく代表を外れ、1996年のUEFA欧州選手権1996でもメンバーから外れた。

度重なる怪我の影響によってフランスで開催された1998 FIFAワールドカップ、日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップと2大会連続でFIFAワールドカップに出場できず、選手生活においてワールドカップの舞台での活躍は縁の無いものとなった。2000年のUEFA欧州選手権2000では準々決勝に進出したが、フランスに1-2で敗れた。2001年11月14日のメキシコとの親善試合が彼の代表ラストマッチとなった。

カタルーニャ代表

カタルーニャ代表としては、1995年から2005年までに7試合に出場した。


  1. ^ カナ表記をするとジョゼッブ・グアルディオーラとなる。なおスペイン語版でのIPA表記は[ʒuˈzɛp ɡwəɾðiˈɔɫə]となっており、カナ表記するとジョゼップ・グアルディオーラとなる。この違いはフォネティカ・シンタクティカによって、語末の内破的位置にある無声子音pが後続語の語頭にある有声子音ɡによる逆行同化によって有声化が起こった結果である。
  2. ^ マンC・グアルディオラ監督 過密日程解消へストライキを説く 英紙報道”. 日刊スポーツ (2021年12月24日). 2021年12月24日閲覧。
  3. ^ 児玉光雄『サッカー名監督 超一流の思考』東邦出版株式会社、2012年、126ページ、ISBN 978-4-8094-1075-8
  4. ^ バルセロニスタも嘆いた? クラシコ4日前のシュスター解任劇”. WOWOWオンライン (2008年12月11日). 2009年10月3日閲覧。
  5. ^ Sports Graphic Number、文藝春秋、2009年10月29日号
  6. ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年2月号 日本スポーツ企画出版社 P.10-11
  7. ^ “Pep all goals”. transfermarket. (2020年6月5日). https://www.transfermarkt.co.uk/pep-guardiola/alletore/spieler/5950 2020年5月6日閲覧。 
  8. ^ 日本代表の守備的MF稲本潤一は、グアルディオラを憧れの選手であるとした。
  9. ^ グアルディオラのドーピング問題が再燃”. Goal.com (2009年8月1日). 2009年10月6日閲覧。
  10. ^ 【欧州サッカー】グアルディオラ監督のドーピング疑惑晴れる” (2009年9月30日). 2009年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月25日閲覧。
  11. ^ “Pep National team”. transfermarket. (2020年6月5日). https://www.transfermarkt.co.uk/pep-guardiola/nationalmannschaft/spieler/5950 2020年5月6日閲覧。 
  12. ^ バルセロナ グアルディオラ氏の新監督就任を発表”. AFP BB News (2008年5月9日). 2009年10月3日閲覧。
  13. ^ グアルディオラ監督のサラリー”. Goal.com (2009年3月19日). 2009年10月3日閲覧。
  14. ^ グアルディオラ監督 エトーの残留を明言”. AFP BB News (2008年8月13日). 2009年10月3日閲覧。
  15. ^ 38歳グアルディオラ監督3冠”. ニッカンスポーツ (2009年5月29日). 2009年10月3日閲覧。
  16. ^ グアルディオラ監督就任1年目の3冠達成”. スポニチ (2009年5月29日). 2009年10月3日閲覧。
  17. ^ ニッカンスポーツ (2009年5月29日). “38歳グアルディオラ監督3冠”. 2009年10月3日閲覧。
  18. ^ “Pep Guardiola agrees new Barcelona deal”. ESPN Soccernet. (2010年1月20日). http://soccernet.espn.go.com/news/story?id=728427&sec=europe&cc=5901&campaign=rss&source=soccernet 
  19. ^ “Guardiola: 100 partidos, 71 victorias”. www.sport.es. (2010年2月20日). http://www.sport.es/default.asp?idpublicacio_PK=44&idioma=CAS&idtipusrecurs_PK=7&idnoticia_PK=689215 
  20. ^ “Guardiola fined 15,000 euros for ref accusation”. Agence France-Presse. (2010年6月8日). https://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5ikYvGNd4H-nlVehpbHckNAnaFzaQ 
  21. ^ “Pep Guardiola signs new deal as coach of Barcelona”. BBC Sport (BBC). (2010年7月14日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8817528.stm 2010年7月14日閲覧。 
  22. ^ “Guardiola accepts new deal until 2012”. オリジナルの2011年7月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110711103938/http://goal-arena.com/2011/02/guardiola-accepts-new-deal-until-2012/ 
  23. ^ 日本スポーツ企画出版社 2011-2012 EUROPE SOCCER TODAY 完結編117頁
  24. ^ 最後もメッシを称賛のペップ-14個のタイトルに満足”. goal.com (2012年5月26日). 2012年5月26日閲覧。
  25. ^ バルセロナのグアルディオラ監督退任へ「しばらく休んで力を蓄えたい」”. スポーツナビ (2012年4月28日). 2012年5月28日閲覧。
  26. ^ グアルディオラ監督「試合を楽しめなかった」”. スポーツナビ (2012年6月3日). 2012年6月13日閲覧。
  27. ^ グアルディオラ氏、来季からバイエルン監督に就任”. goal.com (2013年1月17日). 2013年6月7日閲覧。
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  40. ^ リーグ戦9敗はグアルディオラ自身の監督キャリアの中でもワースト記録となる。
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