ザ・ボディガード スタッフ

ザ・ボディガード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 10:25 UTC 版)

スタッフ

※監督・脚本は#エピソードリストを参照。( ) の数字は担当話数で、無しは全話担当。

ロケーション撮影

カリフォルニア州香港マカオでもロケーション撮影がされ、第10話「グランドキャニオンの殺人者」では、カリフォルニア州に聳えるマンモスマウンテンバックカントリーを千葉真一自らスキーで滑走した[注釈 1]

OPと予告

第3話までは伊達正が鷲見秀介をザ・ボディガードへ入社する経緯、そのメンバー紹介後に番組タイトル、オープニングテーマでストーリーと繋がる画、出演・スタッフのクレジット表記が流れる。第4話以降はオープニングテーマの別バージョンを流し、ナレーション無しの主要キャストのクレジット、番組タイトル、オープニングテーマに出演とスタッフのクレジットという順に変更され、画はそれまでと同様にストーリーに繋がるものとなった。さらに中盤からは主要キャスト紹介の後に本編に入り、その後オープニングに移る構成に変更された。各話のタイトルはハーモニカのBGMと一緒に表示され、次回予告のナレーションは伊達正が第2 - 3話、宮城花恵が第4, 6話、黒沢竜吾が第5話を担当をしている。

放映

放送局

媒体・再放送

ネット配信

  • 2023年7月1日より、YouTube「東映シアターオンライン」の「60分ドラマ据置枠」で第1話と第2話が常時無料配信されている。

注釈

  1. ^ ザ★ゴリラ7』のオープニングクレジットでも滑走している姿は全話放映され、本作や『ザ★ゴリラ7』のDVD-BOXで視聴できる。この滑走はドキュメンタリー『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』(東京12ch)や合同酒精「ワリッカ」のCMで採用され、1979年の『バトルフィーバーJ』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている[2]

脚注

  1. ^ a b ザ・ボディガード”. 東映チャンネル. 2016年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月1日閲覧。
  2. ^ バトルフィーバーJ#映像ソフト化』(東映ビデオ)の1,2話より。
  3. ^ 東奥日報』1974年9月テレビ欄
  4. ^ 『河北新報』1974年4月4日 - 4月25日付朝刊、テレビ欄。
  5. ^ 『河北新報』1974年4月5日 - 4月26日付朝刊、テレビ欄。
  6. ^ 『河北新報』1974年4月9日 - 4月30日付朝刊、テレビ欄。
  7. ^ 新潟日報』1974年9月テレビ欄
  8. ^ 信濃毎日新聞』1974年9月テレビ欄
  9. ^ 静岡新聞』1974年9月テレビ欄。
  10. ^ 山陰中央新報』1974年9月テレビ欄
  11. ^ 愛媛新聞』1974年9月テレビ欄
  12. ^ 高知新聞』1974年9月テレビ欄
  13. ^ 長崎新聞』1974年9月テレビ欄
  14. ^ 熊本日日新聞』1974年9月テレビ欄
  15. ^ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号






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