サンティ・ディ・ティートとは? わかりやすく解説

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サンティ・ディ・ティート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 00:21 UTC 版)

サンティ・ディ・ティート
Santi di Tito
サンティ・ディ・ティートの作品中の自分を描いたされる部分
生誕 (1536-12-05) 1536年12月5日
フィレンツェ
死没 1603年7月25日(1603-07-25)(66歳没)
フィレンツェ
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サンティ・ディ・ティート作のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の装飾画

サンティ・ディ・ティート(Santi di Tito、1536年12月5日[1] - 1603年7月25日)は、16世紀後半のイタリアの画家、建築家で、反マニエリスムの画家となり、初期ルネサンスへの回帰を目指した画家とされる。

略歴

フィレンツェサンセポルクロ出身の職人の息子に生まれた。地元の画家の工房に入り、ブロンズィーノ(1503-1572)やバッチョ・バンディネッリ(1488-1560)といった画家とも知り合った。1554年にフィレンツェの美術学校(Accademia delle Arti del Disegno)に入学したとされる。1558年から1564年の間は、ローマで働いたが[2] 、それ以前のサンティ・ディ・ティートの初期の作品はあまり知られていない。

ローマではジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(Giovanni de' Vecchi: 1536-1614)や ニッコロ・チルチニャーニ(c.1517/1524 – after 1596)とともにサルヴィアティ宮殿(Palazzo Salviati)やベルヴェデーレ宮殿の装飾の仕事をし、フェデリコ・ツッカリ(1542/1543-1609)とともにピウス4世邸(Casina di Pio IV)の装飾の仕事をした。ローマで初期ルネサンスのラファエロ・サンティのスタイルに似たスタイルの画風を身に着けたとされる。

1564年にフィレンツェに戻り、Accademia delle Arti del Disegnoの会員に迎えられ、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)のもとで多くの絵画が描かれた飾られたヴェッキオ宮殿の「フランチェスコ1世のストゥディオーロ(Studiolo di Francesco I)」に2点の作品を収めた。その後フィレンツェのオンニッサンティ教会(Chiesa di Ognissanti)やサンタ・クローチェ聖堂の祭壇画を描き、17世紀の美術史家フィリッポ・バルディヌッチ(1625-1696)はこれらの作品で反マニエリスムのスタイルを確立したとしている。

フィレンツェで没した。息子のティベリオ・ディ・ティート(Tiberio di Tito: 1573–1627)も画家になった[3] 。弟子にはチーゴリ(1559-1613)をはじめ、コジモ・ガンベルッチ(1562-1621)やグレゴリオ・パガーニ(Gregorio Pagani: 1559-1605)、アンドレア・ボスコーリ(Andrea Boscoli)らがいた。

作品

脚注

  1. ^ Nadia Bastogi: Santi di Tito. In: Dizionario Biografico degli Italiani. Band 90: Salvestrini–Saviozzo da Siena. Istituto della Enciclopedia Italiana, Rom 2017 (italienisch, treccani.it).
  2. ^ Santi di Tito (italienisch, 1536–1603). artnet.de.
  3. ^ Santi di Tito (italienisch, 1536–1603). artnet.de.

参考文献

  • Tito, Santi di. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 33: Theodotos–Urlaub. E. A. Seemann, Leipzig 1939, S. 224–225 (biblos.pk.edu.pl).
  • Enciclopedia Italiana di Scienze, Lettere ed Arti. Istituto delle Enciclopedia Italian fondato da Giovanni Treccani, Rom 1949, S. 783.
  • Simona Lecchini, Marco Collareta (Hrsg.): Disegni di Santi di Tito 1536–1603 Leo S. Olschki Editore, Florenz, ISBN 88-222-3382-4, S. 21 und S. 40.

サンティ・ディ・ティート(Santi di Tito 、1536年 - 1603年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 23:42 UTC 版)

17世紀フィレンツェ派の画家」の記事における「サンティ・ディ・ティート(Santi di Tito1536年 - 1603年)」の解説

フィレンツェのセバスティアーノ・ダ・モンテカルロの工房修練積んだ1558年から1564年までローマ滞在しローママニエリスム様式習得

※この「サンティ・ディ・ティート(Santi di Tito 、1536年 - 1603年)」の解説は、「17世紀フィレンツェ派の画家」の解説の一部です。
「サンティ・ディ・ティート(Santi di Tito 、1536年 - 1603年)」を含む「17世紀フィレンツェ派の画家」の記事については、「17世紀フィレンツェ派の画家」の概要を参照ください。

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