エスファハーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/13 11:05 UTC 版)
エスファハーン اصفهان / Eṣfahān | |
---|---|
イマーム広場の建物 | |
愛称 : 世界の半分(Nesf-e Jahān) | |
位置 | |
座標 : 北緯32度39分5秒 東経51度40分45秒 / 北緯32.65139度 東経51.67917度 | |
行政 | |
国 | イラン |
州 | エスファハーン州 |
市 | エスファハーン |
市長 | Morteza Saqaeian Nejad |
地理 | |
面積 | |
市域 | 279 km2 |
標高 | 1,550 m |
人口 | |
人口 | (2006年現在) |
市域 | 1,583,609人 |
その他 | |
等時帯 | IRST (UTC+3:30) |
夏時間 | UTC+4:30 (UTC+4:30) |
公式ウェブサイト : http://www.isfahan.ir/ |
古くからの政治・文化・交通の拠点であり[3]、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。当時の繁栄は「エスファハーンは世界の半分( Esfahān nesf-e-jahān ast 、エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)」と賞賛され[4][注 1]、この街を訪れたヨーロッパの商人も繁栄の記録を残している。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり[5]、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる[6]。
町は16世紀以前に建設された旧市街と、サファヴィー朝の王アッバース1世が建設した新市街で構成される。有名なイマーム・モスク(王のモスク[注 2])などがある新市街のイマーム広場(王の広場[注 2])は、ユネスコにより世界遺産に登録されている。
町の住人は出費に厳しい「倹約家」「吝嗇家」として良くも悪くも有名であり、他の地域の人間からは敬遠されることがある[7]。イランでは「エスファハーンはいいところだ。エスファハーン人さえいなければ」という住民を揶揄する言葉も知られている[8]。また、エスファハーンの人間は訛りが強いことでも知られ、言葉を聞いただけで容易に出身地が判別できるほどだと言われる[8]。
注釈
- ^ 20世紀のイランの作家サーデグ・ヘダーヤトは、1932年に同名の紀行文『エスファハーンは世界の半分』を発表した。(『事典 イスラームの都市性』、59頁)
- ^ a b 1979年のイラン革命でパフラヴィー朝が崩壊した後、王(シャー)という言葉の使用が禁止されたため、王のモスクはイマーム・モスク、王の広場はイマーム広場に改称された。(宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、83-84頁)
- ^ 「チャハール・バーグ」とは「4分割された庭園」の意であり、4本の水路と4つの区画に由来する。(NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、178-179頁)
出典
- ^ a b c d e f g 『西アジア』、108頁
- ^ 『イランを知るための65章』、6頁
- ^ a b c d e f 蒲生「イスパハーン」『アジア歴史事典』1巻、168頁
- ^ 『イランを知るための65章』、206頁
- ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、84頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、18頁
- ^ a b c d e f g 『西アジア』、111頁
- ^ a b c d e f 上岡『イラン』、291-293頁
- ^ a b 蟻川明男『世界地名語源辞典』(三訂版, 古今書院, 2003年3月)、37頁
- ^ a b c d e f g h 『ユネスコ世界遺産 3(西アジア)』、200-211頁
- ^ 『世界の地名・その由来 アジア篇』(和泉光雄編著, 講談社出版サービスセンター, 1997年1月)
- ^ a b c 『事典 イスラームの都市性』、605頁
- ^ a b c 坂本「イスファハーン」『新イスラム事典』、93頁
- ^ a b c d e f g 羽田「イスファハーン」『岩波イスラーム辞典』、121頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、169頁
- ^ a b c d e 『西アジア』、109頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、169-170頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、170頁
- ^ a b NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、171頁
- ^ 『イランを知るための65章』、154頁
- ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』4巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1973年6月)、26-28頁
- ^ a b c d e NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、176頁
- ^ a b イブン・バットゥータ『大旅行記』2巻(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1997年4月)、311-312,373頁
- ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』6巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1979年11月)、386-388頁
- ^ ルスタン・ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』収録(加藤九祚訳, 東海大学出版会, 2008年10月)、68-69頁
- ^ 裕加子, 後藤 (2018年3月). “サファヴィー朝の「統治の都」における王宮地区建設事業 : カズウィーンのサアーダトアーバードを事例として”. 関西学院史学. pp. 80–49. 2023年10月13日閲覧。
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、262-263頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、172頁
- ^ 『イランを知るための65章』、205頁
- ^ a b 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、266-267頁
- ^ a b c d e f g 『事典 イスラームの都市性』、606頁
- ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、86頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、268頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、270-271頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、271頁
- ^ a b c d e 『西アジア』、110頁
- ^ a b 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、278頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、278-279頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、262頁
- ^ 羽田正「イスファハーン学派」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)、121-122頁
- ^ a b c 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、258頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、257-259頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、277頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、148,150頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、173-175頁
- ^ a b NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、173頁
- ^ イランでまた地震 死者五百人を超す『朝日新聞』1977年(昭和48年)4月8日朝刊、13版、23面
- ^ a b c assari, ali; T.M. Mahesh (August 2011). “Demographic comparative in heritage texture of Isfahan city”. Journal of Geography and Regional Planning. ISSN 2070-1845 ©2011 Academic Journals 4 (8): 463 2013年1月6日閲覧。.
- ^ a b c d 織田「イスファハーン」『世界地名大事典』6巻、101-103頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、77,80頁
- ^ 『西アジア』、110-111頁
- ^ a b c d e World Gazetteer Eşfahān(2013年4月閲覧)
- ^ a b 『アジア・オセアニア 1』、98頁
- ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、83頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、98頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、108頁
- ^ a b 『アジア・オセアニア 1』、110頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、196頁
- ^ 『イランを知るための65章』、107-108頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、30-32頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、66頁
- ^ 『イランを知るための65章』、110-111頁
- ^ 『イランを知るための65章』、111頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、192-194頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、199頁
- ^ 『イランを知るための65章』、107頁
- ^ 『イランを知るための65章』、109頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、118頁
- ^ 宮田『物語イランの歴史 誇り高きペルシアの系譜』、85頁
- ^ NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、188頁
- ^ a b NHK「アジア古都物語」プロジェクト編『イスファハン オアシスの夢』、28頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、264-265頁
- ^ Assari, Ali; Erfan Assari (2012). “Urban spirit and heritage conservation problems: case study Isfahan city in Iran”. Journal of American Science 8 (1): 203–209 2013年1月7日閲覧。.
- ^ “Isfahan Technical and Vocational Training Organization”. Web.archive.org (2007年10月8日). 2007年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月23日閲覧。
- ^ “Isfahan, Beirut named sister cities”. MNA. 2007年5月2日閲覧。
- ^ “Barcelona internacional – Ciutats agermanades” (Catalan). 2006–2009 Ajuntament de Barcelona. 2009年7月13日閲覧。
固有名詞の分類
- エスファハーンのページへのリンク