サンカ 生活形態

サンカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 13:48 UTC 版)

生活形態

定住することなく狩猟採集によって生活する。を生産することでも知られ、交易のために村々を訪れることもあった。職業の区別もあり「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた[1]。また「ミナオシ」「テンバ」と呼ばれるサンカは、かたわらささらの製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。

私的所有権を理解していなかったため、村人からは物を盗んだ、勝手に土地に侵入したとして批難されることも多かった。拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことが多かった。

サンカは明治期には全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人ほどいたと推定されているが、実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、以上の数値は推計に過ぎない。 サンカの女性は売春で生活している場合が多く、サンカは売春婦という意味でも使われた。日本語を使用するが、一部の単語では独特なサンカ語を使用する。

呼称

「サンカ」を漢字で書き記す時には統一的な表記法は無く、当て字により「山窩」「山家」「三家」「散家」「傘下」「燦下」(住む家屋を持たずを屋根とする屋外に住む存在という意味)などと表記した。 また、地方により「ポン」「カメツリ」「ミナオシ(箕直)」「ミツクリ(箕作)」「テンバ(転場)」など呼ばれ方も違う(それぞれの呼称は「ホイト(陪堂)」「カンジン(勧進)」など特定の職業を指す言葉と併用されることも多い)。

サンカの実態調査を試みた立場による呼び名の違いもある[2]

役所による呼称
住居を定めない浮浪漂泊者野非人の群れの1つに「サンカ」「山カ」「さんか」等と記述されていた。
警察による呼称
例外なく「山窩」とされている。に定住する村人から物を盗む犯罪専科の単位集団として規定されていた。
研究者による呼称
警察型「山窩」と混同することなく明確に「サンカ」としている。
農林省による呼称
国有林、公有林などの保全維持業務の一環として、盗伐を防ぐため調査し「サンカ」「山窩」と表記、呼称していた。

また「ミナオシ」「テンバ」と呼ばれるサンカは、かたわらささらの製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。

一説では「サンカ」は自分達の呼称を仲間と言う意味で「けんた」と称し、河原にテントを張って生活する一団を「せぶりけんた」、一定の宿所を持っている者を「どや付けんた」と言ったとする[3]

「サンカ」という語彙の歴史

「サンカ」という言葉が現れたのが、江戸時代末期(幕末)の文書が最初である。北海道の名付け親でもある探検家松浦武四郎の著書にサンカに命を救われたとの記述がある。彼ら自身がサンカと名乗ったわけではないため「サンカ」はこれ以前に口語として存在したと推察される。この手記では単に「山に住む人」という意味で使われている。広島の庄屋文書(1855年)にも「サンカ」の語は登場し「山に住む犯罪者」の意で記述されている。

明治に入ると警察を中心とした多くの行政文書に「山窩」と記述され、ほとんど山賊と同義の言葉として使用される。民俗学者の柳田國男が警察の依頼を受けて「山窩」の現地調査を行ったのもこの時代である。行政文書に「山窩」が登場する頻度は次第に減り、第二次世界大戦中にはほぼ皆無となっている。

「サンカ」の語が一般に広く知られるようになったのは、戦後にサンカ小説によって流行作家の地位を確立した三角寛が発表した一連の作品群によるところが大きい。これらは実際に山中に住み「サンカ」と呼ばれた実在の「松浦一家」への取材に基づいている。しかし三角は商業小説家であり「サンカ小説」の内容は娯楽性を追求した完全に創作の人間ドラマである。三角の小説が流行したことで、その設定を元に『風の王国』を執筆した五木寛之など、更にファンタジー性が増した大衆小説が大流行した。三角の協力を仰いだ映画『瀬降り物語』(中島貞夫監督)も制作されている。サンカ文学の流行後にはサンカは被差別民であり、サンカへの偏見を是正しようという誤解に基づいた運動が見られるようになるが、そのころには山間や里部の不定住者はほぼ消滅していた。

1980年代のオカルトブームでは謎多きサンカは格好の題材となり、神代文字を使用する、超能力を使う、古代文明の生き残りであるなど荒唐無稽な本が多数出版され、様々な誤解や俗説を産むようになった。更に一部の懐疑主義者からは「サンカはオカルト好きの創作ではないか」と実在まで疑われる事態となった。

その後のサンカ研究では、単純な貧困層(山間や里部でさまざまな隙間産業的な生業に就いていた者)と、犯罪者あるいは犯罪者予備軍の隠れ家としての生活形態を持っていた者を切り離して考えようという見方が一般的になりつつある。しかし全国的にサンカの名称が使われ出したのは、もっぱら官憲の用語としてであったことを考え合わせると、これもまた間違いであり、学問的中立性を欠いているという批判もある。強い監視が必要であると過去に目されていた一定の集団は、単純な貧困層より早い段階(おそらく昭和初期)に社会構造の変化や官憲の圧力により山間部や里部からは姿を消したのであろうという考察もある。社会学的な側面で「サンカ」という言葉やそれを取り巻く状況を検証する動きが成果を上げており、議論に一定の方向性が生まれつつある。

江戸時代末期から大正期の用法から見て、本来は官憲用語としての色合いが強い。その初期から犯罪者予備軍、監視および指導の対象者を指す言葉として用いられたことが、三角寛の小説における山窩像の背景となっている。また、サンカを学問の対象として捉えた最初の存在と言ってもよい柳田國男やその同時代の研究者らも、その知識の多くを官憲の情報に頼っている。官憲の刑事政策によって幕末から発生した、流民の虞犯者に対して「川魚漁をし、竹細工もする、漂泊民」の呼称であるサンカが(「山窩」という当て字で)使われた。それがマス・メディアに載って流通し、一人歩きした果てに、日本の中で異なる習俗をもった異なる種族の如き意味を孕むに至ったという[4]。官憲からの情報で「山窩らしき」者を調査した柳田は、鷹野弥三郎のサンカ=犯罪者論を鋭く批判し、彼等の窃盗は「財貨に対する観念の相違に基づく」ものであるとして一応擁護の立場に立っている[5]


  1. ^ 筒井功「1. サンカ生態論 (地域別呼称と特性)」『サンカの起源: クグツの発生から朝鮮半島へ』河出書房新社、東京、2012年6月。ISBN 978-4-309-22578-4NCID BB09575385OCLC 796780979 
  2. ^ 「サンカ学の現況—最近のフィールド調査による回遊職能民としてのサンカ (飯尾恭之)」『サンカ: 幻の漂泊民を探して』河出書房新社、東京、2005年6月。ISBN 4-309-74003-0NCID BA72453048OCLC 224691703 
  3. ^ 和田信義『暗黑街往來: 隱語・符牒辭典』東亞書房、1936年7月、7, 8, 29頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/102978942022年11月23日閲覧 
  4. ^ 「サンカが意味するもの(だれがサンカを生んだのか—犯罪とサンカ (朝倉喬司)」『サンカ: 幻の漂泊民を探して』河出書房新社、東京、2005年6月。ISBN 4-309-74003-0NCID BA72453048OCLC 224691703 
  5. ^ a b 柳田國男「イタカ」及び「サンカ」(其二)」『人類學雜誌』第27巻第8号、1911年9月10日、465-471頁、doi:10.1537/ase1911.27.465ISSN 0003-55052022年11月23日閲覧 
  6. ^ 柳田國男「イタカ」及び「サンカ」」『人類學雜誌』第27巻第6号、1911年9月10日、332–338頁、doi:10.1537/ase1911.27.332ISSN 0003-55052022年11月23日閲覧 
  7. ^ 柳田國男「イタカ」及び「サンカ」(其三)」『人類學雜誌』第28巻第2号、1912年2月10日、77–84頁、doi:10.1537/ase1911.28.77ISSN 0003-55052022年11月23日閲覧 





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