アメン大司祭国家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 03:15 UTC 版)
歴代王
アメン大司祭が強い権力を握るようになったのは、新王国時代末期よりはもっと早い時代からである。しかし、通例「国家」の創始者とされるのは、独自の年号を用い王号を称したヘリホル以降である。以下の一覧はヘリホルから、第22王朝の王子イウプトより前までの歴代アメン大司祭の一覧である。この時期のアメン大司祭はカルトゥーシュを用い、即位名や誕生名(ラーの子名)を用いて王号を称した。王名は原則として「即位名・誕生名」の順に記すが、即位名が知られていない王もいる。またイコールで結ばれた名前は全て即位名である。在位年は参考文献『ファラオ歴代誌』の記述に寄るが、年代決定法その他の問題から異説があることに注意されたい。
- ヘムネチェルテピエンアメン・ヘリホル(前1080年 - 前1074年)
- ピアンキ(前1074年 - 前1070年)
- カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム1世(前1070年 - 前1032年)
- マサハルタ(前1054年 - 前1046年)
- ジェドコンスエフアンクウ(前1046年 - 前1045年)
- ヘムネチェルテピエンアメン・メンケペルラー(前1045 - 前992年)
- スメンデス2世[5](前992年 - 前990年)
- カーケペルラー=セテプエンアメン・パネジェム2世(前990年 - 前969年)
- プスセンネス3世[6](パセバカエムニウト3世 前969年 - 前945年)
脚注
参考文献
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ 大司祭という訳語も絶対的なものではない。大祭司や神官長などと翻訳される場合もある。
- ^ 強力になりすぎたアメン神殿を制御するための王側の手はずによるとも言われる。
- ^ 「誕生の更新」の意。通常は「再生」と翻訳される。
- ^ スメンデス1世は第21王朝の王
- ^ プスセンネス1世、2世はエジプト第21王朝の王。またプスセンネス3世については非実在説も存在する。
- アメン大司祭国家のページへのリンク