すみからすみまで角淳一です すみからすみまで角淳一ですの概要

すみからすみまで角淳一です

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 20:58 UTC 版)

午後2時からの2時間番組で、パーソナリティには同局の若者向け番組『MBSヤングタウン』で知られたMBSアナウンサー(当時)の角淳一を起用した。また、岩城潤子高井美紀石田敦子などの後輩アナウンサーや、佐野美佳・風間純子・藤本修子・豊田記子などのフリーアナウンサーが日替わりで角のアシスタントを務めていた。

当ページでは、関連番組である『すみからすみまで愛なのね』『なにはなくとも野村啓司です』『すみまで◯曜』も「『すみから』シリーズ」として扱う。また、以下では基本として『すみからすみまで角淳一です』を『すみから』、『すみからすみまで愛なのね』を『愛なのね』と略称する。

出演者

コーナー・企画

2時のクロストーク→オープニング

MBSラジオでは代々、平日の早朝~夕方に放送される生ワイド番組において、放送枠の切れ目に出演者同士がクロストークを展開することが多い。『すみから』を放送していた時代には、午後2時の時報をはさんで、前枠番組の『それゆけ!』との間で20分程度のクロストークを実施。トークが長引きそうな場合には、『すみから』のスタッフが流す音楽(「蛍の光」など)を合図に、角が終了を促していた。この趣向は、『愛なのね』・『なにはなくとも野村啓司です』にも継承されている。

クロストークが一段落すると、角とアシスタントが次のような口上を述べることで番組をスタート。口上を終えると同時に、当日の「条件電話」(後述)の「条件1」に関連する曲をBGMに、改めてオープニングトークを披露していた。

角:「可愛い嘘も付きなはれ」
アシスタント:「男の見栄も張りなはれ」
角:「本音と建前御自由に 大人の遊びを生放送 都会のビルの隅から」
アシスタント:「奧さんのハートの片隅まで」
角:「すみからすみまで 角淳一です」

なお、『すみから』の木曜日では、クロストークの時間に『二十の扉』(角が少年時代に愛聴していたNHKラジオ第1放送のクイズ番組)を踏襲したクイズを放送。『それゆけ!』の出演者が、角の出題するクイズに答える趣向になっていた。当番組の終了後に角がメインパーソナリティ(総合司会)を担当した『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)でも、2009年10月に一時、直前番組の『もうすぐぷいぷい』において「3時の扉」という同様の企画を放送している。

「条件電話」

『すみから』シリーズの核を為したリスナー参加のコーナー。コーナーの性質上、正式なタイトルもタイムテーブルへの記載もなかったが、一般には「条件電話」という通称で知られている。

「たくさんの人からの電話より、たった1本の貴重な情報」を求めるべく、今までと違った方針を考えた結果、ひとひねりしたテーマで聴取者からの電話を受け付けた。主にその日のニュースや時事ネタをきっかけに、ありえないような話、小説のような本当な話を放送した。「条件電話」という通称は、当初設定していた「条件」に見合う電話が入らない場合に、「条件1」「条件2」という方法でテーマを細かく増やしていたことによる。通常の放送では、前述のオープニングトークで「条件1」を告知した後に、基本として放送中に「条件2」まで募集。ただし実際には、「条件3」まで設けることが多かった。ちなみに、テーマの設定に困った場合には、「卑近なニュースが多い」という理由で『産経新聞』大阪本社発行版朝刊の記事を基にテーマや「条件」を決めていたという[9]

生放送中に寄せられたエピソードのうち、角が気になった内容については、番組スタッフがメッセージを寄せたリスナーに随時電話。角と電話をつないだうえで、その内容を詳しく聞いていた。その際、番組アシスタントが「すみからすみまで電話です」と言ってから電話のベルが鳴り、角がどの条件の電話かを紹介してから、リスナーと話を始めていた。なお、15時台の最初には、「角淳一の昼はもしもし」とのタイトルで放送。番組のエンディングには、それぞれの条件でリスナーより掛かってきた電話の件数を紹介していた。

第1回放送での「条件」は、「昨日(放送前日)に後楽園球場であった巨人対阪神の開幕戦で、掛布雅之(当時・阪神内野手)の3ランをレフトスタンドで目撃した方」[10]。放送直近に発生した事件・事故から「条件」を設けた場合には、毎日放送のアナウンサー・記者による中継・電話レポートを入れたり、事故の目撃者や事件の当事者の知り合いなどから電話で証言が寄せられたりすることもあった。

毎日放送の系列局・北海道放送HBCラジオ)が運営する北見放送局の地域別番組用ラジオスタジオ(現在は番組制作を休止)からMBSラジオ・HBC北見放送局向けの生放送を実施した日には、「阪神ファンである北見放送局のリスナー」という「条件」で電話を呼び掛けたところ、角や当番組を知らないはずのリスナーから数本の電話を受けた[11]湾岸戦争の開戦中には、角の部下であったアナウンサーをヨルダンに派遣したうえで、現地の街頭にある公衆電話の番号をメモに控えるように依頼。エジプトからの留学生を当番組のスタジオで待機させるとともに、角が放送中にその番号へ国際電話をかけることによって、偶然電話を受けた現地の住民から実情や本音を聞き出していた。角によれば、世界各地に派遣されている商社マンの夫人からの電話は、「リアルな市場情報」を知るうえで大いに重宝したという[12]

1987年11月26日の放送では、「リンゴに乳酸菌を増やす働きがある」というコラムを基に、「りんご園のお嬢さん お電話ください」という「条件」でメッセージを募集。その結果、「実家が秋田県でりんご園を営んでいる」という大阪府在住の既婚女性から、旅先の十和田湖で出会った山口県岩国市出身の男性と「遠距離文通」の末に結婚へ至ったというエピソードが紹介された。このエピソードに感銘を受けた角は、1989年に八曜社から番組本を刊行する際に、放送当時の「条件」をそのままタイトルに採用(#番組本で詳述)。同書の冒頭には、放送当時のやり取りを書き起こした内容が載せられている。また、この「条件」は後年、「台風が青森県を通過した影響で、現地のりんご園で収穫間近だったリンゴが落果した」という報道があった直後の放送でも提示。MBSラジオの番組の受信が困難なはずの同県の住民が、「りんご園の取材に関する問い合わせ」のつもりで、本当に電話をかけてきた[11]

番組末期の1998年には、角が毎日放送本社(大阪市北区茶屋町)の南隣にある梅田ロフトアランジアロンゾの展覧会をたまたま見たことをきっかけに、「『アランジアロンゾ』の意味を知っている方」という条件でリスナーからの情報を募集。その結果、かつて梅田ロフトに勤務していた奈良県在住のリスナーから、アランジアロンゾが「ちちんぷいぷい」を意味するかのような情報を得た。角はこの情報をきっかけに、翌年から司会を務めることが内定していたMBSテレビの情報番組を、自ら『ちちんぷいぷい』と命名している。なお、アランジアロンゾは同番組のキャラクターデザインを手掛けているが、「アランジアロンゾ」の本当の意味は「さあ行こう、アロンゾ」である[13]

「封書のコーナー」

番組の前半には、角とアシスタントが、聴取者からのハガキを毎日数通紹介。最後には、角が封書で送られてきた手紙を、必ず1通読んでいた。

封書については、事前に手紙を読んだスタッフがタイトルを付けたうえで、角が面白そうなタイトルの1通を選んで初見で紹介。しかし実際には、放送コードに抵触しかねない内容の手紙が多かった。角がそのような封書を選んだ場合には、言葉をぼかしたり、「これ以上は放送では読めない」との理由で途中から読まずに済ませたりしていた。このような趣向は、『ヤマヒロのぴかいちラジオ』(2013年10月からMBSラジオで火曜日の夕方→金曜日の夜間に放送中の生ワイド番組)内のコーナー「山本社交倶楽部」などに受け継がれている。

「人に歌あり」

14時台最後のコーナー。リスナーから自身がお世話になった人(肉親から友人知人、会社の同僚や上司部下など)へのメッセージをアシスタントが紹介した後に、お世話になった人が好きな楽曲を流す。お世話になった人には、JFTB(花キューピッド)加盟の花屋から、紹介したメッセージを記した手紙と花束が贈られた。『すみから』シリーズの終了後も、『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』までの後継番組で放送を続けている(現在は終了)。

「ナウナウ歌謡曲」

TBSラジオ制作・JRN系列全国ネットの同名番組(事前収録)を、本編をMBSラジオで独自に制作する企画ネット方式で、生放送による1コーナーとして内包。放送時点で流行していた歌謡曲を紹介していたほか、放送日によっては、角と親交の深い歌手やアーティストをゲストに招くこともあった。

角シート

角が何かのきっかけで手にした大金で、阪神甲子園球場阪神タイガース公式戦年間指定席を購入したことから始まったプロ野球シーズン限定の企画。その指定席を「角シート」と称したうえで、同球場でタイガースのホームゲームが予定されているたびに、聴取者の中から希望者に抽選で無料で招待していた。ちなみに角は、『ちちんぷいぷい』でも、2011年のプロ野球シーズンまでこの企画を続けていた。

『すみからすみまで愛なのね』

1994年10月から1997年9月までは、『それゆけ!○曜』の放送枠を引き継ぐ形で、12:00 - 14:00に『すみからすみまで愛なのね』を放送。条件電話などのコーナーは、『なにはなくとも野村啓司です』(後述)に移行した。また、金曜日の放送のみ、1995年3月に放送を終了(後番組は『金曜まるごと 清水国明』)。同年4月以降は、月~木曜日の2時間番組になった。

1996年には、角が当番組の生放送中に、咳が止まらなくなるなどの体調不良を起こした。5月6日の出勤前に左手と左足の動きに異変を感じたことから、すぐに主治医へ電話したところ、脳梗塞と診断されたため緊急入院。休養を要するほどの症状だったことから、そのまま『愛なのね』を降板した(最後の出演は北山修をゲストに迎えた前日放送分)。角の降板後には、伊東正治などのMBSアナウンサー(当時)などをパーソナリティ代理に立てたうえで、『愛なのね』を続行。角は、『すみから』の復活・生放送番組への出演の再開に至るまで、1年5ヶ月間ものリハビリを要した[14]


  1. ^ 『企業と広告』第14巻第8号、チャネル、1988年8月1日、51頁、NDLJP:2853065/28 (要登録)
  2. ^ 『企業と広告』第16巻第1号、チャネル、1990年1月1日、57頁、NDLJP:2853082/31 (要登録)
  3. ^ 『企業と広告』第17巻第1号、チャネル、1991年1月1日、29頁、NDLJP:2853094/17 (要登録)
  4. ^ 『企業と広告』第18巻第1号、チャネル、1992年1月1日、60頁、NDLJP:2853106/33 (要登録)
  5. ^ 『企業と広告』第23巻第1号、チャネル、1997年1月1日、47頁、NDLJP:2853166/26 (要登録)
  6. ^ 『企業と広告』第23巻第8号、チャネル、1997年8月1日、53頁、NDLJP:2853173/29 (要登録)
  7. ^ 『企業と広告』第24巻第1号、チャネル、1998年1月1日、30頁、NDLJP:2853178/18 (要登録)
  8. ^ 『企業と広告』第25巻第1号、チャネル、1999年1月1日、68頁、NDLJP:2853190/37 (要登録)
  9. ^ 角が2014年に出した著書『私が、角淳一です』(朝日新聞出版)第三章「夜クネ、すみから、そして阪神・淡路大震災」pp.112 - 113。
  10. ^ 『りんご園のお嬢さん おでんわください』および、『私が、角淳一です』第三章「夜クネ、すみから、そして阪神・淡路大震災」pp.112 - 113。
  11. ^ a b 『私が、角淳一です』第三章「夜クネ、すみから、そして阪神・淡路大震災」pp.115 - 116
  12. ^ 『私が、角淳一です』第三章「夜クネ、すみから、そして阪神・淡路大震災」pp.112 - 114
  13. ^ 『私が、角淳一です』第四章「病の後の『ちちんぷいぷい』」pp.147 - 148
  14. ^ 『私が、角淳一です』第四章「病の後の『ちちんぷいぷい』」pp.134 - 141


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