ジョヴァンニ・ダ・ミラノとは? わかりやすく解説

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ジョヴァンニ・ダ・ミラノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 06:55 UTC 版)

ジョヴァンニ・ダ・ミラノ『聖母誕生』
フィレンツェ、サンタ・クローチェ聖堂リヌッチーニ礼拝堂

ジョヴァンニ・ダ・ミラノ(Giovanni da Milano、活動時期:1346年 - 1369年)はイタリア画家フィレンツェおよびローマで活動した。ジョヴァンニ・ダ・ミラーノとも表記される。

ジョヴァンニの作風は、当時のフィレンツェの画家たち同様、ジョットの亜流と見なされている。ジョルジョ・ヴァザーリは、ジョヴァンニをタッデオ・ガッディ(有名なジョットの被保護者)の見習いだったと間違えていた。

ロンバルディア出身で、「フィレンツェのジョヴァンニ」の名前が出てくる最も古い記録(1346年10月17日)では、トスカーナに住む外国人のリストの中に、Johannes Jacobi de Commoの名前で紹介されている[1]

ジョヴァンニの重要な作品は以下のものがある。

  • 聖者たちと聖母(1355年頃) - 「ジョヴァンニ・ダ・ミラノ」の署名がある最古のもの。プラートのSpedale della Misericordiaのために描いたもの。
  • フィレンツェ、オンニサンテイ教会のために作った多翼祭壇画(1363年頃) - 現在は分割されて散在している。聖者たちと天地創造の場面が描かれている。
  • 悲しみの人(1365年頃) - 板。フィレンツェ、アカデミア美術館所蔵。署名と日付のある最古のものとして知られている。
  • フィレンツェ、サンタ・クローチェ聖堂リヌッチーニ礼拝堂の両側を飾るフレスコ画。一方に聖母マリアの、もう一方にマグダラのマリアの生涯が、各々5つの場面の連作として描かれている。上2列(3枚)がジョヴァンニの、下の列(2枚)はマッテオ・ディ・パチーノの作品と信じられている。

記録に残っているジョヴァンニの最後の仕事は1369年となっていて、この時ジョヴァンニはローマで、ジョッティーノならびにタッデオ・ガッディの息子たちと、ローマ教皇ウルバヌス5世のために働いたことが知られている。

脚注

参考文献

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