第22王朝による支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:15 UTC 版)
「アメン大司祭国家」の記事における「第22王朝による支配」の解説
タニスの第21王朝とアメン大司祭国家の協力関係の下で両者が並存するという体制は、第21王朝が倒れると変化を余儀なくされた。第21王朝最後の王プスセンネス2世の後に第22王朝を建てたシェションク1世は、元々エジプトに土地を与えられた古代リビュア傭兵の子孫であり、その軍事力を背景にアメン大司祭国家に対しても統制を強めて人事権を握った。 シェションク1世はアメン大司祭職に自分の息子イウプト(英語版)を充て、以降アメン大司祭国家は第22王朝の制御下に置かれることになった。しかし自律的な組織を持つアメン神殿やアメン神官団の勢力はその後も健在で、第22王朝下においてもアメン大司祭職は強い権限を保持する地位であり続け、その権力はしばしば国内を二分する争いを引き起こしもしたのである。
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