エスファハーン 人口

エスファハーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/13 11:05 UTC 版)

人口

サファヴィー朝の首都に定められていた時代のエスファハーンの人口は、500,000人に達していたとされる[41]。同時期の世界の都市のうち、500,000人以上の人口を有するものはロンドンパリ江戸北京イスタンブールとごく小数に限られていた[41]。サファヴィー朝の滅亡後、住民はイラクやインドに移住し、またイランの政治的混乱と支配者が課した重税によって人口は最盛期の10分の1にまで減少する[51]

20世紀後半より工業と観光産業が集中的に振興されたため、人口が増加した[48]。しかし、交通渋滞、貧困と失業、住宅の不足と老朽化といった問題も起きている[48]

1956年 1966年 1976年 1986年 1991年 1996年 2006年
人口 254,708[52] 424,045[52] 661,510[52] 986,753[53] 1,127,030[52] 1,266,072[53] 1,583,609[52]

経済

エスファハーン産の焼き物

エスファハーンは、古くから工業都市としても有名である[7]

アッバース1世は絹織物、貴金属細工、書道ミニアチュールなどの手工業を奨励し、サファヴィー朝時代の技術の面影は後世に残った[54]。銀器、ガラムカーリー(木型を使って着色した木綿)、ハータムサーズィー(寄木細工の一種)、七宝、タイルなどの手工芸品が特産品として知られている[7]。17世紀に町を訪れた商人ジャン・シャルダンは、バーザールと王の広場の露店を詳細に記録し、広場の露店を「自分が知る限り最も多くの酒類の品物が売られている、市場の中の市場」と評した[30]

エスファハーン郊外のナスラーバードには家内工業の形態をとる絨毯工房が多く集まり、女性たちによって絨毯が織られている[55]。エスファハーンで織られた絨毯の多くは町の大バーザールに出荷され、テヘラン・イラン国外の商人や観光客に購入される[56]。エスファハーン産の絨毯やミニアチュールには、町のシンボルであるイマーム広場がデザインされることが多い[7]

20世紀後半に町の周辺に工業地帯が建設されると経済構造が変化し、都市の人口の増加も起きた[14]ソビエト連邦の援助によって製鉄所が建設され[49]、1972年に国営の製鉄所が操業を開始した[57]。エスファハーンの製鉄所の操業は、イランの重金属工業の始まりとされている[57]。また、製鉄所の他に石油精製所が置かれている。

観光

イマーム・モスクの内部
キャラバンサライを改装したアッバーシー・ホテル

町に点在するサファヴィー朝の建設物には、装飾用のタイルが多く使用されている点に特徴がある[3]

紀元前のアケメネス朝の時代には、すでに釉薬をかけて焼いた煉瓦が色つきのタイルとして建築物に使われていた[58]。建築物を色鮮やかなタイルで装飾する技法は、15世紀のティムール朝の時代に始まる[59]

16世紀末のサファヴィー朝のアッバース1世の時代、エスファハーンに青色のタイルで装飾された建物が多く完成する。これらの建物の外面は青や黄色の装飾タイルのかけらで飾られ、タイルのかけらが組み合わされてモザイク状の模様を形成している[60]。装飾に多く使われる青色のタイルは、コバルトから出る濃紺のタイルとトルコ石を顔料として着色した薄い青のタイルの2種類が存在し、トルコ石で着色されたタイルの方が多く使われている[61]

アッバース1世の時代以降の建造物には、装飾タイルのほかに描画が施されたストゥッコ(漆喰の絵描きタイル)が装飾に使われている[62]。イマーム広場の西側に建てられた宮殿や劇場は、ストゥッコ壁画によって装飾された[63]。エスファハーンの建築物には、これらのモザイクを形成する装飾タイルと絵描きタイルがデザインや建設の工程によって使い分けられている[64]。ガージャール朝期の建設物には、ピンクや明るい黄色の派手なタイルが使われるようになる[65]

装飾タイルはもっぱら宗教施設か公共施設に使われ、一般の家屋に使われることはほとんどなかった[66]。バーザールにあるいくつかの工房では伝統的な手法で装飾タイルが作られており、技術とともに徒弟制度も継承されている[67]

モスクの他に、町の各所にイマームザーデというスーフィズムの聖者(スーフィー)を祀った霊廟が建てられている[68]

過去の王朝が建てたキャラバンサライの中には、ホテルに改装されて宿泊が可能になっているものも存在する[8][69]

主な観光地

  • イマーム広場 - 東西160m、南北512mの大広場[70]。北は大バーザール、東は旧市街、西は宮殿地域、南は新市街に繋がる。
  • アリ・カプ宮殿 - サファヴィー朝の王と外国の使節の謁見に使われた宮殿[71]。15世紀のティムール朝の時代に宮殿の原型ができる[10]。サファヴィー朝の王にとって、宮殿の門の敷居は特別なものだった[72]。イラン革命後はルーホッラー・ホメイニーの肖像などが掲げられている[10]
  • イマーム・モスク - 1630年に完成。
  • ヴァーンク教会 - 1655年完成。エスファハーン及びイラン国内在住のアルメニア人コミュニティーのためのアルメニア使徒教会の聖堂。
  • 金曜モスク - 10世紀以前に建立、その後増築と改修を繰り返す。1121年に火事に見舞われ、図書館が焼失した[10]
  • スィー・オ・セ橋 - 13の橋の意味
  • ハージュ橋英語版 - アッバース2世の時代に完成。33のアーチを備え、アーチは必要に応じて開閉されるため、ダムとしても機能している[49]
  • チェヘル・ソトゥーン宮殿英語版
  • シャイフ・ルトゥフッラー・モスク英語版(マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー) - サファヴィー王室のモスク。その名前はアッバース1世の父タフマースブ1世によってレバノンから招かれた説教師に由来する[71]。イマーム・モスクが男性のモスクと呼ばれるのに対して、こちらは女性のモスクと呼ばれる[10]
  • サーレバーン・ミナレット - セルジューク朝の時代に建てられたミナレット
  • バーバー・カージム廟 - イルハン朝の時代に建てられた聖者の霊廟。

注釈

  1. ^ 20世紀のイランの作家サーデグ・ヘダーヤトは、1932年に同名の紀行文『エスファハーンは世界の半分』を発表した。(『事典 イスラームの都市性』、59頁)
  2. ^ a b 1979年のイラン革命パフラヴィー朝が崩壊した後、王(シャー)という言葉の使用が禁止されたため、王のモスクはイマーム・モスク、王の広場はイマーム広場に改称された。(宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、83-84頁)
  3. ^ 「チャハール・バーグ」とは「4分割された庭園」の意であり、4本の水路と4つの区画に由来する。(NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、178-179頁)

出典

  1. ^ a b c d e f g 『西アジア』、108頁
  2. ^ 『イランを知るための65章』、6頁
  3. ^ a b c d e f 蒲生「イスパハーン」『アジア歴史事典』1巻、168頁
  4. ^ 『イランを知るための65章』、206頁
  5. ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、84頁
  6. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、18頁
  7. ^ a b c d e f g 『西アジア』、111頁
  8. ^ a b c d e f 上岡『イラン』、291-293頁
  9. ^ a b 蟻川明男『世界地名語源辞典』(三訂版, 古今書院, 2003年3月)、37頁
  10. ^ a b c d e f g h 『ユネスコ世界遺産 3(西アジア)』、200-211頁
  11. ^ 『世界の地名・その由来 アジア篇』(和泉光雄編著, 講談社出版サービスセンター, 1997年1月)
  12. ^ a b c 『事典 イスラームの都市性』、605頁
  13. ^ a b c 坂本「イスファハーン」『新イスラム事典』、93頁
  14. ^ a b c d e f g 羽田「イスファハーン」『岩波イスラーム辞典』、121頁
  15. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、169頁
  16. ^ a b c d e 『西アジア』、109頁
  17. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、169-170頁
  18. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、170頁
  19. ^ a b NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、171頁
  20. ^ 『イランを知るための65章』、154頁
  21. ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』4巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1973年6月)、26-28頁
  22. ^ a b c d e NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、176頁
  23. ^ a b イブン・バットゥータ『大旅行記』2巻(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1997年4月)、311-312,373頁
  24. ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』6巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1979年11月)、386-388頁
  25. ^ ルスタン・ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』収録(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2008年10月)、68-69頁
  26. ^ 裕加子, 後藤 (2018年3月). “サファヴィー朝の「統治の都」における王宮地区建設事業 : カズウィーンのサアーダトアーバードを事例として”. 関西学院史学. pp. 80–49. 2023年10月13日閲覧。
  27. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、262-263頁
  28. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、172頁
  29. ^ 『イランを知るための65章』、205頁
  30. ^ a b 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、266-267頁
  31. ^ a b c d e f g 『事典 イスラームの都市性』、606頁
  32. ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、86頁
  33. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、268頁
  34. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、270-271頁
  35. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、271頁
  36. ^ a b c d e 『西アジア』、110頁
  37. ^ a b 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、278頁
  38. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、278-279頁
  39. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、262頁
  40. ^ 羽田正「イスファハーン学派」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)、121-122頁
  41. ^ a b c 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、258頁
  42. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、257-259頁
  43. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、277頁
  44. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、148,150頁
  45. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、173-175頁
  46. ^ a b NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、173頁
  47. ^ イランでまた地震 死者五百人を超す『朝日新聞』1977年(昭和48年)4月8日朝刊、13版、23面
  48. ^ a b c assari, ali; T.M. Mahesh (August 2011). “Demographic comparative in heritage texture of Isfahan city”. Journal of Geography and Regional Planning. ISSN 2070-1845 ©2011 Academic Journals 4 (8): 463. http://www.academicjournals.org/jgrp/PDF/pdf2011/Aug/Assari%20and%20Mahesh.pdf 2013年1月6日閲覧。. 
  49. ^ a b c d 織田「イスファハーン」『世界地名大事典』6巻、101-103頁
  50. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、77,80頁
  51. ^ 『西アジア』、110-111頁
  52. ^ a b c d e World Gazetteer Eşfahān(2013年4月閲覧)
  53. ^ a b 『アジア・オセアニア 1』、98頁
  54. ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、83頁
  55. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、98頁
  56. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、108頁
  57. ^ a b 『アジア・オセアニア 1』、110頁
  58. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、196頁
  59. ^ 『イランを知るための65章』、107-108頁
  60. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、30-32頁
  61. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、66頁
  62. ^ 『イランを知るための65章』、110-111頁
  63. ^ 『イランを知るための65章』、111頁
  64. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、192-194頁
  65. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、199頁
  66. ^ 『イランを知るための65章』、107頁
  67. ^ 『イランを知るための65章』、109頁
  68. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、118頁
  69. ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、85頁
  70. ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、188頁
  71. ^ a b NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、28頁
  72. ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、264-265頁
  73. ^ Assari, Ali; Erfan Assari (2012). “Urban spirit and heritage conservation problems: case study Isfahan city in Iran”. Journal of American Science 8 (1): 203–209. http://www.jofamericanscience.org/journals/am-sci/am0801/030_7701am0801_203_209.pdf 2013年1月7日閲覧。. 
  74. ^ Isfahan Technical and Vocational Training Organization”. Web.archive.org (2007年10月8日). 2007年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月23日閲覧。
  75. ^ Isfahan, Beirut named sister cities”. MNA. 2007年5月2日閲覧。
  76. ^ Barcelona internacional – Ciutats agermanades” (Catalan). 2006–2009 Ajuntament de Barcelona. 2009年7月13日閲覧。






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