ガチョウ足行進 概要・沿革

ガチョウ足行進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/16 07:19 UTC 版)

概要・沿革

行進するドイツ帝国海軍将兵、1890年

膝を曲げずにまっすぐ伸ばした脚を高く上げるのが特徴[注釈 1]。手の振り方は国によって異なる[注釈 2]

この行進を行う姿が、ガチョウが歩く姿を連想させたところから生じた呼称(俗称)で、どちらかといえば揶揄的な表現である[注釈 3][1][2]。とりわけ20世紀半ばからはナチス・ドイツのイメージと結びついて記憶されており、そのような事情からしばしばナチス式行進とも呼ばれる。

プロイセン陸軍が発祥と考えられるが、明確な発生の事情は不明。軍部隊の同歩行進の特殊な形式で、プロイセン軍を中核とした統一後のドイツ軍に引き継がれ、式典や閲兵式にデモンストレートされた[3][4]

国家人民軍創設25周年を記念して1981年東ドイツで発行された切手。ベルリン都心ノイエ・ヴァッヘでの衛兵交代式をモチーフとした構図で、「ガチョウ足行進」が規律の正しさを象徴するイメージで描かれている。

世界各国の軍隊でこの行進形式が取り入れられているのは、主に以下の経路による。

  1. ドイツ経由:19世紀後半から20世紀初頭にかけて、プロイセン陸軍を模範として軍近代化を図った国々が、他の軍制度と同時にこの行進形式も導入。例:中華民国南米諸国等。また1930年代 - 40年代には枢軸国ナチス・ドイツの行進が模倣される。例:イタリアムッソリーニ政権時代)等[注釈 4](次節では◆で示す)。
  2. ロシア・ソ連経由:第二次世界大戦後、社会主義体制をとった国々で、ロシア帝国[注釈 5]からこの行進を引き継いだソ連軍の影響で広まる。例:ソ連諸国、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国ベトナムキューバモンゴル等(次節では★で示す)。
  3. 以上2つの経路のいずれか判別しがたい、または双方の要素が混在していると推測される国々。例:東欧諸国(次節では△で示す)。
ブッシュ政権への皮肉の意図を込めて、ナチス式敬礼(本来の右腕ではなく左腕を挙げている)とガチョウ足行進を行うデモ参加者。ワシントン、2005年。

この行進形式は、厳しい訓練や規律正しさ、威厳をアピールする視覚的効果が高い(いわば「式典映えする」)反面、しばしば独裁的・権威主義的・軍国主義的・全体主義的な政治体制のイメージと結びつき[注釈 6]、こうした政治体制の変革や否定にともなって廃止される場合が多い[注釈 7]

20世紀、自国ないしその体制に肯定的なニュアンスで(またはさらに積極的なプロパガンダの役割を期待されて)つくられた写真ポスター・映像などが、正反対の否定的なニュアンスで用いられることがしばしば生じたが、いくつかの国の「一糸乱れぬガチョウ足行進」の写真や映像はこの典型的な対象となってきた[注釈 8]。見た目通りかなり足に負荷のかかる行進である。


注釈

  1. ^ 行進のテンポ等に応じて、水平よりも高い角度に振り上げる場合、腰の高さに振り上げる場合、より低く膝の高さに振り上げる場合がある。またつま先を前方へ突き出す場合と、突き出さない場合とがある。
  2. ^ ソ連軍やその影響下にある東ドイツ朝鮮民主主義人民共和国など社会主義諸国では、前に出した腕の肘を曲げて握り拳を上半身の胸の辺りに引き寄せる。ただし観兵式では、「かしら右(左)」から「直れ」までの敬礼の間、両腕を脇に下げたまままったく振らない姿勢(上体だけを不動の姿勢にして、受礼者に注目する)に切り替えて行進を続ける。ドイツ軍では手指を伸ばして揃え、前に出した腕の掌をベルトバックルの前に引き寄せる。台湾イランアルゼンチンなどでは、まっすぐ伸ばした腕をそのまま前後に振る方式がとられている。
  3. ^ 軍隊等でこの行進形式を取り入れている国の国内では:Paradeschritt(パレード歩調)またはStechschritt(直立歩調)、西: Paso Regular、:正歩などと呼ばれる。
  4. ^ こうした経緯をたどった国の軍隊が、すべてガチョウ足行進を採用しているとは限らない。例えば明治以降プロイセン陸軍に範をとり、昭和期には枢軸国となった日本陸軍ではガチョウ足行進は採用されず、幕末から建軍前後にかけて影響を受けていたフランス流の徒歩行進を用い続けた。トルコ軍は、オスマン帝国時代にはドイツとの提携を強め、軍服にもドイツの影響が見られたが、現在アタテュルク廟で行われる衛兵交代式では脚は高く上がるもののひざは曲がっており、いわゆる「ガチョウ足行進」とは異なる方式になっている(ノートでの議論参照)。また、枢軸諸国の支援と影響を強く受けて成立したフランコ政権下のスペイン軍でもガチョウ足行進は行われなかった。
  5. ^ 18世紀からプロイセンより軍事顧問を招聘し、軍制改革を盛んに行ってきたロシアにもこの行進が導入されていた。
  6. ^ ただし、民主主義が機能している(いた)とされる諸国の軍隊(ワイマール共和制下のドイツ軍や、1973年のクーデター以前・1990年の民政移管後のチリ軍など)においてガチョウ足行進が行われている(いた)例があるし、逆に軍事政権・独裁政権と称される国々がこぞってガチョウ足行進を採用した(している)わけではない。
  7. ^ そのなかでも最も著名で典型的なものは、「発祥の地」ともいうべきドイツにおいて第二次大戦後、西ドイツドイツ連邦軍が、ナチス・ドイツのマイナスイメージから脱却を意図してガチョウ足行進を廃止した事例。
  8. ^ ナチス・ドイツの軍事行進、東西冷戦時代のモスクワ赤の広場のパレードや東ベルリンのパレードや衛兵交代、ピノチェト政権下のチリの閲兵式、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍事パレード等がその例である。これらの映像は、各国国外ではその国の恐怖を象徴するイメージとして用いられてきた[5]
  9. ^ 東ドイツではExerzierschritt(練兵歩調)という呼称を用いた。
  10. ^ ムッソリーニは1937年9月にヒトラーをベルリンに訪問して「アヒル式歩調」の勇壮さに圧倒されてイタリア軍に導入した。但し、彼ら自身はこれを「ローマ式歩調 Passo Romano 」と呼んだ。イタリアで行われていた「ローマ式敬礼」が「ナチス式敬礼」に取り入れられたのと好一対をなす現象である。木村 裕主『ムッソリーニを逮捕せよ』 新潮社、1989年参照。
  11. ^ ソ連または中国の影響。
  12. ^ ソ連またはベトナムの影響。
  13. ^ 中国の影響。

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