『すみからすみまで愛なのね』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:37 UTC 版)
「すみからすみまで角淳一です」の記事における「『すみからすみまで愛なのね』」の解説
1994年10月から1997年9月までは、『それゆけ!○曜』の放送枠を引き継ぐ形で、12:00 - 14:00に『すみからすみまで愛なのね』を放送。条件電話などのコーナーは、『なにはなくとも野村啓司です』(後述)に移行した。また、金曜日の放送のみ、1995年3月に放送を終了(後番組は『金曜まるごと 清水国明』)。同年4月以降は、月~木曜日の2時間番組になった。 1996年には、角が当番組の生放送中に、咳が止まらなくなるなどの体調不良を起こした。5月6日の出勤前に左手と左足の動きに異変を感じたことから、すぐに主治医へ電話したところ、脳梗塞と診断されたため緊急入院。休養を要するほどの症状だったことから、そのまま『愛なのね』を降板した(最後の出演は北山修をゲストに迎えた前日放送分)。角の降板後には、伊東正治などのMBSアナウンサー(当時)などをパーソナリティ代理に立てたうえで、『愛なのね』を続行。角は、『すみから』の復活・生放送番組への出演の再開に至るまで、1年5ヶ月間ものリハビリを要した。
※この「『すみからすみまで愛なのね』」の解説は、「すみからすみまで角淳一です」の解説の一部です。
「『すみからすみまで愛なのね』」を含む「すみからすみまで角淳一です」の記事については、「すみからすみまで角淳一です」の概要を参照ください。
- 『すみからすみまで愛なのね』のページへのリンク