アメン大司祭国家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 03:15 UTC 版)
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アメン大司祭国家はアメン神殿のあるテーベを中心に上エジプトを統治した。歴代のアメン大司祭はカルトゥーシュを用いるなど王として振舞ったが、下エジプトのタニスに中心をおく第21王朝の権威も承認していた。当初は対立したが、両者は姻戚関係を結び概ね平穏な関係を維持した。やがて第21王朝が倒れ古代リビュア傭兵の子孫シェションク1世によって第22王朝が勃興すると、アメン大司祭国家は第22王朝のコントロール下に置かれることになった。しかし、その政治制度や神殿の勢力はなお維持され、第22王朝の下でもアメン大司祭職は極めて重要な役職であり続けた。
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ 大司祭という訳語も絶対的なものではない。大祭司や神官長などと翻訳される場合もある。
- ^ 強力になりすぎたアメン神殿を制御するための王側の手はずによるとも言われる。
- ^ 「誕生の更新」の意。通常は「再生」と翻訳される。
- ^ スメンデス1世は第21王朝の王
- ^ プスセンネス1世、2世はエジプト第21王朝の王。またプスセンネス3世については非実在説も存在する。
- 1 アメン大司祭国家とは
- 2 アメン大司祭国家の概要
- 3 歴史
- 4 歴代王
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