サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ)
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修道院と付属美術館
主回廊には、パッツィ家礼拝堂がある。これは1442年から1446年にかけて、参事会会議場として建てられ、最終的に1470年代に完成したものである。先にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームを作ったフィリッポ・ブルネレスキは、 精密なシンプルさと簡素さを保てるよう、そのデザインに留意した。
鐘楼は、最初のものが落雷によって傷んだため、1842年に再建された。ゴシック・リヴァイヴァル建築の大理石のファサードは、1857年から1863年にかけて、ニッコロ・マタスが制作した。
付属美術館は昔の食堂をあてられ、回廊とは分けてある。その回廊にはフローレンス・ナイチンゲールの祈念碑が建っている。ナイチンゲールはこの町の生まれで、名前も町の名から付けられた。ブルネレスキは内側の回廊も手掛け、1453年にそれは完成した。
かつてのフランシスコ会士の寄宿舎は、現在、革製品の学校になっている[2]。訪問客は伝統工芸の財布や書類入れ、その他の革製品を見ることができ、またそれらは隣接する店で売られている。
美術
サンタ・クローチェ聖堂でみられる主要作品は以下のとおりである。
- ベネデット・ダ・マイアーノ - 説教壇。パッツィ家礼拝堂の扉(弟ジュリアーノ・ダ・マイアーノと共同制作)。
- アントニオ・カノーヴァ - ヴィットーリオ・アルフィエーリの記念碑。
- チマブーエ - 『キリスト磔刑』(1966年の浸水で被害を受け、現在は食堂にある)
- アンドレア・デッラ・ロッビア - メディチ家礼拝堂の祭壇画。
- ルカ・デッラ・ロッビア - パッツィ家礼拝堂の装飾。
- デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ - カルロ・マルスッピーニの墓碑。パッツィ家礼拝堂のフリーズ。
- ドナテッロ - 南壁の『受胎告知』のレリーフ。バルディ家礼拝堂左手のキリスト磔刑像。食堂の『トゥールーズの聖ルイ(Louis of Toulouse) 』(元々はオルサンミケーレ教会のために制作)。
- アーニョロ・ガッディ - カステラーニ礼拝堂および内陣のフレスコ画群。内陣のステンドグラス。
- タッデオ・ガッディ - バロンチェッリ礼拝堂のフレスコ画群。聖具室の『キリスト磔刑』。食堂の『最後の晩餐』(彼の最高傑作と言われている)。
- ジョット - ペルッツィ礼拝堂およびバルディ家礼拝堂右手のフレスコ画群。バロンチェッリ礼拝堂の祭壇画『聖母戴冠』もおそらく彼の作品だろうと言われている。
- ジョヴァンニ・ダ・ミラノ - リヌッチーニ礼拝堂のフレスコ画群(『聖母マリアとマグダラのマリアの生涯』も)。
- マーゾ・ディ・バンコ - バルディ・ディ・ヴェルニオ礼拝堂のフレスコ画群(シルウェステル1世の生涯を描いたもの)。
- ヘンリー・ムーア - 主回廊の戦士の彫刻。
- オルカーニャ - フレスコ画の大部分はヴァザーリによる改築中になくなったが、食堂にいくつかの断片が残っている。
- アントーニオ・ロッセリーノ(Antonio Rossellino) - 南側廊の『マドンナ・デル・ラッテ(乳の聖母)』のレリーフ(1478年)。
- ベルナルド・ロッセリーノ - レオナルド・ブルーニの墓碑。
- サンティ・ディ・ティート - 北側廊の祭壇画『エマオの晩餐』ならびに『キリストの復活』。
- ジョルジョ・ヴァザーリ - ミケランジェロの墓碑(彫刻はValerio Cioli、Iovanni Bandini、Battista Lorenzi)。『カルバリへの道』[3]。
- ドメニコ・ヴェネツィアーノ - 食堂の『聖ヨハネと聖フランチェスコ』。
メディチ家礼拝堂の中にあった、ロレンツォ・ディ・ニッコロ(Lorenzo di Niccolò)の多翼祭壇画は、現在二つに分割されて、フィレンツェ・ギャラリーズとミラノのバガッティ・ヴァルセッキ博物館にある。
- ^ Chiarini, Gloria (2007年). “Basilica of Santa Croce”. Florence Art Guide. 2007年7月30日閲覧。
- ^ Scuola del Cuoio - Laether Schhol
- ^ Borsook, Eve (1991). Vincent Cronin. ed. The Companion Guide to Florence, 5th Edition. HarperCollins; New York. pp. page pages 100-104
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