Zhang Hengとは? わかりやすく解説

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張横Zhang Heng


張衡Zhang Heng

チョウコウ
チヤウカウ

(?~?)

字は霊真《張魯集解》。沛国豊の人。張陵の子張魯の父《張魯伝》。

京師出生したという。ただならぬ才覚持ち主だったので、詔勅によって黄門侍郎徴し出されたが、世を避けて陽平山に隠居した忠孝誓って民衆導き見識ある人々は「かの人は宗門継承されてから、俗人受け入れて善行推奨した功績がある」と称えている《張魯集解》。

熹平年間一七二~一七八)末期、父張陵大蛇呑み込まれたので、駆けずまわって亡骸探したが見つからず、崖の上に石を置いて目印とし、霊験現し変化したのだと言った光和二年(一七九)、父張陵が「正月七日昇天いたすゆえ、張衡が天師継承せよ」という遺書残し雲に乗って昇天したので、張衡が教団引き継いだ張魯集解》。

張衡が亡くなると、子の張魯引き継いだ張魯伝》。張衡の妻は色香があり、巫術師として劉焉の家に通っていたという《後漢書劉焉伝》。

参照張陵 / 張魯 / 張魯母(張衡の妻) / 劉焉 / 沛国 / 豊県 / 陽平山 / 雒陽県(京師) / 黄門侍郎 / 鬼道巫術) / 天師


張衡 (科学者)

(Zhang Heng から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 19:38 UTC 版)

張 衡(ちょう こう、78年 - 139年)は、後漢代の詩人、学者及び発明家。平子南陽郡西鄂県(現在の河南省南陽市臥竜区)の人。太史令や尚書などを歴任した政治家である一方で、天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家としても優れた才能を発揮した。また文人としても優れ、や絵画の名品を残した。


  1. ^ a b 井上雅夫 1984, p. 2.
  2. ^ a b c d e f g h 井上雅夫 1984, p. 3.
  3. ^ a b c d 井上雅夫 1984, p. 4.
  4. ^ a b c d 宮島一彦. “張衡(ちょうこう)とは”. コトバンク. 朝日新聞社. 2019年4月4日閲覧。
  5. ^ a b 井上雅夫 1984, p. 6.
  6. ^ 井上雅夫 1984, p. 8.
  7. ^ 今村明恒「地震漫談(其の30)、千八百年前の地動儀」(PDF)『地震 第1輯』第8巻第7号、日本地震学会、1936年、347-352頁、doi:10.14834/zisin1929.8.347ISSN 0037-11142014年9月1日閲覧 
  8. ^ 井上雅夫 1984, p. 5.
  9. ^ a b 緒方正則 2012, p. 2.


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