ゆり (人工衛星)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 18:33 UTC 版)
実験用中型放送衛星「ゆり」 | |
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所属 | NASDA,郵政省 |
主製造業者 | GE (東芝) |
公式ページ | 実験用中継放送衛星「ゆり (BS) 」 |
国際標識番号 | 1978-039A |
カタログ番号 | 10792 |
状態 | 運用終了 |
目的 | 衛星放送技術の実験 |
計画の期間 | 4年 |
設計寿命 | 3年 |
打上げ機 | デルタ2914型ロケット 140号機 |
打上げ日時 | 1978年4月8日 |
運用終了日 | 1982年1月 |
物理的特長 | |
本体寸法 | 1.32 × 1.2 × 3.09 m |
質量 | 352 kg |
姿勢制御方式 |
三軸姿勢制御方式 (ゼロモーメンタム) |
軌道要素 | |
周回対象 | 地球 |
軌道 | 静止軌道 |
静止経度 | 東経110度 |
放送機器 | |
TWTA | 100W 放送用中継器 |
ゆり1号
1978年(昭和53年)4月8日にケネディ宇宙センターからデルタ2914型ロケット140号機で打ち上げられた。東経110度の静止軌道に投入された後、同年7月20日から郵政省電波研究所を中心とした衛星放送の各種実験が行われた。
1980年(昭和55年)6月に搭載中継器の送信機能が停止したために、それ以後は伝播実験、管制・開発実験などが行われていたが、1982年(昭和57年)1月に姿勢制御用の燃料が尽きたために運用を終了した。
目的
テレビ電波の家庭における個別受信を目標とする直接放送衛星システムのために必要な技術的条件の確立、衛星放送システムの制御・運用技術確立、及び衛星からの電波の受信効果の確認実験を行うことを目的として開発された。この時は実験段階であったため、一般視聴者へ向けた実用的な放送は行われなかった。
ゆり2号
ゆり2号aは、1984年(昭和59年)1月23日にN-IIロケット5号機で種子島宇宙センターから打ち上げられた。
ゆり2号bは、1986年(昭和61年)2月12日にN-IIロケット7号機で種子島宇宙センターから打ち上げられた。
このゆり2号から、実質世界初となる「一般視聴者の聴取を目的にした衛星放送」の営業放送を開始した。
- 1984年5月 - NHK衛星第1テレビジョンのみで「無料試験放送」として開始。
- 1986年12月 - NHK衛星第2テレビジョンの「無料試験放送」開始。
- 1989年(平成元年)6月 - NHK衛星放送2チャンネルの「有料本放送」開始[1]。
ゆり3号
ゆり3号aは、1990年(平成2年)8月28日にH-Iロケット7号機で種子島宇宙センターから打ち上げられた。
ゆり3号bは、1991年(平成3年)8月25日にH-Iロケット8号機で種子島宇宙センターから打ち上げられた。
ゆり2号 (BS-2) を引き継ぎ、沖縄・小笠原などの離島を含む日本全土への一般家庭向け直接衛星放送 (DBS) サービスをおこなうことを目的とした。
- 1990年12月 - 日本衛星放送(WOWOW)の「無料サービス放送(=試験放送)」開始。同時にNHK衛星放送の送信をゆり2号から3号に切り替え[2]。
- 1991年4月 - 日本衛星放送の「有料本放送」開始[3]。
- 1991年11月 - 事実上世界初の実用ハイビジョン専門放送局としてハイビジョン推進協会・試験放送開始[4]。
- 1997年 - B-SATを後継衛星とし、一連のゆりシリーズからの衛星放送は終了した。
- ^ NHKの視聴契約に際して「衛星契約」にすることが条件であるが、スクランブルはかけなかった(これは今日にいたる後継衛星も同じ)
- ^ ただし、1991年春になってゆり3号aの太陽電池の不具合が見つかったため、ゆり3号bの運用が開始されるまでの同年5-8月は暫定的にNHK第2テレビがゆり2号bからの送信を行う(この間WOWOWは深夜放送を停止)。
- ^ 視聴の際、WOWOWとの加入契約と月額受信料を前払いすることが条件で、無料放送であるとき以外はスクランブルをかけた。
- ^ 当初はNHK/民放が時間に関係なく混合編成。1994年11月より「実用化試験放送」としてNHKと民放(原則水曜日はNHKのみ)が曜日を分担して番組制作を行い、放送した。2000年12月1日に民放の衛星デジタル放送開局に伴いNHKのハイビジョン放送に一本化。
- 1 ゆり (人工衛星)とは
- 2 ゆり (人工衛星)の概要
- 3 関連項目
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